第4話

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 禁止されているものほど、なぜ破りたくなってしまうのか。  そんな疑問を、亨は幼なじみにぶつけたことがある。たしか高校にあがる少し前のことだ。昔から──それこそ、前世でもしっかり者だった達也は、亨の疑問にため息をついてみせた。 『知らねぇ。ていうか、ふつう禁止されているものは破らねぇだろ』  当たり前と言わんばかりのその回答に、亨は軽い衝撃を覚えた。  そうか、達也は破らないのか。ちゃんとルールを守るのか。  当時は「マジメだなぁ」と感心したものだが、高校生になった今、破りたくてうずうずしてしまう自分こそが、少数派ではないのかと気づきつつある。  そう、多くの同級生たちは「禁止されているもの」には手を出さない。もし、どうしても手をのばしたくなったとしても、我慢するか、こっそり行為に及ぼうとする。  なので「破りたい」と堂々と公言する者はいない。皆が選ぶのは、あくまで「正しさ」なのだ。  では、自分の「サクラ」への想いはどうなのだろう?  サクラ──今は「佳織」と名乗っている彼女は「大人」で「塾の講師」で「既婚者」だ。高校生の恋愛相手としては、どうやら推奨されないらしい。  なのに、自分が彼女にこだわってしまうのは「禁じられたもの」だからなのか。それゆえに、つい手を伸ばしたくなってしまうのか。 (──違う)  だって、亨にしてみれば、自分とサクラが結ばれることこそが「正しい有り様」なのだ。つまり、この想いそのものは、決して「禁じられたものへの誘惑」ではない。  ただ── (目で追っちゃうのは、なんでだろう)  佳織と距離を置くと決めたのは自分だ。  なのに、離れようとすればするほど、彼女の姿を探してしまう。彼女にしか反応しないセンサーでもついているかのように、この目が佳織に吸い寄せられてしまうのだ。  それは、やはり「禁じられたもの」だからなのか。それとも、もっと違う理由があるのか。  ぐるぐる考えこんでいるうちに、電車は下車駅に到着した。下りる人たちが大方いなくなり、ホームから新たな乗客が乗り込もうとしたところで、亨は自分も下りなければいけなかったことに気がついた。  慌てて駆けだしたせいで、乗り込もうとしていた大学生に舌打ちされた。ごめんなさい、と大声で謝って、亨はそのままコンコースまで駆けおりた。  そうだ、今日は達也がいないのだった。いつもなら、亨がどんなにぼんやりしていても、達也が「下りるぞ」と声をかけてくれるからこんなことにはならないのに。  息をととのえて、いつもの学習塾へと向かう。  少し前まで弾むような足取りで通っていた道のりだが、今はただただ足が重い。  サクラに会えない。会ってはいけない。そう言い聞かせれば言い聞かせるほど、前世の自分が「嘘をつくな」と反発してくるのだ。 (でも、じゃあ、どうすればいいんだよ)  心のままに行動したら、きっとまた彼女を傷つける。夜の公園で目にした、あんな顔はもう二度としてほしくないのに。  数日前、偶然階段で出くわしたときもそうだ。彼女は、ギョッとしたように亨を見ていた。その瞳に揺れていたのは、間違いなく「怯え」だ。その事実が亨をいっそうやるせない気持ちにさせる。 (やっぱり、これでいいんだ)  もう彼女には近づかない。前世の自分がどんなに訴えてきても、彼女とは距離を置くことにしよう。  決意を新たにしたところで、塾に到着した。講師たちの下駄箱を覗き込みたいのを我慢して、亨はまっすぐ教室に向かった。  ドアを開けると、いつもの喧噪が流れてきた──と思いきや、室内のざわめきが、なぜかぴたりとおさまった。  亨は「うん?」と顔をあげた。  数人の生徒たちが、彼と目が合うなり顔を背け、なにやら耳打ちをしはじめる。なかには、ニヤニヤと笑っている者たちもいた。その笑みが、決して良いものではないことを、亨は身をもって知っていた。 (俺、また何かやらかしたかな)  こうしたことは、小学生のころからしばしばあった。自分では気づかないうちに、誰かの地雷を踏み、友人たちから距離を置かれるのだ。  それがなんだったのかは、後日たいてい達也を通して知るのだが、あいにく親友は今この場にはいない。 (まあ、いいか)  明日になってもこの状況が続くなら、達也に相談して原因を探ってもらおう。  のんきにそう考えていたからこそ、塾での勉強を終え、帰宅して夕飯を食べているところに達也が乗り込んできたときは心底驚いた。 「どうしたの、達也」  もしかして、古川家の今晩のおかずが「トンカツ」だと知っていたのだろうか。それなら一切れ──と差しだそうとした亨に、達也は「違う」と短く吐き捨てた。 「お前、それを食い終わったら速攻でうちに来い」 「へっ、どうして?」 「話があるからに決まってんだろ。いいか、早く来いよ」  さらに念押しして、達也はダイニングを出ていった。「あら、達也くん帰っちゃったの?」と、亨の母親は残念そうに首を傾げている。 「なんか、よくわかんないけど『家に来い』だって」 「あら、今から?」 「ん、急用みたい」  うま味があふれるトンカツを噛みしめているはずなのに、亨は知らず渋い顔つきになった。  長い付き合いだからこそ、わかる。達也がああした一方的なふるまいをするときは、たいていよからぬことが起きているのだ。
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