炭酸水がみつピリリ

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炭酸水がみつピリリ

「結婚する、て。親戚のにいちゃん」 「そらおめでとう」 「めでたくない」 「ああ、そうなのか」  あっさりしたもんだな。  なんでこれでわかるかな。  嗚呼、そうスかこれが親友ですかどっかの神さま。  察した水野は一週間も悩み続けた自分があほらしくなった。  篠原はずっと知ってた。  そう云うの。  水野の。 「ここに居ろ」 「え、うん」  篠原は駈けてった。  まっしろなカッターシャツの背中がいつもより広く見えた。  きゅんとする。  水野は。  自分に嘘つかなくてよかったことに安堵して。  篠原は信じて大丈夫なことが嬉しくて。  山のむこうに沈む夕日がことさらまぶしいあたりで、篠原はもどった。  ふたりしてお山座りした。 「ミズノがなんも言えねェ立場らしいのはわかる。しょうがねェことだよな生姜だけに」 「あ?」 「ほれ」  ジンジャーエールのペットボトルが寄越された。 「おごりだ。お前にとっての失恋の味だな、これから」 「しないでよ」 「じゃ、飲むな」 「シノの愛なんだろ」 「好物なだけに惜しいんだろ」  ひねったボトルの栓は、パキシュ、と、良い音がして生姜がほんのり香った。  ひとくちから、しゅわッと。  ぴりり舌に刺激炭酸水の爽快さ。  かすんでた心模様も晴れる新鮮な味。 「シノと、似てるのよね、にいちゃんね」  しゃべる水野の表情からは、もう憂鬱の雲がどっか行っていた。 「これが?」 「顔じゃなくて、空気」 「また詩的なこと言いやがって」 「事実なんだよ」  そうか、と、篠原もボトルをかたむける。  返事はわかったふうでも、親友の傷ついた心はすまんがいまいちわからない。  失恋したことがないから。  片想いくらい何度かあったけど、いつのまにか忘れていたから。  篠原は恋愛にあまり頓着なく生きてきた。  でもこのたびの恋は良いのか、と、ちょっと嬉しくて胸があったかい。 「お前も空気似てるよ」 「だれ?」 「俺が好きなコに。顔も声も空気も」 「ふー‥‥ン?」  飲みかけたのどがむせた。  ぐえっほゲホゲホおえェ! と、あまりにむせたものだから、近くを通りかかった猫ですら怪訝な顔して去ってった。  背中さすってくれる篠原の手が愛しすぎる。 「え、は? え! っげほ、う」  涙目の水野に、おちついてから篠原は菩薩顔をした。 「どうとでも取れ。俺もどうとでもできる」 「そうなんスか」 「そうなんだよ」  座ったまま足をのばし、尻の少しうしろに両手ついて、ふたりは体をのびのびさせた。  線状降水帯がやっとこさ通りすぎたあとの空みたい。  キモチと云う空が。  もンのすごくすっきりしていた。  頭上にあるのは、夜にむけて透明度を増してゆく空。  夕凪が終わりまた風が帰ってきた世界。  呼吸。  この世のはてのにおいはいつも、曹達水みたいな澄んだ味だ。  手と手がちょっと触れたので、周囲見渡して誰も見てないことを確認。  かさねた。  手を。  唇を。  ふああああ。  心臓がバクバク言う。  でも、しあわせ。  この恋に今後何があってもいいや、と、今は思える。  ただ愛しい頭と頭をくっつけあって、青春を強く感じた。 「お願いします」 「こちらこそな」  共犯者的に笑いあう。  嗚呼いーなァ。  てなもので、記念にラーメンでも喰って帰るか、と、夕飯いらないことをふたりはそれぞれ家にLINEする。 「もう作ったあとて」 「俺んちもだ。カレーか、惜しかった」 「俺なんか手作りハンバーグ。はい、明日の朝にとっといてくれるって」 「うちもだ」  肩組んでふたりお気に入りの店にむかった。  空ではさっそく月が綺麗。  夜空を切り取るあの白銀。 「月、てさ」  水野が言う。 「ん?」 「昼と夜と、どっちが好き? シノは」 「お前が好きなほうで」 「えー」 「じゃ、月食のときの十円玉みたいなあの赤いの」 「ルナティックですなァ」  俺らだなァ。  同性愛てまだまだそんなあつかいよね。  特別だけど、尊さは異性愛と同じだろ?  ヒトを好きになるんだ。  子孫を残せない、それだけが理由で魔女狩りみたいにされてしまうにはもったいない儚いこと。  好きなヒトのことを考える。  胸がときめく。  心があまったるい菓子喰う。  それで魂までうるおうことを伝えたい。  水野はラーメン屋までの道すがら、そんなことを篠原に語った。 「お前ホント、そう云う表現好きな。詩人とかなれんじゃね?」 「かもねー。でも難しい話だよね」 「俺らみたいのか」 「まァそうな」  しかし今夜はやけに愉快。  ラーメン屋でもジンジャーエールで乾杯したふたりは、大盛りをすする。  おなかいっぱいわくわくいっぱい。  若い狼二匹の、他愛はなく問題はありそうな、ときめく日々の始まりのそんな夜だった。
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