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「今日、悟さんは……?」
過去の回想から意識を戻して薫さんに尋ねる。
「仕事に行ってる。あの人も隆を失ってショックが大きいみたいだけど、仕事をしていると気がまぎれるんですって」
「そうですか。実は薫さんに今日話さないといけないことがあるんです」
俺の言葉に薫さんが怪訝そうな顔をした時、タイミング良くインタホーンが鳴った。玄関に向かおうとする薫さんを手で制すると扉が開き悟さんとその母親が部屋に入ってきた。
「あなた。今日は仕事じゃなかったの? それにお義母さんまで」
薫さんは席を立つと二人を出迎える。薫さんが椅子を引くと悟さんが俺をちらりと見て向かい側に座る。
そしてその隣、薫さんが座っていた席に母親が我が物顔で座った。薫さんは一瞬困ったような顔をした後「お茶入れますね」といってキッチンに向かう。
四人分のお茶がテーブルに置かれ、薫さんは空いている俺の隣の席に座った。
「実は悟さんとそのお母さまを呼んだのは俺なんです」
薫さんが意味が分からないと言ったふうに首をかしげる。
「俺は、薫さんにずっと言えなかったことがあります」
薫さんに向き直り目をまっすぐに向けながら言う。
「悟さんは泉さんと浮気をしていました。証拠もここにあります」
浮気の証拠写真の入った茶封筒をテーブルの上に置く。薫さんは驚いたように目を見開くとそっと封筒に手を伸ばす。
写真を確認すると、茶封筒を床の上に落とした。顔が真っ青になっている。
「まさか」
震える声で薫さんが呟く。薫さんも気が付いたのだろう。俺は小さくうなずいて見せる。
「泉さんの息子さんは悟さんの子供です」
薫さんは口元を抑えてうつむく。
「ずっと言おうと思っていながら言えませんでした。本当にすいません」
悟さんは言い訳をするつもりはないのかただ黙って目を閉じている。
「貴方が悪いのよ。貴方に魅力がないから悟が違う女に走るのよ。それに男の浮気は甲斐性よ!」
母親が鼻息荒く言い出す。
「貴方は黙っていてください」
「何よ。貴方!」
俺に向かって席を立ち唾を飛ばしながら叫ぶ母親を見て低い声で悟さんが言う。
「少し黙ってくれ」
悟さんに言われて母親は不機嫌そうな顔をしながらも席に座りなおす
「それで、俺たちを呼んでまでこんな話をするには何かわけがあるのか?」
「……俺は隆は事故死ではなく殺されたと思っています」
その言葉に空気が緊張するのが分かる。
「どういうことだ?」
「隆はベランダから落下しました。警察の見解では当時、部屋には隆しかおらず家の鍵が掛かっていた事、ベランダへつながるドアの鍵が開いていたことから、隆がベランダで一人で遊んでおり、室外機の上に上ってそこから柵を乗り越えてしまったと考え事故と判断しました」
「隆の身長だと柵をそのまま乗り越える事はできないと考えたからだろうと思います。でも、ありえないんですよ。隆は一度室外機の上に登ってベランダに落ちた事があるんです。それ以来室外機の事を怖がって近づかないんです」
俺の言葉の審議を確かめるように悟さんは薫さんに視線を送る。薫さんはうなずく。
「隆は室外機に自力で上ることはできなかった。だから誰かが突き落としたと言いたいのか?」
俺はうなずく。
「しかし、家には鍵が掛かっていたはずだ」
「悟さん。合鍵があるじゃないですか」
「お前」
「悟さん。この家の合鍵を持っているのは誰ですか? 薫さんは当然としても他にもいますよね。そう。泉さんとか」
図星なのか悟さんは黙ったまま答えない。悟さんは泉さんを薫さんが仕事に行っているときにこの家に招き入れていたことを俺は知っている。
「泉が隆を殺したっていうのか」
「泉さんは息子さんが亡くなってから情緒不安定でした。それこそ薫さんに逆ら恨みしてストーカー行為をしてしまうほどには正気を失っていた」
悟さんは考え込むように黙り込む。
「まさか。……本当に?」
「と、犯人は思ってほしかったんだと思います」
「なんだと?」
「泉さんには無理ですよ。泉さんが暴れて取り押さえた時、この家の合鍵は返してもらいましたから」
「え!?」
驚いたのは悟さんでも薫さんでもなかった。
「貴方が隆を突き落としたんでしょう?」
そう言って、俺は悟さんの母親に向き直る。
「ど、どうして私が可愛い孫を殺さないといけないのよ!」
「貴方は隆を可愛がってはいなかったですよね?」
実際、薫さんからも聞いていた。母親は隆を可愛がるどころか蔑むように接していたと。
「……そんなことないわよ。自分の息子の子供なのよ。可愛いに決まってるじゃない」
「悟さんの子供じゃないと思っていたんじゃないですか?」
「何?」
悟さんが俺を睨みつけるように言う。その声にはわずかに怒気が含まれていた。その様子を見て自分に追い風だと見たのか母親は勢いよく立ち上がる。
「そうよ! そこの女は浮気していたのよ。悟。お母さんはあなたの為を思ってやったの。この女は他人の子供を悟に育てさせていたのよ!」
「それは、突き落としたのは認めるという事ですか?」
俺の言葉に母親は大きくうなずく。
「そうよ。私は悪魔の子供を突き落としてやったのよ。私は知ってるんだから。あの子供は悟の子じゃないって」
「そんな。隆は悟さんの子供です。どうしてそんなことを言うんですか!」
ずっと黙っていた薫さんが叫ぶように言った。
「あなた、テレビで親子のDNA鑑定をして親子関係を確認するっていう話を聞いて、親子でDNA鑑定するなんて。って嫌がってじゃない。それは自分たちがDNA鑑定をされると困るからでしょ!」
「あれは、DNA鑑定をするっていうのは相手を疑っているってことだから、それが悲しいと思っただけです」
「だいたい、今日だってそうよ。その男を使って私たちを呼び出して! 私知っているのよ! 浮気相手はその男なんでしょう!」
母親は俺を指さして言う。
「お前! それは本当か!」
悟さんが席を立ちあがり俺の胸倉を掴んで言う。
「落ち着いてください。勘違いですよ」
「嘘つきなさい! 何度も貴方たちが二人で会うのを私は見てたんだから」
「それは本当ですよ。ただし、二人ではなかったはずです。いつも隆か悟さんのどちらかは一緒にいましたよね。それに俺は薫さんに会いに行く日は必ず悟さんに連絡していましたよ」
実際は俺は二人きりにはならないように気にしてはいた。
「そんなの嘘かもしれないじゃない!」
母親は唾を飛ばしながら顔を赤くしながら叫ぶ。
「それに私は確認したのよ。ベランダから突き落とす前に、貴方の写真を見せてこの人を知ってるってね!」
自信満々の顔で俺を睨みつける。
「そうしたらあの子は言ったのよ。パパって! 間違いない証拠なのよ!」
母親は胸を張って勝ち誇った様にいう。しかし、悟さんは怒った様に母親を睨みつけ、薫さんは悲しそうに目を伏せた。
様子がおかしい事に気が付いた母親が怪訝そうに言う。
「な、なによ」
「隆はパパではなく。パパさんって言ったんじゃないですか?」
「そ、そうだけど。それが何よ。同じことじゃない!」
「隆はあまり言葉を話すのが得意じゃない子でした。言葉を話し始めたのも遅い方ではあったし、呂律が上手く回らない事が多かった」
「それが何なのよ!」
母親は焦れた様に叫ぶ。俺は懐から名刺を取り出してテーブルの上に置いた。
「俺の名前は馬場っていうんです。隆はパパではなく馬場って言っていたんですよ」
「は?」
母親は呆然としたまま固まる。
「警察を呼ぼう」
悟さんが冷たく言った。母親はその言葉に驚いたように悟さんを見つめる。
「何を言っているの? 私はあなたの為を思って」
「頼んだ覚えはない」
悟さんの突き放した言葉に母親は呆然とする。
「そんな。私は悪くない。悪いのはそうよ! そう! この女が悪いのよ! あんたが! あんたさえいなければ!」
母親はテーブルの上に置いてあった包丁を掴むと薫さんに飛び掛かる。
「危ない!」
俺が叫んだ時には悟さんが立ち上がって薫さんの前に飛び出していた。ブスリ。と鈍い音がする。
「きゃああああ!!!!!!!!!」
薫さんの悲鳴が響く。悟さんは全身の力が抜け地面に倒れ伏す。胸には包丁が突き立っており、胸が血で染まっていく。
「救急車!」
俺はスマホを取り出して救急に連絡する。
「私は。悪くない」
母親は血まみれの両手を見つめながら何度も何度も呟くように言いながら地面に座り込んでいた。
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