座敷わらしの体温

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 家の前で見覚えのあるおじいさんに声をかけられた。  彼は僕の名前を知っていた。  「水ようかんは食べてくれたかな」  祖父の友人はお祭りの帰りらしい。僕よりも早く参道から出て、田んぼを迂回している間に僕があぜ道を通って追いつき、鉢合わせたようだ。  「おじいちゃんは祭りには行かないって、家にいるんですけど、一緒に行けばよかったのに」  「そうだね。俺からも毎年誘っているんだが、今年は断られちまった。もう齢だから仕方なくはあるが、あまりにも動かなかったら逆にいけない」  祖父の友人はやれやれというふうに首を振った。片手に持っているのは屋台の食べ物が入った袋だ。  彼はその中からフランクフルトを一本取り出した。僕に押し付けるように渡してくる。  「食べなさい」  柔和な感じの老人だが、口調は強かった。断れずに受け取る。  「ありがとうございます」  祖父の友人は嬉しそうな笑顔になり、「ちょっと話していこう」と道の端に座り込んでしまった。  「きみも座りなさい」  「え、でも」  「浴衣が汚れるのが嫌なのか」  「いいえ」  僕は彼の隣に尻を置いた。  座ると目に映る景色が大きく感じられる。目の前には田んぼが広がり、青々とした稲が行儀よく整列していた。それを褒めるように風が撫でていく。稲たちはどこか嬉しそうに揺れた。奥には山がある。そこにはきっと神様がいて、賑わう参道を見下ろしているに違いない。  口の中には肉のうまみ、目には爽やかな緑、耳には風の息。僕は今年初めて祖父の家に来たという実感がわいた。  「きみはどこから来たんだ」  「神奈川からです」  「都会かね」  「ビルがたくさんあるところに住んでいます」  そうか、と祖父の友人はしみじみと言った。  「そんなきみがこんな田舎で夏休みを過ごして、暇じゃないのか」  「いえ、年に一度のことなので、むしろ楽しみにしていました」  「そうかそうか」   祖父の友人はランニングシャツに短パンという姿だった。剥き出しになった肩や脚は細く、皮が余ってビロビロしていた。  祖父の体はどうだったか。僕は思い出せなかった。ズボンは長いものしか穿いているのを見たことがない。腕は浮いたシミばかりが思い出され、細さは靄に包まれてぼんやりしていた。  「あいつは随分痩せちまったな」  僕の心が読めるのだろうか、祖父の友人はそう呟いた。見上げると、彼は山の向こうを見ているようだった。  「奥さんが亡くなったんだから、落ち込むのも仕方ないけどな」  奥さん。それは僕の祖母だ。去年の冬に亡くなった、おばあちゃん。  去年僕がここに来たときは、祖母は元気だった。日光を吸い込んだ布団のように暖かい笑顔で僕を迎え、昼はそうめんを作ってくれたし、庭に植えたヒマワリの世話を一緒にした。  まさか死ぬなんて思ってもみなかった。それくらい、祖母はいつもと変わらなかったのだ。  祖父と祖母は仲が良かった。僕にやるお小遣いのことで口論したり、肩を揉み合ったり、たまに二人で酒を飲んだりしていた。一年のほとんどを二人きりで過ごしているのに、寂しいとはちっとも思っていないようだった。むしろ、幸せそうだった。実際そうだったのだろう。  去年の冬に学校を休んで葬式のために来たとき以来、今年の夏まで祖父の家に行くことはなかった。夏休みが始まってすぐに祖父の家を訪ねると、当たり前だが祖母はおらず、代わりに知らない和服姿の少女がいた。  ふと気づく。祖母と少女は何か関係があるのではないだろうか。あるいは、祖母が亡くなったことと少女が家に来たことに繋がりがあるのではないか。  「あの」  「何だ」  「おばあちゃんが死んだ後、おじいちゃんに何か変わりはなかったですか? その、痩せたこと以外で」  祖父の友人は腕を組み、天を仰いだ。たるんだ喉に、ビー玉のような喉仏が浮いていた。  「人付き合いが悪くなったなぁ……それまでは頻繁に家を行き来していたのに、ガクンと数が減ってしまった。この前は本当に久しぶりに家に来てくれたんだ。こっちからあいつのところに出向いてもあまり嬉しそうな顔はされないし、俺の方も行きづらくなっちまってたんだよ。でも、この前のあいつはまあ、少しは元気になっていたと思うね。きみが来たからだろうね」  違う。僕は心で否定した。いや、もしかしたら僕が来たことも祖父が元気になった原因のひとつかもしれないけれど、最大の薬は別に存在する。   「あなた以外で、おじいちゃんの家に来た人はいないんですか?」  「どうかしたのか?」  顔を覗き込まれるが、思わず伏せてしまった。真意を隠しながら話すことは難しい。声にするまでもなく顔に文字が浮き出てしまっているような、目が合えば事情がすべて漏れてしまうような、そんな危機感が僕を包んでいた。  僕は緩く首を振った。  祖父の友人は何かを察しただろうか。  「孫だものな、じじいが心配なんだろうね。いい子だよ」  フランクフルトはもう残っていない。竹串に染みていた肉汁も吸われつくした。  僕はもう一段階踏み込んでみることにした。  「僕のおじいちゃんは妖怪とか好きだったりしますか?」  「妖怪?」  「はい」  唐突な質問に相手は戸惑っているようだ。僕は言い繕うこともできず、聞いたことを後悔したが、一方で、この人は座敷わらしの彼女のことを知らないんだと確信してもいた。  「知らんな。昔はよく二人で川にカッパを探しに行ったもんだが、特別妖怪や幽霊に興味があった訳でもない」  「そうですか。教えてくれてありがとうございます」  「どうしてそんなことを聞くんだ」  「おじいちゃんの家は古くて静かでいいところだから。座敷わらしがいてもおかしくないなって、そう思ったんです」  祖父の友人は豪快に笑った。  「そうだなあ! ここらの家は皆古いから、一家に一人は欲しいもんだ」  僕は同調して笑ったが、内心は少しも楽しくなかった。  空が燃え始めていた。田んぼの稲が橙色に染まる。  「そろそろ帰るか」  よっこらせ、と僕たちは立ち上がる。僕は祖父の友人に礼を言った。彼は「また話そうな」と手を挙げる。  「もし、おじいちゃんのことで困ったことがあったら、うちに来なさい」  そう言い残し、去っていった。  僕は歩きながらタコ焼きの袋を振った。買ったときほどの熱気は残っていなかったが、それでも芳しい匂いが昇ってきた。  あの人に会えてよかった、と僕は強く思う。  祖父の家を探索して得られたもの以上の収穫や発見があった。  あの人はきっと信じられる。いざとなったら祖父を止めてくれるかもしれない。  田んぼばかりが広がる田舎で、僕は初めて仲間を得た気がした。  そして、祖母について。  どうして忘れていたのだろう。祖父と一心同体であった祖母の死は、間違いなく祖父に大きなダメージを与えているはずなのに。  祖母と彼女は何か関係があるのだろうか。  玄関を潜るまで、僕はずっとそれについて考えていた。
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