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はじめての
彗と想いが通じ合ってから早1ヶ月。
俺たちはまだキスすらしていない清い関係だった。
そもそも男同士で付き合うなんてお互い初めての経験なんだし、ゆっくり進展していけたら良いとは思っているが……あまりにも以前と変わらない関係に少し不安をおぼえているのもまた事実だ。
夕飯を食べ終えた俺たちはリビングでバラエティ番組を見ながらダラダラと過ごしていた。
「あ、俺この芸人さん好き〜」
「全裸で踊る人だっけ」
「あはは、それ誰かと混ざってるよ」
俺は後ろから彗に抱っこされるような体勢でソファに座っていた。
俺の肩越しにテレビの画面を見る彗は相変わらずご機嫌で時折番組の内容について楽しげに語りかけて来る。
芸能人に疎い俺も最近は彗の影響で少しずつバラエティ番組の面白さが分かるようになってきた気がする。
温泉旅行以降、彗はこうやって日常的にスキンシップを仕掛けてくるようになったが、不思議と全く“そういう雰囲気”にはならなかった。
恋愛の初々しいときめきよりも安心感が勝ってしまうのは長年幼馴染として過ごしてきた弊害なのかもしれない。
どちらにせよ今の状況が嫌という訳では断じてないのだが、やはり彗と両想いになった以上、もう少し先に進んでみたいというのが正直なところである。
「なぁ彗」
「んー?」
呑気な声を返す彗に、俺は意を決して話しかける。
「彗ってさ、俺と恋人っぽい事とかしたいと思わねーの?」
彗がどう答えるのか、緊張しながら返答を待つ。
一応こいつだって健全な成人男性なわけだし、そういった欲求はあるはずだ。
彼は「ん〜……」と考える素振りを見せた後にあっさりと答えた。
「そりゃしたいよ」
「なんだよ今の間」
俺が思わず突っ込むと、彗は「いや〜、うーん……」と言葉を濁す。
俺の腹の前で組まれた彗の手がモゾモゾと気まずそうに動く。
もしかしたら何か思うところが有るのかもしれない。
「俺になにか不満でもあるのか?」
「不満ってわけじゃないんだけど……でもこんな事言ったら瞬ちゃん怒りそうだしなぁ〜」
彗は俺の耳元で独り言のように呟く。
「怒らないから言ってみろよ」
俺の言葉に促され、彗は渋々といった様子で口を開いた。
「旅行の時、瞬ちゃんが告白してくれたじゃん?」
「ああ」
「あれさ、勢いで言っちゃっただけで本当は後悔してるかもとか考え出したらなんか怖くて」
彗は「えへ」と冗談めかして笑いながらもどこか寂しげに続ける。
「だから本当に瞬ちゃんが俺に恋愛感情を抱いてくれてるのか少し様子見してたっていうか……」
じゃあ、告白直後彗がやたらスキンシップに消極的だったのは奥手だった訳ではなくそういう理由があったからだったのか?
確かにあの時はその場の雰囲気というか、勢いでつい言ってしまったように思われても仕方ない状況だったかもしれない。
でも俺は彗の事が好きだし、これから先もずっと一緒に居たいと心の底から願っていたからこそ勇気を出して告白したのだ。
そんな俺の想いが伝わっていなかったというのは正直ショックだった。
「……つまり彗は俺の気持ちを疑ってたってことか」
「そうじゃないよ。前も言ったけど瞬ちゃんの事は信頼してるし」
「じゃあなんだよ」
「もし一時の気の迷いとかだったら後々瞬ちゃんが正気に戻った時に困ると思ったんだよ。一回でもそういう事しちゃったらもう元の関係には戻れなくなるし」
彗はゆっくりと言葉を選ぶように言った。
その表情は見えないが、きっと困ったように笑っているに違いない。
「じゃあ、俺とそういう行為をしたくないってわけじゃないんだな」
「むしろしたいと思ってるよ。でもね、俺本当は今日……」
「……わかった」
俺は自分自身に対する苛立ちを抑えながらゆっくりと彗の腕を解き立ち上がった。
そして深く深呼吸をしてから彗の方に向き直る。
「立て」
「へっ?あ、はい」
彗は戸惑いつつものたのたと立ち上がる。
「彗」
「……なに?」
「これからはお前が不安に思ってること全部教えろ。俺を気遣ってくれる気持ちは分かったけど勝手に距離置かれるのは寂しい」
俺が真っ直ぐ目を見て告げると、彗は視線を逸らして頬を掻いた。
「……うん。悲しい思いさせてごめんね」
俺はその返事を確認すると、彗の胸ぐらを掴んで引き寄せて唇を奪った。
「……!?」
突然の出来事に驚いているのか彗は目を見開いたまま硬直していた。
咄嗟に伸ばされた両手は俺の肩に添えられているものの、抵抗する気配は無い。
しばらくしてから解放すると、彗はようやく状況を理解したようでみるみると顔が赤くなっていった。
「……え、あ、……?」
彗は口元を手で覆いながらへたりと床に座り込んだ。
きっと俺もこいつと同じように耳まで赤くなっているに違いない。
全力疾走した後みたいに心臓がバクバクと脈打っているのが分かった。
「俺は最初からずっと正気だ。分かったか」
俺が尋ねると彗は無言でぶんぶんと首を縦に振る。
その反応を見て俺がホッと息をつくと、彗は恥ずかしげに視線を落としつつぽつりと呟いた。
「…… 瞬ちゃん強引すぎ」
彗と目線を合わせるために俺もしゃがみ込こむ。
「この1ヶ月間、俺だけが1人で舞い上がってたみたいでショックだったんだからな」
「……うん。ごめんね」
「謝る必要なんて無いけどさ。とにかく今後は1人で抱え込まないこと」
「はい……」
彗は主人に叱られた犬のように小さくなっていた。
つけっぱなしになっているテレビからはスタジオの笑い声が響いている。
「瞬ちゃん」
「ん?」
「実は、なかなか手出せなかった理由もう一つあるんだけど聞いてくれる?」
「おう、なんだよ」
彗は俺の顔色を伺いながらおずおずと切り出す。
「……一度したら抑えが効かなくなりそうで怖くて」
「は?」
「段々色んなものを求めるようになって、いつか瞬ちゃんを困らせちゃうかもとか考えたらどうしても踏み込めなくてさ」
今だってすごく触りたいし、と彗は消え入りそうな声で呟く。
「……お前さぁ」
彗は昔から俺の気持ちばかり優先して自分の欲求は二の次にする悪い癖がある。
俺は大きくため息をつくと、彗の手を取り自分の左胸に当てた。
「瞬ちゃん?」
「俺、お前のことめちゃくちゃ好き」
「……へ?」
「だから遠慮なんてしなくていいよ」
彗が俺のことを想ってくれているのと同じくらい、俺だって彗の事を大切に思っているのだ。
だからこそ、彗に求められるならどんな事でも受け入れようと思っている。
「それに、彗は俺の嫌がることなんて絶対しないだろ」
彗は俺の言葉を聞いて少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐにふわりと微笑む。
「うん。信頼してくれてありがとう。ごめんね」
彗がそう言うと同時に、俺の身体は彗の方に引き寄せられそのまま抱きしめられた。
「瞬ちゃん大好き」
しばらくそうやって抱き合っていると、彗が俺の首筋に顔を埋めながらぽそりと呟いた。
「様子見してたのは事実だけど、本当は今日あたり覚悟決めて迫ろうと思ってたんだよ」
瞬ちゃんに先手打たれちゃったけど、と照れ臭そうに笑う彗に俺は愛しさを感じてしまった。
彗は俺の告白を疑っていたわけではなく、俺を傷つけないようあえて距離を置いてくれていただけだったんだ。
(本当に厄介な幼馴染を持ったな)
俺は彗の背中に腕を回しながら心の中で苦笑した。
「……ねぇ、もう一回キスしていい?」
俺は返事の代わりにそっと体を離し、受け入れる意思を示すように少しだけ顎を上げた。
程なくして柔らかい感触が唇に触れ、角度を変えながら何度も触れるだけの優しい口付けを繰り返す。
やがて彗は名残惜しそうに俺から離れると、額をコツンと合わせてきた。
「どうしよう。このままだと俺止まらなくなっちゃうかもしれない」
「お前は俺を大事にしすぎなんだよ」
呆れたように声をかけると、彗は困ったように笑う。
「だって大好きな人のこと傷つけたくないもん」
「もう充分すぎるくらい大切にされてるけどな」
俺は彗の頬を軽くつねると、今度は自分から軽く口付けた。
「あ、ずれた。ふふ、瞬ちゃんへたくそ」
「仕方ないだろ。初めてなんだから」
「ふーん。そっかぁ、初めてかぁ」
彗は噛み締めるように呟きながらニヤけていた。
「なに笑ってんだ」
「えー?なんのこと?」
「とぼけんな。お前今絶対ニヤニヤしてたろ」
「してませ〜ん」
穏やかな甘い雰囲気の中、俺達はどちらからともなく笑い合った。
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