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第一章 菅原真希人という少年 1
ここはとあるコンサートホールの控室。
今日は俺のコンサート。
俺のためのコンサート。
メディアが俺に名付けた呼び名はなんだったか……。そうだ、”天才ピアニスト二世”とかそんなんだったはずだ。
この俺の父親、菅原琴雅は世界的なピアニストだった。
そう”だった”だ。
親父は五年前に他界した。
原因は何かの病だが、どの医者に見せても答えは出ず、結局原因不明の不治の病として処理され、ゆっくりと衰弱していき死んでいった。
その時のことはよく覚えている。
俺がちょうど小学六年生のころだ。
親父が他界して、異常な数のマスコミが自宅に押しかけ、俺や母さんにマイクを向けてきた。
無遠慮に、こっちの気も知らないで……。
あの時押し寄せてきたマスコミたちの目は今でも忘れない。
人の死を、人の命を、金儲けの道具としてしか見ていない、あの欲望に染まった絡みつくような視線、熱気。
うんざりだ。
「今日はなぜかいろいろ考えるな……」
俺は不思議に思う。
五年前の親父の死をきっかけに、元々メディアで天才ピアニストとして取り上げられていた俺の扱いが変わった。
世間の俺を見る目が変わった。
父親の死をバネにしてピアノに打ち込む少年として、マスコミはストーリーを描き、視聴者の同情を集め、まるで悲劇の主人公のように扱った。
だからこそこの二、三年は単独公演も増えてきた。
それは今日だって変わらない。
「なーに? めずらしく緊張してるの?」
ふいにかけられた馴染み深い声に振り返ると、幼なじみの早坂天音が控室のドアのあたりで立っていた。
髪は茶髪で、肩ぐらいの長さで切りそろえられている。
同じ学校の制服に身を包み、その整った顔で俺に笑いかける。
早坂天音は俺と同い年。
同じ高校。
同じクラス。
なんなら部活動まで同じ吹奏楽部。
もっとも俺は公演やメディアの仕事が多すぎるせいで、あまり高校には行っていないが……。
そしてなにより、俺と同じくピアニスト。
彼女の奏でる音色は、どれも優しく心地いい。
世間の音に疲れた俺の耳に、癒しを与えてくれる。
しかし単純な力量で言えば、俺と比べるべくもない。
もちろん下手ではない。
むしろ俺は天音の演奏は好きだ。
ただそれでも高校生レベルで上手いという評価なのだ。
俺とは違う。
だけど俺をいつも気にかけてくれる。
住む世界が違っても、何も気にしないで関わってくれる。
今日だって学校を抜け出して、単独公演となった俺の控室までこうして足を運んでいるのだから、よっぽどな世話好きに違いない。
「緊張? 俺が? まさか」
俺は笑顔を顔に張り付け、天音に答える。
本当に俺が緊張しているとは思っていないだろうが、一応否定しておこう。
「だって今日の真希人、なんか気合いの入り方が違うよ?」
天音はさらりとそう告げた。
気合の入り方が違う……?
そうなのかな?
そうかもしれない。
自分ではあまり意識していないつもりだったけれど、普段の公演と一緒かと言えば嘘になる。
「ここはさ……。親父が最後に曲を披露した会場なんだよ」
音英文化会館。
それがこのコンサートホールの名称だ。
親父がまだ元気だったころの最期の演奏。
日本が世界に誇る天才ピアニストの最後の舞台。
「そう……だったんだ。ごめん」
天音は気まずそうに謝る。
「別に気にしてないからいいよ。天音に指摘されるまで、自分でも自身の変化に気がつかなかったぐらいだし」
俺は天音の謝罪を軽く流す。
別にそこまで気にしていない。
しかしこの場所を選んだのはスポンサーだ。
彼らは確実に今回のコンサートもストーリー仕立てにして、ニュースにでもするのだろう。
あいつら大人のそういう汚いところはもううんざりだ。
人の人生をなんだと思っていやがる。
俺は内心、常にこうしたイライラを抱えていた。
常に天才と謳われた親父と比較され、常に悲劇の主人公を求められ、死んだ親父の分まで期待され……。
「その期待値の高さが、俺を陥れたんだぜ?」
「うん? なんか言った?」
「いや、何も言ってないよ。気にしないでくれ」
心の声が本当の声に変わっていたらしい。
あまりイライラし過ぎるのも良くないな。
天音に聞かれたら余計に心配させてしまう。
「そろそろ時間かな?」
天音は携帯の画面を見ながら時刻を告げる。
仕事の時間だと告げる。
まるでマネージャーみたいだなと、心の内でひっそりと笑う。
携帯の画面を俺に向ける彼女の顔は、笑いながらもどこか不安げな、そんな表情。
せっかく顔も整っているのだから、もっと笑ってくれればいいのに……。
早坂天音は端的に言って美少女だと思う。
ピアノの腕こそ天才とは違ったが、それでもその整った綺麗な造形に白い肌が映え、メディアが一時期美少女ピアニストと騒ぎ立てようとしていたほどだった。
「天音はもっと笑えよな。せっかくの美人が台無しだぞ?」
俺は立ち上がりながら口にする。
もうそろそろ演奏だ。
「私笑っているつもりなんだけどな~。どこか心から笑えてないのかな?」
天音には自覚が無いらしい。
「もしかしたら真希人に負い目を感じてるのかもね」
「負い目? なんの?」
何かあっただろうか?
本気で分からない。
「憶えてないの? 昔メディアに取り立てられて、カメラをたくさん向けられた時に私が怖くて泣いちゃった時のこと」
ああ……。
あったなそんなこと。
確か俺と同じコンクールに出場していて、俺と親しくしていたからメディアが寄って来たんだっけ?
小学生の時に、見知らぬ大人達からいくつもカメラを向けられたら、そりゃ泣くだろう。普通だ。いたって普通。
カメラって普通の人が考えるよりも怖いのだ?
「あったけど、それがどうして負い目になるんだ?」
俺はそう言いながら携帯で調べる。
負い目……人に迷惑をかけたりするなどして申し訳ないと思う気持ちのこと。
なるほどなるほど……心当たりが全くないな。
「あの時真希人が、カメラと私の間に立ってくれたでしょ?」
「そうだったかもしれないけど、別に気にするような事じゃ……」
気にするようなことじゃない。
別に誰だってそれくらいするだろうさ。
「それ以降、私には一切マスコミは干渉しなくなった。不思議に思って私はおばさんに聞いたの」
おばさんに聞いた?
俺の母さんに?
何を口走った、あのババア……。
「真希人がマスコミの人たちと交渉したって聞いて……」
喋っちゃったんだ、母さん……。
そんなこと本人に話すなよ。
「分かった。白状する。確かにそういった類の交渉はしました!」
俺はまるで取り調べを受けているかのような気持ちになる。
もうじきコンサートだというのに、一体どういうテンションで挑めばいいんだか……。
「それで真希人ばかりが餌食に……」
「人をエサみたいに言うな」
どうせ何を言ったところで俺には群がって来るんだ。
だけど天音は違う。
容姿が整っているのも理由の一つだが、俺と一緒にいるからというのが主な理由だった。
だから言ったのだ。
「カメラを向ける相手を間違えるな」と。
そう言った俺の言葉の意味を理解した彼らは、それからは俺だけを映すようになった。
もしも言うことを聞かないなら、俺は一切取材にも答える気はなかった。
そんな俺の決意が伝わったんだと思う。
「そんなことよりも時間時間!」
彼女のペースにのせられて話していたら、マジでヤバい時間になっていた。
俺は急いで服を着替え、水を一口含んで控室を出た。
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