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玄関をくぐると、リビングからニュースキャスターの声が聞こえてきた。夫の幸喜が、ビールを片手にテレビを観ているのだろう。
──『つまり、これからは「人類」が変わっていく時代だと?』
──『そうです。自分の過去世……いわゆる「前世」を夢でみるというのは、その変化のひとつに過ぎません』
──『そのため、教授はこうした現象を「Uー18症候群」とひとまとめにするべきではないとおっしゃるのですね?』
──『そうです。これからの……いわば次世代の子どもたちは、もっと違う能力をすでに開花している可能性があります。ですから、過去世を観る能力は「過去世症候群」とするべきであり、他のケースについても研究を……』
ただいま、と声をかけると、幸喜はくたびれた部屋着姿で振り返った。
「おかえり。夕飯、温めようか?」
「いいよ、自分でやる」
部屋着に着替え、髪をまとめていたバレッタを外す。緊張しっぱなしだった身体がゆるんだところで、キッチンに足を踏み入れた。
冷蔵庫からおひたしときんぴらごぼうを取り出し、メンチカツを温める。鍋のなかにある汁物は、佳織の好きなかき玉汁だ。
ひととおりの用意を済ませると、それらをトレイに乗せてリビングに向かった。朝食と昼食はダイニングのテーブルで、夕食はリビングのテーブルで食べるのが佳織の習慣だ。
「もしかして、何かトラブルでもあった?」
「え……?」
「いつもより疲れた顔してる」
幸喜は、ほどいたばかりの佳織の髪をくしゃりと掻きまぜた。
「まあ、それなりに」
「生徒と?」
「うん。でも大したことないから」
「そう……」
夫は、それ以上聞くことなく再びテレビ画面に目を向けた。彼女の話に興味がないわけではなく、話したがっていないことを察してくれたのだろう。
彼の、こうした距離の取り方を、佳織は昔から好ましく思っていた。
そう、夫なら、あんなことはしない。
あんな、いきなり抱きついてくるようなこと──
脳裏に浮かんだ光景を、佳織は頭から追い出した。
かき玉汁はやさしい味がして、疲れた心を癒してくれるようだった。
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