(二)

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 その後、身内だけで葬儀をした。場所は自宅のあった堺ではなく、引っ越し先の河内長野のアパートで行われた。  そして葬儀後、母とも連絡が取れなくなった。休みの日に河内長野のアパートの部屋を尋ねたところ、既に引き払われていて別の人が入居していた。母からも連絡がなく、晴哉おじさんの元にも連絡がなく、完全に行方不明となってしまった。  もともと工場のあった自宅はその頃にはすでにすでに人手に渡り、取り壊されていた。工事の告知の看板には隣の駐車場などと合わせた広さの土地にマンションが建設される旨が書かれていた。  こうして俺の一家は離散した。 (続く)
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