第4話

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 果たして30分後、亨は親友の部屋に顔を出した。 「はい、これ。母ちゃんから」  ひとまず母親に持たされたトンカツの余りを差し出したが、達也は一切れ摘まんだだけで、タッパーの蓋を閉めてしまった。 「とりあえず、そこに座れ」 「うん」  うながされるままベッドに腰を下ろすと、達也はジッと亨を見つめた。 「……え、何?」 「お前、今日塾に行ったよな?」 「うん」 「なんか言われなかったか?」  他の学校のヤツらに、と達也は静かな声で付け加える。  亨は、ハッと顔をあげた。数時間前の出来事が、今更のように脳裏によみがえってきた。 「言われてない! けど、なんか様子がへんだった!」 「『へん』って具体的には?」 「俺が教室に入ったら、皆おしゃべりをやめた! で、一部のヤツらにコソコソされた!」 「だろうな」  達也は小さくため息をつくと、「見ろ」と自分のスマートフォンを差し出してきた。  表示されていたのは、メッセージアプリのトーク画面だ。そこに見覚えのない写真が1枚アップされている。 「これが何?」 「まだ気づかねぇか? とりあえずデカく表示してみろよ」  言われるままに、画像を軽くタップする。  写真が大きく表示された。そこで、ようやく亨は、達也に呼び出された理由を理解した。 「なんだよ、これ」  駅のホームで繰り広げられている、見覚えのあるシチュエイション。  こぼれんばかりに目を見開いた幼なじみに、達也は「やっぱりな」と憂鬱そうに呟いた。 「それ、お前と真田先生だよな?」 「……」 「いつの写真だ?」 「ちょっと前の……俺がサクラ──先生に、謝りにいったときの」  そんな写真が、なぜ達也のもとに送られてきたのか。そもそも、誰がこれを撮影したのか。 「送ってきたのは、隣の高校のヤツだよ。いつも塾で、俺の斜め前に座ってる──」 「知らない。興味ない」 「だったら少しは持てよ。わざわざ報せてくれたんだから」  達也の話によると、その写真はとあるグループトークにあげられたものだったらしい。 「同じ塾に通う隣の高校のやつらだけを集めたグループトークでさ、『拾い画』ってことであげられてたんだと」 「『拾い画』って?」 「ネット上に誰かがあげていた写真を拾ってきたってこと。つまり、これをグループトークに流したヤツが撮ったわけじゃない。──嘘じゃなければな」  付け加えられたその一言に、亨は「どういうこと?」と達也に詰め寄った。 「つまり、そいつが撮ったのに『拾い画』って嘘ついて流したってこと?」 「そうかもしれねぇし、そうじゃないかもしれねぇ。けど、そんなのは今、重要じゃねぇんだよ」  達也は、険しい顔つきでスマートフォンを突きつけた。 「この写真を見て、皆がなんて噂してるかわかるか?」 「……えっ」 「『先生と生徒ってキモい』『未成年に手を出すのは淫行(いんこう)だ』『先生は既婚者だから不倫だ』──お前ら、そんなふうに言われてんの。もっと言っちまうと、先生が圧倒的に悪者にされてんの!」  亨は、言葉を失った。  ただ人を好きになっただけなのに、なぜ「気持ち悪い」と言われなければいけないのだろう。 「不倫なんてしてない。先生と俺、付き合ってない。手も出されてない」  一度だけキスをしたが、それはあくまで自分からで、しかも自分が強引にふるまった結果だ。佳織からされたことは、ただの一度もない。  なのに、なぜ「不倫だ」「淫行だ」と責められなければいけないのか。理不尽なこの状況に、腹が立って仕方がない。 「わかった。俺が皆に説明する」 「無理だって!」 「なんで!? 俺のことじゃん!」 「だからだろうが! お前が『先生とは何もない』って言ったところで、かえって騒動がデカくなるだけだっての!」  達也は、容赦なく吐き捨てた。 「ぶっちゃけ、グループトークで騒いでるやつらは、本当のことなんかどうだっていいんだよ。大事なのは、お前と先生がいやらしい関係だってこと。そういう噂で盛り上がりたいだけ! だから、お前が何を言っても意味がない。どんなにお前が『本当のこと』を伝えたところで、あいつらは一蹴するんだよ。『誤魔化すつもりだ』『言い訳する気だ』って──そのほうが面白いから」  亨は、息をのんだ。自分の真剣な想いが、第三者に「面白さ」として消費されるとは思ってもみなかった。 「もちろん、信じてくれるヤツもいるにはいるだろうけどさ。たとえば、俺にこの写真を送ってきたヤツとか──『これって本当に古川と真田先生?』って確認してきたくらいだし」  けれど、達也に言わせるとそうした者は少数派だ。グループトークで盛り上がっていた者たちの多くは、真実よりも下世話な楽しみが大事で、さらなるネタが投下されるのを待っている。 「だから、今お前が何を言っても意味がない。むしろ『やっぱり怪しい』って火に油を注ぐだけ」  眉間に人差し指を突きつけられて、亨は唇を噛みしめた。  では、どうしろというのだろう。おかしな噂が流れ、主に自分よりも佳織が責められ、なのに真実を話すこともできない──そんな状況で、いったい何をすればいいのか。 「とりあえず何もするな」  親友の答えは、いたってシンプルだった。 「今は動くな。おとなしくしてろ。噂になってるのも気づいてないふりをしろ」 「でも、それじゃ、なにも変わらない!」 「いいんだよ、それで! むしろ、それを狙ってんの!」  達也は、苛立ったように前髪を掻き上げた。 「噂なんて、追加で燃料投下されなければすぐに消える。1ヶ月後には、ほとんどのヤツがどうせ忘れちまってる」 「けど……っ」 「そうするのが一番いいんだよ。とにかくお前は何もするな。しばらくの間、おとなしくしていろ」  わかったな、と念を押されて亨は渋々うなずいた。たしかに、こういうときは達也の言うとおりにしたほうがいいと、経験則から学習済みだ。 「それから、わかってると思うけど──」  語尾を濁した親友に、亨は「先生のこと?」と自ら口にした。 「会わないよ。もう近づかない」 「……」 「ていうか、その前から距離を置いてたじゃん」  独りごちる亨に、達也は「だよな」と目を伏せた。 「とりあえず、噂が消えるまでの辛抱だから」 「わかってるって。ていうか、消えても先生には近づかないけど」  そのほうがいい。そうするしかない。  一方で、漠然とした不安もある。このまま噂が消えるのを待つとして、その間、佳織はどうなるのか。おかしな誤解のせいで傷ついたりはしないか。迷惑をこうむったりはしていないか。あるいは、自分が否定しないことによって、これらの嘘を「真実」にされてしまうことはないのか。  そんな不安を洩らす亨に、達也は「知らねぇよ」とやっぱり素っ気ない。 「先生は先生でなんとかするだろ、俺らと違って大人なんだし」 「でも──」 「前々から何度も言ってるけどさ、先生は『サクラ』じゃない。『真田佳織』っていう別の人間だ。お前が守らなければいけない人でもないし、お前以外に守ってくれる人がすでにいるんだよ」  な、と同意を求める達也に、亨は小さくうなずいた。なにやら必死に声をあげようとしている「もうひとりの自分」に、気づかないふりをして。
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