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災難は立て続けに起こるものらしい。
まず、昨夜セットを忘れたせいで、アラームが鳴らずに寝坊した。洗濯物をベランダに干した15分後、ゲリラ豪雨に見舞われ、ほとんどの衣服を洗いなおすはめになった。
昼食のときはそうめんの汁と麦茶を間違え、食後のお楽しみにしていた水出しコーヒーは、ボトルごと倒してすべて台無しにしてしまった。
(ああ、ついていない)
けれども、一番の厄災は出勤後に訪れた。
「……サクラ」
講師用の出入口で、古川亨が待っていた。
「あの……サクラ……」
「……」
「……先生、あのさ……」
「どうしたの、こんなところで」
正しく呼ばれたので、返答する。けれども、亨は「あのさ」を繰り返すばかりで、なかなか続きを言おうとしない。
少し身構えつつも待っていると、彼の目線がちらりと動いた。
(ああ……)
彼が見たのは、佳織の左手だ。
それも、おそらくは薬指──
「この手がどうかしたの?」
「!」
「さっきからジッと見ているよね?」
わざと指輪を見せつけるように、左手を挙げる。
亨の口元が、何かを堪えるかのように大きく歪んだ。
「それ、偽物だよな?」
「……どういう意味?」
「偽物だ……偽物に決まってる! 独身だってバレるとへんなヤツに言い寄られるから、わざと指輪つけたりするって姉ちゃんが言ってた!」
「あいにく、これは本物です」
「……っ、けど……」
「先生には素敵な旦那さんがいます」
だから、君みたいな生徒は迷惑──そう続けようとしたときだった。
「ふざけんなよ!」
遠くから響いた怒鳴り声が、佳織の言葉をさえぎった。
「誤魔化すんじゃねぇ、こっちは何度も夢で見てんだよ! 前世で俺らのことさんざんコケにしやがって……!」
「知らない……そんなの知らない……!」
「お前が知らなくてもこっちは知ってんだよ!」
ドスンッと派手な音が、玄関にまで届く。
「嫌だ……やめて……やめて……っ」
「黙れ、クソが!」
「前世で、お前が俺らにしたことだろうが!」
「退いて」と亨を押しやると、佳織は声のするほうへ駆け出した。
案の定、複数の生徒たちがひとりの男子生徒を袋だたきにしていた。
「やめなさい、あなたたち! なにしてるの!」
「うっせぇ、すっこんでろ、ババア!」
「ババアじゃないでしょ! 早くやめ……」
ゴッ……と鈍い音がした。男子生徒の肘が、こめかみに直撃したせいだ。
視界が大きく揺れて、足元がフラついた。
佳織は、そのまま意識を失った。
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