さいごの足掻き

2/3

0人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
「最近、部屋散らかってない? 漫画借りたくても借りれないんだけど」  いつの日だったか――妹に言われた事がある。特に意識していなかったが、よくよく見れば以前に比べて部屋の清潔さがなくなっているように思えた。  昔から小説を書いていた俺は、最近書き始めた小説に命を賭ける程には力を入れていた。部活から帰ってはご飯を食べて、小説を書く。  そんな毎日を過ごしていたら、いつの間にか部屋も汚くなってしまうもの。 「ごめん。最近集中してたから、片付けるのが面倒で。時間があったら片付けといてくれない?」 「ええ〜。気が向いたら片付けとくけど……今は片付けない。取り敢えず、この漫画借りるね〜」 「良いよ」  妹が部屋の扉を開けて、彼女の部屋へと戻るのを確認した後、俺は机の引き出しにしまってあったエチケット袋を取り出す。  そして、気持ち悪さとストレス交じりの汚物を袋へと吐き出した。吐いたからとて、気持ち悪さが消えるわけではない。  ただ、少し楽になるだけ。  誰かと話すのもしんどくて、それは家族であってもお構いなしだった。一言話すだけで、身体が言うことを聞かなくなって、小説を書くための右手が震えだす。  以前は、小説を書く事が楽しかったはずなのに、今は楽しさの欠片もなく、自分の体調を誤魔化すためだけに書いている。  時計を確認すると、秒針が12を回っていた。もうすぐ部活に行かなければならない時間になる。  俺は小説を鍵付きの引き出しに入れた後、体操服に着替えて、1階へと降りる。昼食をさっさと食べて、玄関へと向かった。  が扉を開けようとした時、母が彼を呼び止めた。母の右手には小さな紙きれが握られている。 「部活帰りにお使い頼んでもいいかしら?」 「ん? 大丈夫だよ」 「これ、メモ。忘れずに買ってきてね」 「わかった。じゃあ行ってきます」 「行ってらっしゃい」  外に出ると、雲一つない空が彼を照らす。眩しすぎて、一瞬目の前が視えなくなって立ち止まる。しかし、すぐに視界は良好になり、また彼は歩き始めた。  重たい体を無理矢理前に進め、駅へと向かう。  街並みの喧噪を聞いていると、涙が出そうになる。選挙カーの声を聴くと腹立たしいことこの上ない。選挙カーだけでない。ティッシュ配りの声も、和気藹々と話す家族の声も――すべてが腹立たしい。  孤独を感じる。声が孤独を感じさせる。自分は誰にも求められていなくて、この世界から切り離されて生きていて、誰からも見向きもされないのだと、第3者の声が勝手にそう唱えるのだ。  電車に乗る。学校が近づくにつれて、身体が痺れだし、全身に痛みが走り、激しい眩暈がする。部活が嫌なわけではないのに、身体が向かうことを拒絶しているようだった。 『まもなく――、まもなく――』  電車を降りなければならない。嫌で嫌で仕方がない。そもそも外に出ること自体が億劫で仕方がなかった。  それでも、身体の痺れや眩暈を無視して、電車を降り、高校へと向かう。    高校について、部室に入ると、1年年上の先輩が朗らかな笑いを浮かべて、少年に対して声をかけた。 「おっす!! 今日も頑張ろうな!!」 「うっす!!」 「いい返事だな。普段からお前といると元気になるよ」 「ありがとうございます!!」  平凡な会話をして、平凡な時間を送り、平凡に部活が終わる。  母から頼まれたお使いをこなし、家路につく。母が用意した晩御飯を食べて、お風呂に入る前にトイレに行って――。  全てをまた吐き出す。    今日だけで、何十回吐きそうになっただろう。  今日だけで、何回吐いただろう。  もう数える気力もない。  休憩になってはトイレに走って体内の汚物を吐き捨てる。親の前では気さくに振る舞い、ご飯も高校生男子らしく沢山食べるが、バレないところで全て吐く。  吐けば楽になるし、生を実感できる。しかし、それ以上に辛いという感情が自分を押しつぶす。  何もストレスになることはないのに、誰も彼もが優しいのに――。  どうして、生きるのが辛くなる?  ――どうして、死にたくなる?  分からなくて、分からなくて、苦しくて――。負の連鎖が止まることなく堕ちていく。  こんな自分はダメなのだと。ストレスもない環境で心が壊れそうになっている自分はこの世界に必要がないのだと。誰からも言われていないのに、勝手に被害妄想してしまう。    毎日のように「自分はダメだという考え」がぐるぐると頭の中を巡り、全てがぐちゃぐちゃになった時、俺は無意識のうちに妹に尋ねてしまった。   「美しくも多くの人に迷惑をかける死に方って何だと思う?」 「小説の話? ちょっと暗い話は私読めないからやめてほしんだけど。……じゃなかった。うーん、美しい死に方。迷惑をかける死に方……ねぇ。死にたいって思ったこともないから、あまりそういうのは分からないなぁ」 「それはそうだよな。――俺もないから困ってる。ごめんな。悪いことを聞いた」  それで良いと思った。妹にはそんな事考えないで生きてほしいと思った。だからこそ、今の質問を心底後悔する。そして、無意識とはいえ、一瞬でも「死」について妹に考えさせてしまった自分を心の中で責め立てた。  気付くと俺のベッドでまた漫画を読み始めた妹に、作り笑いの微笑を溢し、小説を書き続ける。今書いている小説もそろそろ終盤だった。  俺は主人公の死に方を決める。その死に方は美しいと言えるかは分からないが、多くの存在に迷惑をかける事が出来る死に方ではあった。    ――視点を変えれば、一応美しいとも言えた。 「よし、完成だ」  俺は全ての原稿用紙を纏めて、机の上に置く。  吐気、眩暈、倦怠感、寒気――身体が残酷に自分を責め立てる。  誰にも心配はかけたくない。だから、家族にも言わずに「元気な自分」を演じ続けていた。  でも、それは限界に近くて、「元気な自分」になれない自分に価値を見出せなくて、生きるなんてもってのほかだった。  誰もが優しくて、素晴らしい世界。でも、何もない世界。  この世界に、美しく残酷な一矢を報いるのも一興だろう。 「ごめんな。こんな兄で。もしかしたら……考えなくてよかったことを考えさせることになるかもしれない。…………ごめんな」  いつしか眠りについていた妹の頭を撫でて、俺は自分の部屋を後にする。 「母さん、外に出てくるね」 「あら、こんな時間に? あまり帰るのが遅くならないように気を付けるのよ?」 「……うん」 「いってらっしゃい!!」 「…………行ってきます」  もう戻ってくることはない。申し訳なさよりも、楽になれる喜びが勝っていた。  最寄りの駅のすぐ近くには、20階建てのビルがある。関西にあるあべのハルカスのようなものであり、7階程度までは百貨店のようなものだが、それより上階はオフィスが連なる。  非常階段には誰もいなかった。そのおかげで誰にも見つかることなく屋上にまで行く事が出来た。  屋上へとつながる扉は固く閉ざされている。しかし、それも対策済みだった。  詳細は伏せるが、鞄の中にいれた小道具を使って、扉をこじ開ける。  これできっと警察が動き出す。もう遅いとしか言えないが。  外はすっかり暗く、ビルや車の明かりが騒々しく世界を灯す。雨が降っており、光が不安な装いで、少年を照らす。  少年はゆっくりと屋上を歩き、端に設置された柵を乗り越える。  暫く世界を見渡す。何秒、何分、何十分――時間は不明だが、気が付けば、地上からはパトカーのサイレンが鳴り響いており、背後からは警察が踏みとどまるようにと、声を荒げて説得してきていた。  ――心底、鬱陶しい。    だが――俺の体より遥か下にある色は、とても。  パトカーの赤色、携帯電話のフラッシュ、建物の灯――すべてが美しく思えた。  漸く、色が視えた。 「俺は何者なんだろうな。普通に生きてただけなのに。なんで……こうなったんだろうな」  何が原因かなんてわからない。もうわからなくたって構わない。――だって、生きることが死ぬほど辛いのだから。  誰かは「甘え」だとかたり、誰かは「産んでもらった命を無駄にするな」と偽善を吐く。何処かで誰かは「迷惑」と唱え、何処かで誰かは「かわいそう」と嘆き悲しむ。  それで良い。――誰かに自分を植え付けられるのだから、完璧だろう。    最期の最後に俺という名の少年は、作り笑いではない微笑を浮かべてビルから飛び降り――命を絶った。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加