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その2
そこまで読んでから、私は昔の苦い記憶を思い出した。幼稚園の頃、友達だった桃ちゃんと些細なことで喧嘩した。当時好きだった、おジャ魔女どれみのキラキラしたシールを私の前にかざしながら桃ちゃんはこう言った。「私、他のシールも沢山あるから、りこちゃんにもあげるよ」そう言われた私は嬉しくて桃ちゃんの家に遊びに行くと、桃ちゃんはくるりと振り返って笑った。「やっぱり、あげない!!!!」その瞬間、火が付いたように顔が熱くなって、私は気が付いたら泣いていた。とても悲しくて、どうしてそんな意地悪ができるんだろうと信じられなかった。だから、その日から桃ちゃんとは卒園式の日まで友達じゃなくなった。私は、桃ちゃんの手紙をそっと胸に当てて「そう、言ってくれればよかったのに」と呟いた。そして、おジャ魔女どれみのキラキラしたシールをそっと鍋に落とすと、しゅわしゅわと音を立てて泡となって消えた。「なんか、感動的な夢だな」と熱くなった目じりを擦り机の上を見ると、私はぎょっとした。
なんと!裸の私が皿の上で寝かされている。「ええええええええ!!!」叫びながら、後ずさり私は自分の腕をつねる。だめだ。夢の中でつねっても意味はないらしい。とりあえず、こわごわと皿の上の自分を観察してみる。すると、胸は微かに上下している。どうやら、生きているらしい。ライトに照らされて産毛が微かに光っている。胸はそんなに大きくないけれど、しっかりと張りがある。やけに飛び出た腰骨が、なだらかにくぼんだ腹に続いている。どの曲線も、しっとりと滑らかで、私は、我ながら「おいしそうだ」と思う。同時に、自分の若さに圧倒される。これを、「食べてしまいたい」という気持ちと「おい。食べちゃダメだろ」という気持ちの間で私は揺れていた。とはいっても、これは夢である。自分を食べてしまっても、法律には触れないだろう。私は、私が乗った皿を持ち上げてみる。想像以上の軽さだ。そして、鍋に私をそっと乗せると、水に入れた綿菓子のように私は背中から溶けていく。その光景を眺めながら私は、「ああ、16歳の私は綿菓子なのだ」と漠然と思った。すべての私が溶け切ってから、机の上を見ると、スープ皿とスプーンが置いてある。どうやら、鍋は完成したらしい。数学のテストでとった出汁に、ニンジン、トマト、ブロッコリー、セロリと、おジャ魔女どれみのキラキラしたシール、そして、私が入った鍋だ。どう考えても、美味しくないであろうそれは、エメラルド色の液体になっている。私は、恐る恐るその汁をスプーンで掬い口に運んだ。最初、かき氷のハワイアンブルーみたいな味がした後、急にレモンのような酸っぱさがやってくる。ぐっと、喉に力を入れて飲み込んでしまうと、最後にセロリの匂いが鼻奥でふわぁと香った。「やっぱり、美味しくない」そう呟いてから、私は16年分の私を詰め込んだ鍋に落胆する。それでも、こういうものなのかもしれないとも思う。「こうなりたい」といつも身の丈以上に思ってしまう16歳の私は、甘くて酸っぱくてセロリの匂いがするのだ。そして、大人になっても「こうなりたい」とは違った味がするのだろう。それは、それでいい。だって、この味は「私だけの味」ともいえるのだから。
目を覚ますと、天井に貼られたアイドルのポスターと目が合った。母親が、一階で「早く起きなさい!!」と怒鳴っている。私は、ゆっくりと起き上がって腕をつねり夢が終わったことを確認する。すると、ふと自分の腕に噛み跡があることに気付いた。どきどきと鳴る心臓の音を感じながら、私は自分の口元にその噛み跡をそっと合わせた。ぴったりと、合ったその噛み跡からは微かに潮の味がした。
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