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さわさわと風で木の葉が揺れ、陽の光が地面の上で複雑な模様を描く。何処か遠くで犬が何かに向かって狂ったように吠え立てているのが、微かに聞こえた.
男性教師の滔々とした低い声が、教室内に漂い、眠気を誘う。
窓側、一番後ろの席に座った僕は、半分うとうとと頭を揺らしながら、その声に身を委ねていた。
…………あれ?
違和感を覚え、眠気で重い目で青い空を仰いだ。さっきまでのセミの大合唱が、止んでいた。
だから、あんなに木々のざわめきが誇張されて聞こえたんだ、と一人納得する。
ふと、男性教師の低い声が途切れた。
「夏木。……どうかしたのか。」
眼鏡の奥の瞳が気遣わしげに揺れる。空から彼に視線を戻し、僕はゆっくりと首を横に振った。
「すいません。………少し、ぼうっとしてました。」
口角を上げて見せた。先生は、口を開いて、空気の塊を吸い込んだ。何か言おうとして、
「………。」
結局、何も言わなかった。その鈍重そうな体が、再び黒板に向き直るのを確認して、僕はもう一度窓の外を見た。
「それ」と一瞬、目があった。
幼い子供が粘土をたどたどしくこねて作ったかのような、「それ」と。
不揃いなうろこと流線形の体、立派な尾鰭は魚に似ていなくも、ない。けれども、空を泳ぎ、西瓜を二つ並べたより大きく濁った目を持ち、その身に黒い靄をまとわせるそれを、絶対にだれも魚だとは思えないだろう。
何という生き物なのか、そもそも生き物なのかさえ判然としない「それ」を、僕は「異形」と呼んでいる。
「異形」の白濁し、ぬらぬらとした瞳が、ギョロリ、と教室を睥睨する。
歪なうろこにびっしりと覆われた尻尾が波打つたびに、窓際の花瓶に細かな波紋が起こった。
誰も、悲鳴一つあげない。視界に入ってるはずなのに。
怯えて、声が出ないわけではない。その光景が見慣れた日常だからという理由でも、ない。
ただ、彼らは。
「視えない」だけ。
そっと、息を吐いた。
瞳を伏せ、手元のノートに視線を戻した。シャーペンを、いつの間にか関節が白くなるほど握りしめているのに気がつき、ハッとして指の力を緩める。
視界の端で、「異形」がその不恰好な身体をねじるように動かし、虚空に融けるように消えていくのがわかった。
あの「異形」ルビ カイブツは、ヒトの目には映らない。
心の中で、そう呟いて、自嘲するように唇を歪めた。
「じゃあ、僕は一体何なんだろう。…『普通』のヒトには視えない『異形』が視える僕は……、本当に」
人間なのかな。続いたその台詞は,掠れて音にならなかった。
開け放たれている窓から、風が吹き込んだ。熱気を孕んだ風が、色素の薄い僕の髪を乱す。
やがて、思い出したかのようにセミの声が、また広い校庭に響きわたり始めた。
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