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「先生、おつかれー」
例の少年──古川亨が再び佳織の前に現れたのは、その日の終業後のことだった。
「古川くん……」
思わず洩らすと、彼は「えっ」と目を丸くした。
「どうして俺の名前知ってんの?」
「田中先生が教えてくれたから」
「そうなんだ?」
嬉しい、と笑う顔に邪気はない。幼さの残る、実に高校生らしいものだ。
「あ、ちなみに、俺の前世の名前は……」
「そういうのはいいから。早く帰りなさい」
時刻は、すでに22時を過ぎている。高校生がウロウロするのを許される時間帯ではない。
「あ、待って。今日は先生に紹介したいやつがいてさ」
おーい、と彼が声をかけたのは、ガードレールに腰かけていた少年だった。
「こいつ、達也! 前世の名前はカゲロー……」
「その名前バラすな。好きじゃねーって言ってんだろ」
達也と呼ばれた少年は、容赦なく亨の尻を蹴り上げた。
「痛っ……て! 暴力反対!」
「お前がよけいなことを言うからだろうが」
それから佳織に目を向けると、申し訳程度に「どうも」と頭を下げた。
「こんばんは。2年生?」
「まあ……そうっすね」
「達也、先生のことよく見て!」
亨は、ねだるように達也の腕を揺すった。
「な、な? 絶対に『サクラ』だろ?」
「まあ──そうかもな」
「かもじゃない! 絶対にそう!」
「うるせぇ、耳元で騒ぐな!」
二度目の蹴りを入れられて、亨は「ぎゃんっ」と悲鳴をあげた。
こうして見ている分には、ふたりともごくふつうの男子高校生だ。ただ、達也と呼ばれた少年も、前世の話を当たり前のように受け入れていた。ということは、彼もまたUー18症候群なのだろう。
「つーか、もう帰ろうぜ。先生も困ってんだろ」
「えっ、やだやだ、もっとサクラと話がしたい!」
「10時過ぎてんじゃん、母ちゃんに怒られるっての。それに……」
達也の目が、ちらりと佳織の左手に向けられた。
「先生だって、旦那さんや子どもが待ってんだろ」
「えっ……」
「薬指。指輪してんじゃん」
聡い子だ。彼の指摘を肯定するように、佳織は左手をあげて見せた。
「うそ……なんで?」
亨は、呆然としたように指輪を見た。
「ほんとに? サクラ、ほんとに結婚してんの?」
「していてもおかしくないだろ。先生、大人なんだし」
「やだやだ、なんで? 誰と? 俺の知ってるやつ?」
「じゃあ、先生、俺ら帰るんで……」
達也は、亨の腕を引いて去ろうとする。けれども、彼は叫ぶのをやめようとしない。
「なんで? 俺と出会えなかったから?」
まっすぐな、心を射貫くような目。
「答えてよ、サクラ! 俺が生まれてくるのが遅かったせい!?」
「おい、いい加減に……」
「俺に会えなくてさみしかったの!? 辛かったの!? だからサクラは結婚しちゃったの!?」
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