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「長い間、本当に申し訳ないことをした」
「・・・それがカインの選んだ道なのですね」
エマに会おうと思い立った日から数日後、カインは一度自宅に帰ってきた。 日を跨いでの旅路となったため少々心配されたが、胸の内だけは晴れ晴れとしている。
本当はもう戻らないという選択肢もあった。 しかし許嫁だったエルザのことだけが気にかかり戻ってくることに決めたのだ。 本当に自分勝手なことをしている自覚はある。
エルザに不満があるわけでもない。 寧ろエマがいなくなったと分かったあの時、エルザと人生を歩んでもいいと思ったくらいなのだ。
「親が決めた縁談。 それでもエルザのことを嫌だと思ったことはなかった」
「だけどカインの心にはずっと別の女性がいた。 ということですね」
「すまないが、そうなるな。 こういうことを言うのはズルいかもしれないが、出会いの順番が違っていたら選んだ人生は変わっていたのかもしれない」
そう言うとエルザは小さく笑ってみせた。
「・・・気を遣ってもらわなくても大丈夫です。 カインに内緒で見てしまったロケットペンダントの写真、とても可愛らしい人でした。 私なんて生まれた家くらいしか取り柄のない女です。
言いたいことや伝えたいこと、そんな大切なことは私から離れていこうという時にならないと言えない」
「それは、まさか・・・」
「行かないでください。 私はずっとカインのことが好きでした」
カインはどちらかと言えばモテる方だ。 いや、貴族という立場上かなりモテると言っていい。 それでもここまで真正面から告白されたことはなかった。
それが長い間将来共に歩む可能性もある相手だと思っていた女性からだという事実は、カインの心を揺らした。 しかし揺れるだけでカインの意志を曲げる程の力にはならなかった。
「・・・その言葉、もう少し早く聞きたかったな。 僕もエルザのことが好きだ。 だがエマのことはもっと好きなんだ」
「ッ・・・」
エルザは一瞬泣き崩れそうになったが、すぐに持ち直し赤い目を隠そうともせず微笑んだ。
「本来ここまでの気持ちがあれば、家のことや立場のことを考えればエルザを選ぶべきなんだと思う。 しかし・・・」
「それ以上は言わないでください。 私もその言葉が聞けただけで十分です。 エマさんのところへ行ってあげてください。 私も悪くなるようにはいたしませんから」
「・・・あぁ」
「もう行ってください。 これ以上の辱めに耐えられる程、私は強い人間ではないのです」
「・・・分かった」
カインはそのままエルザの居室を後にした。
―――エルザはああ言っていたが強い女性だ。
―――ふわふわした心のまま接していた僕に何年もの間付き添ってくれていたんだから。
心に残る靄を振り払うことはできなかった。 しかしそれは貴族の家を出ようとしている以上仕方のないことなのだ。 屋敷の勝手口へ差し掛かろうというところで待ち構えていたように一人の影が現れた。
「じぃか」
「まさかお坊ちゃまが勝手口から出ていくような日が来るとは想像もしておりませんでした」
「本当か? 僕はじぃのことは誰よりもよく分かっていると思っている。 本当はエマが生きていたことも調べがついていたんじゃないか?
その上で僕の両親にも伝えず何年も付き合ってくれていたんじゃないか?」
「それは買い被りでございます」
「僕はじぃが本当に郵便が来ていないか確認していたことを知っているんだ。 届かないと知っていたらそんなことをする必要がない。 可能性は低くともエマが生きていたからこそ・・・。
いや、今更こんなことを言っても意味がないか」
「買い被りでございます。 私はお坊ちゃまの言い付けを守っていただけにございます」
「・・・分かった、そういうことにしておく。 じゃあそろそろ行くよ」
「かしこまりました」
カインは準備していた荷物を持って屋敷を後にしようとした。 そこで最後に執事が声をかけてきた。
「カイン様。 カイン様は私にとっても可愛い孫のようなもの。 たとえご両親と仲違いしても私はカイン様を応援しておりますから」
「あぁ、ありがとう」
こうしてカインは貴族としての立場も捨て、家を出ることに決めた。 色々と不義理をしたことは申し訳ないと思っている。 それでもエマと共に歩むと決めた選択が間違っているとは今も思っていない。
エマはカインのもとへ向かっている道中、足を滑らせ崖から落ちてしまった。 それを通りすがりの貴族が助けてくれ生き延びることができたらしい。
その貴族に恩を返すためにその場に留まっていたそうだ。 かなりの怪我をしてカインのもとへは行けなかった。 数年が経ち歩けるようになり自分の元の家を尋ねたという。
流石にこんなに時が経ってしまえば、カインの家を訪れても無駄だろうと思ってしまったようだ。 それでもエマはカインを忘れることはなかった。
待ち合わせをしていた場所へ行くとそこには既にエマの姿があった。
「本当によかったんですか?」
「あぁ、これでよかったんだ」
「私が全ての原因になったことは分かっていますが、それでもこうなったことは心の底から嬉しいです」
「僕も後悔しないために選んだ道だ。 それよりもエマこそいいのか? 自分の家を出たきり帰っていないって」
「いいんです。 ・・・家族が私を捨てたんですから」
「・・・そうか。 あと一つ気になっていたことがあるんだが」
「何故手紙を探しに来た時に自分の居場所をすぐに伝えなかったか、ですか?」
「・・・あぁ、よく分かったな」
「本当は諦めようと思っていました。 だけどもし手紙を探しに来て日付のことにまで気付いてくれるなら、私のことをまだ想ってくれているんじゃないかとそう思ったんです」
「なるほど、そういうことか」
「えぇ。 試すようなことをして申し訳ありません」
「どうして文通時では敬語ではなかったのに、突然今は敬語を使うようになったんだ?」
「それはお話するのが久々過ぎて・・・。 それにカイン様は元々貴族様で」
エマが母に止められていたことも聞いた。 だから改めて相手が貴族として遠慮しているのだと分かった。
「今更だ。 エマは僕に貴族としての特別扱いをしない。 それが惚れた理由の一つでもある」
「ッ・・・!」
「これからはもっとエマと近い距離で歩いていきたい。 ・・・駄目か?」
「・・・分かり・・・。 うん、分かった。 やっぱり貴族のお方は素敵な人ばかりなのね。 どうして怖がられているのかが分からない」
「大抵の貴族はそう見られるのが普通だ。 もう慣れている」
「それでも私はカインが小さい頃からとても優しくて真っすぐで誠意のあるカッコ良い人だと知っている。 ・・・再会できてよかった」
「僕もだよ。 音信不通になったからエマを迎えにいくことができた。 離れていた時間は僕たちにとって必要なものだったんだ」
-END-
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