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 転機が訪れたのは翌年の春のことだった。夕陽はモデルの仕事を続けていたが、少しずつ仕事が増え、気づけば主要モデルとして知名度も格段に上がっていた。そこでさらにCMに出てみないかという依頼が舞い込んできた。 「すごいっ、テレビに出るの?!」 「ほんのちょっとだけね」  夕陽の言った通りCMのメインは有名な女優で夕陽はその相手役だった。台詞もなく立ち位置的には本当に脇役だった。それにも関わらず〝あのイケメンは誰だ!〟とSNSで話題になり、夕陽の仕事はそれまでの比ではないぐらいに増えていった。  夏になる頃には雑誌だけではなくCMやMVの出演も増え、学業をメインに、とも言っていられなくなってきた。 「そろそろ潮時かもしれないな」  夕飯の席でぽつりとこぼした夕陽の言葉の意味を理解できなくても、辞めなければいけないと思っていることは暁斗にもわかった。 「やめる必要ないよっ」 「暁……」  最近は休日暁斗と過ごす時間も少なくなっていた。普通の高校生ならば受験の年だ。今後をどうするかも悩んでいるようだった。  でも、夕陽は決して仕事を嫌っているわけではなく、モデルをやっている時もそれ以外の時もいつだって生き生きしていた。人に見られる仕事、人を喜ばせる仕事が向いているのだろうと子どもながらにも感じていた。いつか憧れたアイドルに近しい存在になっていく夕陽をもっと見ていたいと思った。  もちろん、さびしくないかと聞かれれば否定はできない。でも、それ以上に夕陽のことを一番に応援したかった。  そんな暁斗に夕陽は二人きりになってから静かに告げた。 「実はね、高校を卒業した後、本格的に仕事として続けていかないかって言われてるんだ」 「えっ、それってすごいことだよね?」 「うん、そう。でも今以上に忙しくなるし、家にもいられなくなると思う」  夕陽が一番気にしているのは後者なのだということなんてわかりきっていた。 「お兄ちゃん、またぼくたちの心配してるの?」 「心配するに決まってるだろ」  想像していたよりずっと強い口調だった。父が不在にすることが多い家の中で夕陽は自分が家族を守らなければと責任を感じていた。まだ夕陽だって高校生だったのに。 「兄さん、最近モデルするの前よりずっと楽しそうだよね」 「え……?」  全く違う問いかけに夕陽はきょとん、と見つめ返してきた。 「兄さんを雑誌やテレビで見る度に思うんだ。兄さんはこの仕事がすごく楽しくて大好きなんだって。だから、見てるこっちまで頑張れって言いたくなる。ぼくも兄さんのファンだから、わかるんだ」  あの日二人で並んで見つめたテレビの中のアイドルたち。それを応援しているサイリウムの海、ファンの声。忘れられない。 「兄さん、もっともっとかっこよくなるんだろうなって、そう思ったらどきどきして、わくわくして、止まらないんだよ」  夕陽は暁斗の言葉を静かにじっと聞いていた。でも、しばらくしてぴんっと張っていた糸が途切れたように「ふはっ」と表情をやわらげた。 「あーあ、もう……暁の方がずっとかっこいいよ」 「え……?」  気付けば夕陽にぎゅうっと抱きしめられていた。 「暁、ありがとう。始めは暁にかっこいいところを見せたいって思って始めたことだったけど、気づいたら暁の言うとおりすごく楽しくなってた。正直、暁と過ごす時間が減るのはさみしいし、やっぱり暁のことも母さんのことも心配だけど……頑張ってみようと思う」 「兄さん……」  夕陽のやりたいことをきちんと自分でやると決めることができてよかった。夕陽からもさみしい、と言われたのは内心とても嬉しくて、くすぐったくて、誤魔化すように夕陽の胸に顔を埋めた。  夕陽は暁斗の頭を撫でながらぽそりと囁いた。 「でも、暁にはやっぱりお兄ちゃんって呼んでほしいな」 「……えー……やだ」 「え~っ」  一度意図して変えてしまうともう一度戻すのはなんだかとても照れくさかった。その後しばらく夕陽にねだられ、それでもうんとは頷けなかった。    ◇◇◇  夕陽が歌手としてデビューする、と聞いたのはその年の夏の暮れの話だ。  CMでほんのワンフレーズアカペラで歌うシーンがあり、それを見初めた音楽プロデューサーが声をかけてきたことがきっかけだった。 「兄さん、ほんとにアイドルになっちゃった」  音楽番組で初めて歌う夕陽をテレビ越しに見て、暁斗はその姿に見惚れた。 あの日テレビの中で見たアイドルと同じようにきらきらしたステージの中心で夕陽が歌っている。  夕陽の歌は優しくて温かくて、もう何度も毎日のように聞いていたというのにほろほろと涙があふれた。 「えっ、うそ……」 「あらあら、あきちゃん大丈夫?」  夕陽はその日も仕事で、母と二人でテレビを見ていた。  まさか泣き出してしまうなんて自分でも想像していなくて、どうして泣いているのかもすぐにはわからなかった。  感動して?もちろんそれもあっただろう。夕陽の歌声はたくさんの人の心を掴み震わせた。それは暁斗も例外ではない。  でも、今涙が出ている理由はそれだけではないのだと心のどこかでわかっていた。 「あきちゃんどうしたの?」 「……なんでもない、兄さん、すごいなと思って」 「うん、そうね。うちのお兄ちゃんじゃないみたい」 「……うん」  ああ、そうだ、と母の言葉を聞いてはっきりと理解した。  テレビの向こう側にいる夕陽がなんだかいつも接している兄とは別物のようで、どこか遠くに行ってしまったようで、さみしかった。  さみしい、なんてずっと前からわかっていた。でも、今になって抱え込んでいたさみしさがあふれ出して、気づけば涙になっていた。  夕陽を送りだして、応援して、あそこに立たせようとしたのは自分なのに。今更になってこんな気持ちになるなんて。  幼いころから自分のためだけに歌ってくれていた夕陽が今は名前も知らない誰かのために歌っている。  初めて抱く感情を嫉妬と呼ぶのだということをこの時の暁斗はまだ知らなかった。自覚するにはもう少し時間がかかった。
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