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「オレンジが食べたい」
ようやくマリーが言った。コンドルは大慌てで飛び立った。とは言うものの、オレンジはこの岩山にはない。オレンジは人間の住む近くにしかない植物だ。コンドルは全速力で飛び続けた。
視界の端に煙が見える。人が住んでいる場所だ。集落ではなかった。小さな家が、草原の中にポツンと建っている。コンドルは着地すると翼をたたみ、人間の姿になった。扉をノックすると、四十過ぎの女が顔を出した。
「どなた」
「失礼。私は山に住むものだが、連れ合いが病気で、どうしてもオレンジが食べたいというのです。もし、お持ちであれば少し分けていただけませんか?」
女は若者をサッと観察した。息を切らし、汗だくの若者は顔一面に心配の色を浮かべている。まあ悪い人ではなさそうね、女はそう思った。その時ふと、庭先に落ちているコンドルの羽が目に入り、女は驚きの声を上げた。
「まあ、あなたはもしや、山の主様ではありませんか!」
「ああ、そうだ」
「まあまあ、これは光栄な事。どうぞ、お入りになってくださいな。オレンジはうちの農園にたっぷりありますわ。そうだ、主人を呼んできます。少しお待ちになって」
女はコンドルに椅子を勧めると、パタパタと外に出た。
息を整えながら、コンドルはそっと家の中を見渡した。小さいけれど、きれいに整えられた家具、明るく、清潔で気持ちのいい家だ。
もしかすると、マリーはこういう場所に住むのがいいのかもしれない、コンドルの頭をふとそんな思いが掠めた。暗く、湿った洞窟に一人残してきたマリーが急に哀れに思えてきた。果たして彼女は、自分といて幸せなのだろうか。自分は今まで、マリーといるだけで幸せだったから、そんな事はあまり考えなかったが、マリーはどうなのだろうか。あんなひどい病気になって、苦しんでいる姿は見たくない。そうさせたのは、もしかすると自分なのではないだろうか。
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