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果たして30分後、亨は親友の部屋に顔を出した。
「はい、これ。母ちゃんから」
ひとまず母親に持たされたトンカツの余りを差し出したが、達也は一切れ摘まんだだけで、タッパーの蓋を閉めてしまった。
「とりあえず、そこに座れ」
「うん」
うながされるままベッドに腰を下ろすと、達也はジッと亨を見つめた。
「……え、何?」
「お前、今日塾に行ったよな?」
「うん」
「なんか言われなかったか?」
他の学校のヤツらに、と達也は静かな声で付け加える。
亨は、ハッと顔をあげた。数時間前の出来事が、今更のように脳裏によみがえってきた。
「言われてない! けど、なんか様子がへんだった!」
「『へん』って具体的には?」
「俺が教室に入ったら、皆おしゃべりをやめた! で、一部のヤツらにコソコソされた!」
「だろうな」
達也は小さくため息をつくと、「見ろ」と自分のスマートフォンを差し出してきた。
表示されていたのは、メッセージアプリのトーク画面だ。そこに見覚えのない写真が1枚アップされている。
「これが何?」
「まだ気づかねぇか? とりあえずデカく表示してみろよ」
言われるままに、画像を軽くタップする。
写真が大きく表示された。そこで、ようやく亨は、達也に呼び出された理由を理解した。
「なんだよ、これ」
駅のホームで繰り広げられている、見覚えのあるシチュエイション。
こぼれんばかりに目を見開いた幼なじみに、達也は「やっぱりな」と憂鬱そうに呟いた。
「それ、お前と真田先生だよな?」
「……」
「いつの写真だ?」
「ちょっと前の……俺がサクラ──先生に、謝りにいったときの」
そんな写真が、なぜ達也のもとに送られてきたのか。そもそも、誰がこれを撮影したのか。
「送ってきたのは、隣の高校のヤツだよ。いつも塾で、俺の斜め前に座ってる──」
「知らない。興味ない」
「だったら少しは持てよ。わざわざ報せてくれたんだから」
達也の話によると、その写真はとあるグループトークにあげられたものだったらしい。
「同じ塾に通う隣の高校のやつらだけを集めたグループトークでさ、『拾い画』ってことであげられてたんだと」
「『拾い画』って?」
「ネット上に誰かがあげていた写真を拾ってきたってこと。つまり、これをグループトークに流したヤツが撮ったわけじゃない。──嘘じゃなければな」
付け加えられたその一言に、亨は「どういうこと?」と達也に詰め寄った。
「つまり、そいつが撮ったのに『拾い画』って嘘ついて流したってこと?」
「そうかもしれねぇし、そうじゃないかもしれねぇ。けど、そんなのは今、重要じゃねぇんだよ」
達也は、険しい顔つきでスマートフォンを突きつけた。
「この写真を見て、皆がなんて噂してるかわかるか?」
「……えっ」
「『先生と生徒ってキモい』『未成年に手を出すのは淫行だ』『先生は既婚者だから不倫だ』──お前ら、そんなふうに言われてんの。もっと言っちまうと、先生が圧倒的に悪者にされてんの!」
亨は、言葉を失った。
ただ人を好きになっただけなのに、なぜ「気持ち悪い」と言われなければいけないのだろう。
「不倫なんてしてない。先生と俺、付き合ってない。手も出されてない」
一度だけキスをしたが、それはあくまで自分からで、しかも自分が強引にふるまった結果だ。佳織からされたことは、ただの一度もない。
なのに、なぜ「不倫だ」「淫行だ」と責められなければいけないのか。理不尽なこの状況に、腹が立って仕方がない。
「わかった。俺が皆に説明する」
「無理だって!」
「なんで!? 俺のことじゃん!」
「だからだろうが! お前が『先生とは何もない』って言ったところで、かえって騒動がデカくなるだけだっての!」
達也は、容赦なく吐き捨てた。
「ぶっちゃけ、グループトークで騒いでるやつらは、本当のことなんかどうだっていいんだよ。大事なのは、お前と先生がいやらしい関係だってこと。そういう噂で盛り上がりたいだけ! だから、お前が何を言っても意味がない。どんなにお前が『本当のこと』を伝えたところで、あいつらは一蹴するんだよ。『誤魔化すつもりだ』『言い訳する気だ』って──そのほうが面白いから」
亨は、息をのんだ。自分の真剣な想いが、第三者に「面白さ」として消費されるとは思ってもみなかった。
「もちろん、信じてくれるヤツもいるにはいるだろうけどさ。たとえば、俺にこの写真を送ってきたヤツとか──『これって本当に古川と真田先生?』って確認してきたくらいだし」
けれど、達也に言わせるとそうした者は少数派だ。グループトークで盛り上がっていた者たちの多くは、真実よりも下世話な楽しみが大事で、さらなるネタが投下されるのを待っている。
「だから、今お前が何を言っても意味がない。むしろ『やっぱり怪しい』って火に油を注ぐだけ」
眉間に人差し指を突きつけられて、亨は唇を噛みしめた。
では、どうしろというのだろう。おかしな噂が流れ、主に自分よりも佳織が責められ、なのに真実を話すこともできない──そんな状況で、いったい何をすればいいのか。
「とりあえず何もするな」
親友の答えは、いたってシンプルだった。
「今は動くな。おとなしくしてろ。噂になってるのも気づいてないふりをしろ」
「でも、それじゃ、なにも変わらない!」
「いいんだよ、それで! むしろ、それを狙ってんの!」
達也は、苛立ったように前髪を掻き上げた。
「噂なんて、追加で燃料投下されなければすぐに消える。1ヶ月後には、ほとんどのヤツがどうせ忘れちまってる」
「けど……っ」
「そうするのが一番いいんだよ。とにかくお前は何もするな。しばらくの間、おとなしくしていろ」
わかったな、と念を押されて亨は渋々うなずいた。たしかに、こういうときは達也の言うとおりにしたほうがいいと、経験則から学習済みだ。
「それから、わかってると思うけど──」
語尾を濁した親友に、亨は「先生のこと?」と自ら口にした。
「会わないよ。もう近づかない」
「……」
「ていうか、その前から距離を置いてたじゃん」
独りごちる亨に、達也は「だよな」と目を伏せた。
「とりあえず、噂が消えるまでの辛抱だから」
「わかってるって。ていうか、消えても先生には近づかないけど」
そのほうがいい。そうするしかない。
一方で、漠然とした不安もある。このまま噂が消えるのを待つとして、その間、佳織はどうなるのか。おかしな誤解のせいで傷ついたりはしないか。迷惑をこうむったりはしていないか。あるいは、自分が否定しないことによって、これらの嘘を「真実」にされてしまうことはないのか。
そんな不安を洩らす亨に、達也は「知らねぇよ」とやっぱり素っ気ない。
「先生は先生でなんとかするだろ、俺らと違って大人なんだし」
「でも──」
「前々から何度も言ってるけどさ、先生は『サクラ』じゃない。『真田佳織』っていう別の人間だ。お前が守らなければいけない人でもないし、お前以外に守ってくれる人がすでにいるんだよ」
な、と同意を求める達也に、亨は小さくうなずいた。なにやら必死に声をあげようとしている「もうひとりの自分」に、気づかないふりをして。
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