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〜2時間前・福岡空港 出発ロビー〜
掲示板の表示が変わり、搭乗時刻を告げるアナウンスが流れた。
「お待たせ致しました。只今より、18時10分発、東京国際空港行きNJA268便の搭乗を開始します」
出張帰りのサラリーマン達が席を立ち、既にできている列を見て溜息を吐く。
(ん?)
項垂れた視界の右隅に、見慣れない光景があった。
大勢の警察官が道を開け、黒いスーツ姿に両脇を固められ、頭から布を被った人物。
それを追う沢山のマイクやカメラ。
途切れる事なく、シャッター音が響く。
「ご搭乗の皆様、大変申し訳ございませんが、先に特別なお客様を、搭乗させて頂きます。今暫くお待ちください」
その状況を見て、機転を効かせたベテランの案内係が、危ういところで混乱を防いだ。
それを聞いて、男が動いた。
不意に押されて、左の刑事が倒れる。
片手で布を取り払い、素顔を晒す男。
「悪ィな❗️とくべつだから、先に乗らせてもらうぜ❗️ハハッ」
不敵に笑いながら頭を反らし、鋭い目付きで周りを見下ろす。
「バカ野郎、おとなしくしてやがれ❗️」
右の刑事が強く腕を引き下げ、立ち上がった刑事が、すかさず布を被せて左脇に戻る。
「あれって…確か」
「マジか!ニュースでやってた奴だよな?」
「まさか、殺人鬼と同じ飛行機に乗るとは…」
搭乗を待つ客達が動揺し、騒めき立つ。
乗るのをやめ、列を離れる子連れの客もいた。
「皆さん、お静かに!ご安心ください、彼には刑事が3人同行しますので」
年配の刑事が残り、周りをなだめる。
「彼は自供したのですか?」
「福岡に来た目的は?」
「ここでも殺ったのですか?」
当然ながら、報道陣の的になる。
「ここでは、お話しできません。皆さんのご迷惑になるので、お引き取りください」
そう簡単に収まるはずはない。
松永裕二 《ゆうじ》21 歳。
東京国際経済大学に通う学生である。
彼が通うロリータクラブの店員が、彼の醜態をSNSへ投稿したことを発端に、様々な憶測や噂が感染する様に広がった。
そしてそれは、今東京で起きている、連続幼女誘拐殺人の犯人像へと導かれ、遂にはパパラッチや報道各社をも動かした。
その理由は一つ。
彼は経済産業大臣、松永久信の一人息子であり、親の名声と金を使って遊び回り、数々の問題を引き起こして、何度か報道もされていたのである。
そんな中、いくつかの写真や動画が、犯行現場近くであることが判明した。
また、車から少女に声をかけるシーンや、犯行時刻に彼の車が何度も目撃され、防犯カメラに映っているのも確認された。
警視庁は、この状況証拠を元に、任意同行の名目で、松永裕二を内部的に指名手配したのである。
奇しくも、福岡へ遊びに来ていたところを、福岡県警により確補された。
当然ながら当人は全ての容疑を否認し、現場近くにいた理由には黙秘した。
すぐさま大臣の手が回り、確たる証拠も自供も得られなかった警察は、釈放する以外に道はなく、逆に東京まで、彼の護衛を命じられたのである。
その彼が乗った268便に、爆弾通報が入った。
更には、旅客機には知らせず、無事に到着できたら、J-TVに松永裕二の独占インタビューをさせる要求まで含まれていた。
操縦席で離陸前のチェックを行う2人。
機長はベテランパイロットの長澤拓巳 45 歳、副操縦士は三石久志 28歳。
「失礼します。機長、特別なお客様のことは、聞いておりませんでしたが…」
チーフCAの松嶋友美 32歳が、不安気な表情で尋ねた。
「ああ、昨夜急に決まった様だ。まだ犯人と決まった訳ではなく、大臣のご子息でもある。慎重な対応をする様に」
「全く迷惑なことですね。そんな奴は貨物室にでも放り込んでおけばいい」
「こら三石、当機に乗った以上、大切なお客様だ、口を慎め」
苦笑いで注意する長澤。
その耳元に寄る松嶋。
「いつもの所で、待ってますね」
「ああ、分かった。そろそろ全員搭乗した頃だ、そっちは任せたぞ」
「了解です」
微笑んで出て行く。
美人CAの後を見送る三石。
「集中しろ、全く…」
長澤には東京に妻子がいたが、子供は手を離れ、夫婦関係は冷めきっていた。
松嶋とは2年ほど前から不倫関係が続いていて、
妻もとっくに勘付いていた。
東京に着いた夜は、赤坂のマンションには帰らず、ホテルで松嶋と過ごすのが常である。
「さて、行くか!」
こうして、羽田で起きる事態など予想できるはずもなく、268便は福岡を発ったのである。
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