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プロローグ
パーン! !
「やっぱり! 最っ低! さよなら!」
週末の金曜日。人が溢れる夜の繁華街に、乾いた音と女の叫び声が響き渡った。周りにいる人や通りを行き交う人が皆、振り返る。その視線は、今、澪の目の前にいる男に向けられていた。
澪と男がレストランで食事をし、店を出て少し向かい合って話をしている時にそれは起こった。右側から1人の女性が真っ直ぐ早足で近づいて来るのが見え、澪は女性を通すため1歩後ろに下がった。
だが女性は通り過ぎる事なく男の前で立ち止まり、突然、右手を振り上げ男の頬を張ったのだ。そして憎しみを込めたように叫び、来た道を早足で去って行った。
突然の事に驚き、左頬を赤く染め呆然と立ち尽くす男。澪は呆れたようにため息をつき、目の前のその男に冷たく言った。
「何? さっきの女性。まるで彼女のような態度だったけど?」
男は動揺しているのか、目を合わせようとせずうつむく。
「まさか二股? 最低ね。彼女も別れて正解だわ。私ともこれでさよならね」
澪は男にそう言い捨て、その場から立ち去り大通りで手を挙げ、タクシーを停め乗り込んだ。運転手に行先を伝え走り出すと、澪は振り返りリアガラスから男を見る。男は肩を落としてうつむいたまま、反対方向に歩いて行った。
(追いかけては来ないわね。よし、これで完了…)
タクシーは少し暗い雑居ビルの前で停まる。澪は料金を支払い領収書を受け取って、タクシーを降りた。
4階建てのビルには、企業の看板は1つも出ていない。澪は2階に灯りが点いているのを確認して、ビルの右横にある鉄階段を上がる。
カツンカツンと闇夜にヒールの音が響く。2階へ着くと、鉄の扉を開け中に入った。澪の鼻先にコーヒーの香りが触れる。トレーに3つのティーカップを乗せて持ち、出入り口に立つ澪を笑顔で迎える。
「お帰り。お疲れー」
澪に声をかけ前を通り過ぎ、部屋の奥へ向かう女性。澪の親友、西原 桜だ。
「ただいま…」
呟くように言って中へ進み、向かい合って並んでいる4台のデスクの1つに鞄を置いた。
「澪、こっち」
西原が奥の応接室のドアを開け、澪を呼ぶ。澪は鞄を置いて奥へ向かい、西原のあとに続いて応接室に入りドアを閉めた。ローテーブルを挟んだ向こう側のソファーに、ついさっき繁華街で男の頬を平手打ちした女性が座っている。
西原が女性の前にそっとカップを置き、手前に2つカップを置いて、女性と向かい合わせでソファーに座った。
「どうぞ。今、町田も戻って来ましたので、ひと息ついてから話をさせて頂きますね」
女性にそう言って西原はカップを持ち、コーヒーを啜った。澪は西原の隣に腰を下ろし、テーブルの上のカップに手を伸ばす。その時、女性が勢いよく頭を下げて言った。
「ありがとうございました! お陰でスッキリしました。これでやっと別れられました!」
澪は女性に優しく微笑み、声をかける。
「よかった。これからは、幸せになって下さいね」
「はいっ! 本当にありがとうございました」
女性は目に涙を浮かばせ笑顔を見せた。
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