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第30章 告白 ①
「彼、江上龍也とは、七年間仕事上のパートナーだった。彼が二十六歳、私が二十五歳の時に、出会ったの。」
遥子はマグカップを両手で包み、視線を伏せたまま語り始めた。
当時、人生に絶望して酷い人間不信に陥っていた彼をBarで見つけたこと、なぜか彼に興味を抱き、なんとなく寄り添い、そして執筆の世界に引き込んだこと。
一度絶望した彼をもう一度成功させて立ち直らせることに心血注いだこと。
「 一目惚れだったんですか?」
土門が尋ねた。
遥子は少し思い出す様に首を小さく傾けた。
「 そうでは無かったわ、多分。長い時間共に過ごしているうちに……かもしれない。」
「 なんか、他人事ですね?」
「 そのくらい……近い存在だったんだと思う。好きとか嫌いの感情すらわからないくらい。」
土門の眉間にシワが少し刻まれた。
「 当時、私には野望があった。編集者として作家を育て上げ世に出したいと。彼に文才があると知った時、まずは彼の才能に夢中になったのかもしれない。彼を立ち直らせることが、私の成功に繋がる……今思えば利害関係が一致してのパートナーだったのかもしれない。」
「 いつ、彼を愛していると自覚したんですか?」
遥子は、軽く目を閉じた。
「 ……いつなのか、正直自覚がないの。どこかで、彼には私しかいないという強い思い込みがあって、いずれ自然と結ばれるものだと……勝手に信じ込んでいたのかもしれない。」
土門の眉間のシワが少しずつ深くなる。
「 でも、そうはならなかった?」
遥子は、小さく頷きながら苦笑した。
「 そう。だから、私は今ここでこんな話をしているんだけどね。」
土門の強張る顔を見て、遥子は自嘲する。
「 長い長い、片思いのようなものだったのよ。彼にとっての私は、戦友…親友…同志…そういう存在だと言われた。」
「 昨年、彼は結婚していますよね?遥子さんとのパートナー解消した後に知り合った人ですか?」
土門の質問によって当時の記憶が甦り、遥子の表情が暗くなる。
「 ……ある日、私達の前に編集者見習いの元気で素直な娘が現れたの。結果、それが彼にとっての運命の出会いになった。その娘が現れたことによって、私は自分の想いをあらためてまざまざと自覚させられた。彼を失ってなるものかと……もがいた。」
土門の眉間のシワが更に深くなり、抑え込んでいた怒りのようなものが現れ始めた。
土門の全ての怒りの的は、江上龍也だった。
どんな絶望感に陥っていたかは知らないが、遥子に救われ、尽くされ、成功と名声までも与えられたというのに……見事に彼女を切り捨てた。
遥子を愛している土門の側から見れば、そういう答えにしか辿り着かない。
「 運命の出会いですか?だから自分を支え尽くし、絶望から救ってくれた貴女を切り捨てる……そんな理不尽なことを遥子さんは受け入れたんですか?何もせずに?」
何もせずに……土門の最後の言葉に遥子の表情はことさら暗くなり、沈んだ。
「 受け入れるんではなく、諦めれば済むことだったのよ。人の気持ちなんて無理強い出来るわけもないし……美月ちゃんは本当に純粋で真っ直ぐな娘で、私だって大好きで、妹のように可愛がっていたんだから…… 」
遥子の言葉には “ なのに… ” という続きが読み取れた。
土門は黙って待った。
遥子は迷いに迷った。
そもそも江上が元バスケット選手でドーピング事件があったことは、伏せて話していた。
そこは江上のパーソナルな事であり、かつて自分が守り通した彼の過去をここで話すことではないと判断したからだ。
だが、そうなるとその後の自分が犯した罪の説明がしにくい。
「 一つ理解して欲しいのは……江上さんに関わるパーソナルな事は私の口から言うべきことではないから、そこは話せないということ。だから……私が彼達にどんな罪を犯したのかは、彼に関わってくるから言えない……」
遥子は正直にそう伝えた上で、続けた。
「 ただ、私は……どうしても許せなかった。2人が結ばれること……幸せになることが…… 」
その台詞を口にした瞬間に、当時のどす黒い感情が甦り、遥子の顔は苦痛に歪んだ。
土門はすかさず、手を伸ばし指の関節が白く浮き上がる程マグカップを掴んでいた遥子の両手を包み込んだ。
突然温かい手に包まれ、遥子はハッと顔を上げた。
土門が大丈夫だよと言うように頷いてくれている。
浅くなっていた呼吸を戻すようにゆっくり息を吐いた。
土門の手の温かさを感じながら、遥子は最後の告白を続けた。
「 ……全てを壊したかった。彼の作家としての人生も、彼女の編集者になるという夢も……そして……二人が結ばれることも…… 」
遥子の声は次第に小刻みに震え、当時の痛みに涙が溢れそうになった。
「 嫉妬と憎しみのような感情でおかしくなっていた私は……あんなにも真っ直ぐで……純粋なあの娘を…利用して……二人を陥れて何もかも壊そうと…… 」
遥子の目から涙が溢れ、声は嗚咽に変わった。
なぜ、今更、こんなにも泣けるのか……ましてや土門の前で、こんな告白をして泣いているのか?
遥子はいつの間にか土門の両手をぎゅっと掴み彼の手に突っ伏すように泣いていた。
「 遥子さん、落ち着いて。大丈夫、大丈夫、大丈夫、僕がいる……」
静かで優しいゆっくりとした彼の言葉が遥子を包み込んだ。
今更ながら、あの頃の自分を思い出し、なんと最低なことをしたのだろうと実感したのか?
どこかで、ずっと、あの時の自分の惨めさは、自分だけのせいではないと、甘やかす自分がいたのか?
そんな自分がやはり許せないのか?
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