第1話

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 講師室に入るなり、佳織は乱暴に椅子を引いた。年配の男性講師が、驚いたように顔をあげた。 「どうしました、(さな)()先生」 「すみません。最近へんな子につきまとわれていて」 「誰です?」 「名前は聞いてなくて……ただ、どうもUー18症候群の子みたいで」  隣の女性講師が「あっ」と声をあげた。 「もしかして、最近よく先生と一緒にいる子ですか? 背が高くて短髪で、目鼻立ちがはっきりした……」 「たぶん、その子です」 「やっぱり。古川(ふるかわ)くんですね、古川(とおる)」 (古川(ふるかわ)……(とおる)?)  その名前に、なぜか違和感を覚えた。彼に合わない、あるいは他にもっとしっくりくる名前があるような…… 「そっか、古川くんもUー18症候群だったんですね。まいったなぁ」  彼女がため息をついたのにはわけがある。つい先日、T大法学部を目指していたUー18症候群の生徒が、いきなり「塾を辞める」と言いだしたのだ。理由は「美大を受験することにしたから」。ところが、保護者はそのことを把握しておらず、塾を巻き込んでのトラブルとなった。 「3年の途中でいきなり美大に行きたいなんて、親御さんとしては頭を抱えたくもなるよなぁ」 「本気で目指している子たちは、もっと早くから準備しているって言いますしね」 「しかも、美大に行きたい理由が『前世で陶芸家だったから』って……俺みたいなおじさんには理解できないよ」 「先生に限らず、たいていの大人はそうですよ。私にだって理解できません」  ふたりの会話に、佳織もうなずいた。バカげたオカルト話で人生を棒に振るなんて、本当にどうかしている。 「で、その古川くんとやらはどこ志望なの?」 「第一志望はW大ですね。しかも今のところ合格圏内」 「だったら、なおさら進路変更は勘弁してほしいよねぇ」 「そうですよ。偏差値70もあったのに、馬鹿げた夢のせいで美大を受験するとか、そんなのもうお腹いっぱいですよ〜」  同僚たちの愚痴を聞きながら、佳織は十数分前のことを思い出す。  自分より大きな体躯、濁りのない眼差し、初めて目にした眉間のしわ── (古川、亨)  ダメだ、やはりピンとこない。  では、なぜ違和感があるのかと問われても、今の佳織には答えられないのだけれど。
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