第29章  遥子の部屋

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第29章  遥子の部屋

バイクを駐車場に停め、マンションの5階にある遥子の部屋の玄関に入る。 「 どうぞ。」 「 ……お邪魔します。」 木目調の薄いベージュの壁とマロンブラウンのフローリングの廊下を進むとダイニングキッチンとリビングの部屋に続いていた。 ダイニングテーブルは二人用で、リビングには三人掛けのターコイズグリーンのソファがローテーブルを挟んで大きめのテレビと向かい合っている。 ただ、特異だったのは、テレビの置かれた壁にテレビを中央として両側にびっしりと本が並んだ本棚で埋め尽くされていた。 おそらくは、今まで手掛けた本や作家達の本なのだろう。 それ以外は、余計な装飾も家具もない、コンパクトで無駄なく綺麗にまとめられた遥子らしい部屋だった。 遥子は、コートを脱ぐと土門のダウンジャケットも受け取り、ハンガーラックに掛ける。 そして、リビングではなく、ダイニングテーブルに手で座るように促した。 「 熱いお茶入れるから、座って。」 対面式キッチンでブラウスの袖を捲り手を洗うと、マグカップを二つ出して、手際よくお茶っ葉を急須に入れてポットからお湯を注ぐ。 土門はテーブルに座りながら一挙一動見逃さず、見つめた。 温かい湯気の立つマグカップを二つ手に、一つを土門の前に置くと、遥子も向かいに座った。 「 コーヒーもいいけど、たまにはマグカップで日本茶もいいわよ、温まるわ。」 「 いただきます。」 やけどしないようにゆっくりすすると、香ばしい緑茶の香りが鼻から抜け、不思議な安堵感に包まれた。 「 なんか、予想通り過ぎる部屋ですね。無駄が無くて、キチンとしていて、ある意味驚きです。」 「 なんか、それって褒められてるの?もっと散らかってるイメージだった?」 遥子が苦笑いすると、土門は面白そうに笑う。 「 褒めてます。仕事通りのイメージですよ。ちょっとくらい散らかってる方が可愛いけど。」 「 褒めてないじゃない!すみませんね、可愛げの無い部屋と住人で!」 遥子は不機嫌そうに睨んで見せたが、二人は顔を見合わせた後、吹き出した。 「 一つ……確認してもいいです?」 「 どうぞ。」 「 僕達は、両思いになれたんですよね?」 笑いの無い真剣な眼差しで土門が尋ねた。 遥子も迷いの無い顔で頷いた。 「 そうね。さっきの告白に、嘘はないわ。」 「 ……そうかぁ……なんか、感激というか、感動です…… 」 少しうつむきながら、噛み締めるように呟く土門は、テーブルの上の拳に力を入れた。 「 こちらこそ、私なんかを好きでいてくれてありがとう。」 遥子も素直に微笑んだ。 「 ……何から話しましょうか?土門君は、私の何を知りたいの?」 「 あの……一つお願いきいてくれませんか?」 「 なぁに?」 土門は少し照れ臭そうに、口をすぼめた。 「 僕のこと、名前で呼んでくれませんか?二人きりの時だけでいいですから。」 予想外のお願いに、遥子はちょっと驚きながらも、微笑んだ。 「 いいわよ……駿平。」 彼の名を口にしたら、思わず顔が赤らんだ。 それを見て、土門も赤くなり、飲み頃になったお茶をもう一口飲む。 “ 駿平 ”……口に出して呼ぶと好きな響きの名だなぁと思っていると、土門が意を決した様に真顔で顔を上げた。 「 僕が知りたいのは、遥子さんと江上龍也の間に何があったかです。」 そのひと言で遥子の顔からすーっと笑みが消える。 「 ……そう、貴女にそんな顔をさせるような何があったか、知りたいんです。」 「 それを知って、どうするの?何か変わるの?もう済んだ事で、私の中でも終わってる話よ?」 淡々と尋ねる遥子に、土門は真っ直ぐな眼差しを向ける。 「 終わっているとしても、無かったことには出来ていないですよね?貴女の中の悲しみも、おそらくは受けた傷も、消えないでしょう?……ましてや、僕は彼にそっくりときてる。」 「 確かに似てはいるけど……似ているから好きになったんじゃないわ。貴方を土門駿平として、一人の男として好きになったの。それじゃ、ダメ?」 遥子の正直な説明に、土門は優しく微笑む。 「 もちろん、ダメじゃない。遥子さんが僕の中に彼の面影を探して好きになってくれたなんて、微塵も思ってませんから。」 だが、そこで土門の顔が少し曇った。 「 でも、人間の記憶って時に残酷じゃないですか……。もちろん、僕は最初に約束した通り、遥子さんを傷つけたりしません。でも、この僕の顔が、遥子さんが閉じ込めてる痛みみたいな物を思い出させることもあるとしたら……僕には何も出来ない。時々見せる貴女の悲しそうな表情に、僕は潰れそうになる…… 」 土門の初めて口にする弱気な言葉に、遥子は、思わず黙りこんだ。 絶対に重ならないと、約束する自信はまだ無かった。 思い出すことも、あるだろう。 だが、痛みは時と共に薄れていくだろう。 土門を好きになればなるほど、薄れていくと思える。 なんなら、自分の江上へのあの頃の気持ちは、本当に恋愛感情だったのか?と疑う時もあるほどだ。 そのくらい、今の土門に対する感情は、身近で特別なものだった。
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