白いゼラニウム

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高校の先輩だった悟先輩に誘われるがままに俺は大学のテニスサークルに入った。 そこで、悟先輩に彼女として紹介されたのが薫さんだ。背が高くしっかりとした性格で、でもどこか柔らかい雰囲気を持つ人だと思った。 二人はお似合いのカップルで周りにはいつも人が集まっていた。 薫さんはあまり人付き合いが得意じゃなかった俺に対してもいつも気にかけてくれていて、その人柄に俺は密かに憧れていた。 もちろん、憧れは憧れで俺と薫さんの間に何かがあったわけじゃない。 俺は大学を卒業後、知り合いの伝手で興信所に就職した。自分で言うのも何だが、この職業は性に合っていた。 俺が薫さんと再会したのはそんな興信所の仕事で病院で調査を終えた帰りだった。 「久しぶりだね」 後ろから声をかけられて振り返るとそこにはお腹をお大きくした薫さんがにこやかに笑っていた。 「結婚されてたんですね」 「うん。悟とね。悟の子も、もうすぐ生まれるよ」 愛おしそうにお腹を撫でている薫さんに「おめでとうございます」と祝辞を言う。 ふと薫さんの背後にもう一人女性がいることに気が付いた。 「この人は泉ちゃん。この産婦人科で出会ったんだ。泉ちゃんのところも男の子だっていうから意気投合しちゃって友達になったの」 「泉です」 紹介された泉さんは深々を頭を下げてお辞儀をする。薫さんが明るく朗らかなタイプであれば泉さんは清楚という言葉が似合いそうなタイプの人物だった。 「出産の予定日も一緒で、入院予定のベットも隣同士なんだよ。すごい偶然だよね」 薫さんの言葉に泉さんも微笑む。昔からの友人のように二人は仲がいいように見えた。 「あれ。どうしてお前こんなところにいるんだ? 久しぶりじゃないか!」 また、後ろから声をかけられて振り返ると悟先輩が手を大きく振って駆け寄ってくる。 「悟君。ここ病院だから静かにしないと」 薫さんが注意すると、悟さんは申し訳なさそうに手を合わせながら近寄ってくる。 「ちょっと、仕事で。それよりお子さんもうすぐ生まれるんですね。おめでとうございます」 「ああ。ありがとな!」 例を言いながら俺の肩に手を回してくる。その時視線が一瞬泉さんに向けられる。泉さんも小さくだがにこやかに笑った。 ……嫌な予感がした。職業柄、そういう事に敏感なのだ。この二人は浮気をしていると直感的に感じられた。感じられてしまった。 放置しておけば良かったのだ。仕事として依頼されたわけではないのだから。ただ、薫さんの屈託のない笑顔を思い浮かべると見て見ぬふりはできなかった。 調査を始めてから二週間もすれば浮気の証拠は簡単に手に入れることができた。もともと警戒していなかったのだろう。 ホテルから出てくる写真やキスをしている写真など言い訳ができない程度にはそろえることができた。 俺は悟さんをファミレスに呼び出し話をすることにした。大事にするつもりはなかった。証拠を突き付けることで薫さんにばれる前に浮気をやめてほしかった。 しかし、悟さんは証拠を見せると浮気を認めたうえでやめる気はないとはっきりといった。 「泉の子供は俺の子供なんだ。見捨てるわけにはいかない」 「……でも薫先輩の気持ちはどうなるんですか?」 俺の言葉に悟さんは黙ったまま何も答えなかった。 「悟は何も悪くありませんよ」 突然後ろの席に座っていた女性が立ち上がらると俺たちのテーブルにやってきた。 「母さん」 悟さんが呟く。 「浮気なんてさせるようなことをしている、あの女が悪いのです。浮気されるなんて女としての魅力が足りないのよ。仕事仕事と言って家庭をかえりみないのも気に入らないわ。女は家庭を守るのが本来の役割でしょう!」 鼻息荒くまくしたてる女性を先輩が押しとどめる。 「母さんは帰ってくれ」 「何よ。私はあなたのためを思って……」 「いいから」 悟さんの有無を言わさぬ言葉に母親は不服そうな顔をしたまま店を出て行った。 「どっちも愛しているんだ。上手くやるよ。お前が薫に話すと言うのなら止めはしない。ただ、そうなった時子供はどうなる? そのことをしっかりと考えてくれ」 そう言って悟さんは店を出て行った。 俺は何度も薫さんに浮気のことを話そうとした。実際に何度か家を訪ねたことがある。 薫さんはいつも笑顔で出迎えてくれた。俺は言えなかった。 子供が生まれ、その子供が大きくなるにつれて俺は口に出すことができなくなっていった。 薫さんの家に行っては浮気の話を告げようとする。その度に幸せそうな薫さんの顔と大きくなって懐いてくれるようになった隆の顔を見ると何も言えなかった。 そんな生活が四年ほど続いた時、泉さんの息子さんが病気で亡くなった。もともと体が丈夫ではなかったらしい。肺炎をこじらせた結果あまりに早すぎる死だった。 薫さんはその死を本当に悲しみ泣き――泉さんのことも心配していた。悟さんもかなりショックを受けていた。当然だろう。泉さんの息子は悟さんの息子でもあるのだから。 それから泉さんの様子がおかしくなった。息子を失い。家に引きこもりがちになり、家族が訪ねて行っても泣き喚き、暴れる為手が付けられなくなっていた。 そんな時、薫さんから最近誰かの視線を感じたり、あとをつけられている気がすると相談を受けた。 結論から言えば泉さんだった。息子を失ったショックから正気を失っていた泉さんは息子が死んだ原因が薫さんにあると思い込み後を付け回していたのだ。 俺が泉さんを取り押さえた時、泉さんは包丁を手に持っていた。泉さんは両親が実家に引き取りカウンセリングを受けることになった。 警察に通報しなかったのは薫さんが拒否したからだ。 「息子失った辛さが彼女をそうさせただけだから」 薫さんは豹変してしまった友人を見送りながら悲し気に呟いた。 その事件の半年後、今度は隆がベランダから落ちて死亡してしまった。 まるで引き寄せられるように。
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