第4話

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 その日、亨はひとりで学習塾の自習室にいた。なんてことはない、講義の時間割を勘違いして、実際の開始時間よりだいぶ早く来てしまったのだ。 (達也がいたら、注意してくれたのになぁ)  あいにく、彼は昨日から風邪で学校を休んでいる。とはいえ「やっと熱が下がった」とのメッセージが届いていたから、明日は登校するのだろう。  亨は、開いたテキストをぼんやりと眺めた。彼以外、誰もいない自習室は、あまりにも静かでかえって落ち着かない。 (サクラ、何してるのかなぁ)  講師室に行けば会えるだろうか──そう考えたところで、亨は慌てて首を振った。彼女にはもう近づかないと決意したはずだ。「我慢、我慢」と言い聞かせて、耳栓がわりのワイヤレスイヤホンに手を伸ばす。 「あ……」  Lと記されたイヤホンが、こぼれるように床に転がり落ちた。  亨は、背を丸めて机の下に潜り込む。「どこだろう」と探しているうちに、自習室のドアが開く音がした。 「マジか……本当に机のなかに入れてきたんだ?」 「まあね。ちょうど真田先生もいなかったし」  ふいに聞こえたその名前に、亨ははたと手を止めた。  そのまま耳を澄ませていると、どさ、どさ、と荷物を置く音がした。どうやら入ってきたのは、男子生徒ふたりのようだ。 「けど、お前、そんなゲスいヤツだったっけ?」 「さあ、どうだろう? とりあえず、前世の僕はずいぶんひどいヤツだったみたいだよ」  でもさ、とその声の主は、どこかやさぐれたように続けた。 「悪いのは真田先生だよね? 生徒に手を出したわけだから」  今度こそ、亨は身体を強ばらせた。  今、彼らが話題にしているのは、十中八九、自分と佳織のことだ。  しかも、彼らは自習室に入ってくる際にこう言っていなかっただろうか。「机のなかに入れてきた」──と。 (なんだよ、それ……何をいれてきたんだよ?)  おそらく、あまりいい感じのものではない。それくらいのことは、人の機微に疎い亨でも察することができる。  震える手を握りしめて、亨は必死に耳を澄ませる。彼らは、まだ自分たち以外の人間が自習室にいることに気づいていないようだ。 「けどさ、この程度だとあまり面白くないんだよね」 「というと?」 「前回、机に写真を仕込んだときは、先生めちゃくちゃビビってたけど。それ以外の反応は特になかったし」 「ネットに流したやつは?」 「それが、思ったよりも広がらなくてさ。一部のヤツらが騒いで終わっちゃったっていうか」  亨は、息をのんだ。 (こいつだ)  この生徒が、例の写真をインターネット上にアップしたのだ。しかも、彼はまたもや佳織に何かをしたらしい。  亨は、握りしめていた手に力を込めた。  もし、この場に達也がいれば、的確な指示を与えてくれたに違いない。けれど、今ここにいるのは亨ひとりで、彼の心はすでに怒りに支配されていた。 「あーもっと拡散されないかなぁ」  写真をアップしたと思われる生徒が、のんきな声をあげた。 「僕の裏アカ、フォロワー少ないからさ。写真をアップしてもあまり広がらないんだよね」 「だったら物理で広げれば?」  もうひとりの生徒が、事もなげに言った。 「例の真田と古川の写真、大量にコピーしてバラ巻いてやればいいじゃん」
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