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―2.駆け引きって、どうやるの?―
最初の交渉は、玄関口で済ませることになった。
宰相として名乗る男が来て、邸の中に入ろうとしたり、なんとか自分たちに有利な条件を呑み込ませようとしたようだが、こちらからは、請求を突き付けるだけだ。
「ひとつ、この屋敷を無償で提供すること。ひとつ、必要な使用人を据え置くこと。ひとつ、屋敷の維持に必要な燃料と飲料水と生活用水を常に充足させておくこと。ひとつ、毎日3食、50人分を賄える食料を配送すること。ひとつ、城下を自由に歩き回れる、平民以上の服装を、男物で100着、女物で100着、用意すること。これには、下着や靴、帽子なども含み、寝間着は男女に50着ずつ用意すること。高級品は求めないが、品質の悪過ぎる物に対しては、ひとつひとつの指摘は行わないが、記録して、あなた方の不誠実として積み重ねていく。当然、内容によっては、ひとつの瑕疵がこちらの行動を決定付ける物にもなる。そこは、最初に断っておく」
はきはきと、物申すのは、トールだ。
日本語なら、とおる、と発音すべきところを、若干変えることで手を打ったらしい。
「それと、装備品を整えること。各自、1人旅が出来る程度のものを求める。これも、50人分だ。旅ができなければいけないので、それなりの金額と、携帯食料も、1人につき10日分を求める。以上の数量は、一度、要求通りに揃えてくれ。俺たち自身に必要がなければ、余った分は、必要な時に、必要な国民に無料で与える場合がある。その程度の出費は、国家として呑み込むべき負担だ。自分たちの国民に還元されるなら、文句を言う筋合いじゃないだろう。それと、ここは安全な国じゃないと思うから、武器と、それを装備する道具を求める。それと、移動手段を、常に使える状態で用意しておくこと。あんたたちが揃える物品は、今のところ、以上だ。最初に請求したように、城下を自由に歩き回れるだけの服装と、金と武器を含む装備は、先に10人分を求める。次の会見は、それらが揃ってから、行うことにする。今回は、以上だ。帰って、急いで準備してくれ。じゃあな」
それだけ言うと、トールは、相手の眼前で扉を、ぱたりと閉めた。
宰相とやらは、終始、ぼんやり口を開けていたが、横に居た男たちが、懸命に書き留めていたので、まあ、大丈夫だろう。
トールは、少し扉から離れると、ふいーっ、と、息をついた。
「すっ!すごいねえ…っ!」
タイスケの声に、トールは、急いで返す。
「しっ。外に聞こえるかも。場所を変えようぜ」
タイスケは、慌てて口を押さえ、立ち会っていた者たちは、トールに釣られて急ぎ足で居間に戻った。
その途中、トールは、控えていた執事のエルガーに、20人程度で使う会見の場を整えてくれ、と頼んだ。
居間には、地図を持って戻った一団が居て、どうだったと聞いてくるところを見ると、玄関での遣り取りを知りつつ、後回しにしたのだろう。
「取り敢えず、請求だけはしといた。それで、この国の国名とか、分かった?」
先頭になっていたトールに聞かれて、答えたのは、先ほど、率先して地図を探そうと手を挙げた女子だ。
「うん、小間使いの人に、色々聞けたよ。ここは、えっとね、ここに書いてあるけど、五つある大陸のうちのひとつで、ベリツィア大陸って言うの。この中央の東隣の大陸。大陸は、みんな大体、菱形らしいんだけど、この国は、ここ、中央の大陸に繋がってるとこの、すぐ南。ここから、ずーっと南端まで、私たちが今居るセブンスティル王国なんだって。海側は全部、人の領域らしいけど、この、中央の火山帯に向かって、強力な霊獣が、たくさん住んでて、時々、数が増えた霊獣なんかが、人の町とかを自分たちの縄張りにしちゃうんだって。でも、こっちの人は、霊獣1体相手にするだけでも、何十人て必要らしくって、それが、異世界人だと、1人でも、なんとかできたりするんだって。まあ、普通は、4、5人で、ひとつのクーリアって数えて、余裕を持って討伐するものなんだって」
「要するに、俺たちは害獣駆除に呼ばれたってわけ?」
彼女は、なんとも言えないような顔で、そうみたいだねと言って、笑った。
「魔族とかじゃなくて、ちょっとよかったかも。あ、こっちは、魔力とか魔獣とかじゃなくて、霊力、霊獣なんだね。なんか、翻訳がそうなってるね。こっちは、霊力体系って、基礎知識の本っぽい。こっちは、霊獣図鑑ね」
「おお!助かる!」
トールと、タイスケの声が重なり、迷わず霊獣図鑑に手を伸ばす。
2人は、顔を見合わせて笑い、タイスケが素早く、俺は地図を見るよと言った。
「それで、ここは王都だよな?どの町?」
タイスケの質問に、淀みなく返してくれる彼女の名が、気になった。
「うん、大体真ん中の、ここ。ツィベラヒムって言うらしい。で、この、もうちょっと火山帯に近付いた、この、五つの砦のある町が、前線基地みたいで、大体、みんな、異世界人は、しばらくすると、そっちに分けて配備されるらしい。いつも、呼び出すのは50人くらいで、10人ずつに分けて、2クーリアで交替とか、2ヵ所に同時出動とか、そんな感じらしい。1ヵ所で、あんまり霊獣の数が多いと、そっちに適宜派遣みたいだね」
「だいぶ詳しく聞けたね…」
「うん。なんか、小間使いさん、マティーナさんって人なんだけど、お爺さんが異世界人だったらしい。前回は、150年ぐらい前に、また霊獣の活動が活発になって、呼ばれて来たらしいけど、やっぱり、隷従させられてたらしくって、多少の自由はあったけど、結婚相手を選べるとかね、でも、子孫を残すことは強制だったんだって、その人が亡くなった後に、お婆さんが言ってたらしい。討伐なんかも、強制力が強かったみたいだよ。ある程度は、自力で抵抗できたみたいなんだけどね、それも、人によるみたいで、抵抗力の弱かった人なんかは、戦闘能力も低めとかで、結構、待遇が酷かったらしい。あの時、止めてくれて、ほんとにありがとね…」
「それは、カナエちゃんに…あっ、そうか、つい、言っちゃってた。カナちゃん、とかがよかったね」
「ああ、うん。でもまあ、私は本名、知っていたいな」
ふふっと笑って、彼女は、地図に視線を落とした。
「それで、異世界人を、こんなに大量に呼び出すのは、この国だけなんだけど、ほかの国は、1国に1人とかで、呼べないか、呼ばない国とかもあるらしい。それで、たまに、1人で1クーリア扱いとか、2、3人とかで1クーリアを作って、ほかの国に報酬と引き換えに派遣することもあるんだって。もちろん、報酬なんて、王様の懐なんだろうけど」
「じゃあ、今回も、そういう要請が来る?」
「そう思う。でも今回は、直接、私たちに交渉権があるよね」
タイスケは、胸が、ひやっとした後、ほっと安心するのを感じた。
「ほんと、カナちゃんには、感謝だ。僕、隣で見てるだけだったもん。すごいよ、彼女…」
「よくあんなことできたね…」
「あ、うん。分かんないけど、多分、ここまでの転移だけでも、相当、霊力使うと思うし、彼女のステータス、霊力は、かなりかも…」
「そっか。なんか、比較とかしたいけど、低過ぎるとショックだよね…」
「うん。それは、これから考えていこう。で、と…あとは、何かある?」
「あ、うん。一応、不可侵誓約って言うのがあるみたいでね、国境線は変わらないんだって。なんか、神様的な力が働くみたいだよ。それで、国同士の争いは無いみたいなんだけど、貿易なんかで不利とか、国ごとに、強い、弱いはあるんだって。特に海は、国が海賊を認めちゃってて、相手構わず襲って、襲撃した海域が領海内でも、隣国に逃げ込めば、攻撃が弾かれるらしい。それもあって、公海上の方が、安全って見方が強いらしいね。友好国だと、襲われないけど、ほんとに信用できないなら、すごい大回りして公海まで出た方がいいの。だから、この国だと、同じ大陸との取引より、航路が直線で済む、隣の大陸とか、こっちの、斜め下の、南の大陸とかとの取引の方が盛んなんだって。まあ、航路が限られるから、それはそれで、襲われる理由にもなるんだけど」
「なるほど…え、でも、国が認めてるってことは、僕たちが海賊やらされるってことは…」
「うーん…。無いとは、言えないのかも…。でも、国民としては、霊獣の方が、優先して欲しいことだと思うよ。海賊は、海に出ないと襲われないけど、霊獣は、自分の家に居ても、襲われるんだもん…」
「うー…ん…。それって、為政者次第って、感じだよね…」
「まあね…」
言葉が途切れて、タイスケは、はっと、思い出した。
「そうだ、名前教えて!僕は、タイ…で、いいかな。なんか、止め難いよね」
「そうだね。タイ君でいい?なんか、見た目、年下なもんだから…」
タイスケも、察して頷く。
「僕から見ても、君は年下だよ。そうだ、みんな15歳になってる?」
「ああ、うん。そうみたいだよ。なんか、こっちでは、それが成人みたいだよ。小さな村なんかでは、外に出ないんなら、結婚して子供産むのが普通なんだって、女の子は」
「そうなんだ…男は?」
「大体、10歳になったら、親の手伝いから、人脈を広げて、村の中で仕事を見付けられなかったりしたら、15歳で、村に残るか、町に出て、どっかの…なん…って言ったかなあ…なんか、組合って訳されてたけど、コレ、コ、レ、ギウム、そう、コレギウム!に、登録するんだって。なんか、色々あるらしいよ。転生モノに、よくある、冒険者とか…私たち、転生…なんだよね?死んだ覚えないんだけど…」
「うん。僕もそう。最後の記憶は、確かに疲れてたし、なんか色々、いっぱいいっぱいではあったけど、確実に、家に辿り着いて、食事してシャワー浴びて、寝たのを覚えてる。でもまあ、年が年だから、心不全とかでぽっくりは、あるだろうけどね…」
ははと笑いながら、結局、名前を聞きそびれたなと思うタイスケだ。
「ええー…、何歳…っていやいいや、折角、若くなったんだから、15歳にしとこ。そうだ、私の名前、みつ…みつ…ミツにしようかな?」
「えっ、私もミツにしようと思ってた」
女子の1人が声を上げ、互いに顔を見合わせる。
「えっ、マジ?」
声を上げた女子は、う、うん…、と、困ったような顔だ。
「ええ?じゃあ、私、ミ、ミぃ…ええっと、どうしよ…」
男子の1人が口を挟んだ。
「んじゃ、どっちか、ミィにすれば?」
「ミ、ミィ??いや、いくらなんでも、それは…」
「うーん。俺はルゥにしたけど、ミィだと、ちょっと、動物の、猫の鳴き声っぽいよな。猫の名前っぽくもあるよな」
ルゥが言った。
彼の本名は、羽場衛なので、前の2文字を使うことに抵抗があり、残った、る、を使ったのだった。
「うん…それはそれでかわいいけど、やっぱ、鳴き声ってのは、ちょっと名前にはね…」
彼女の本名は、茅島美月。
ミツキ、が呼ばれ慣れているのだが、利用されるかもしれないとなると、かなり不安だ。
それに、正式名の真名まで当てられてしまうと思うので、余計に、これ以上は情報を明かしたくない。
「じゃあ、私、ミィにする。別に嫌じゃないし、おばあちゃんが、そんな呼び方で、抵抗ないから」
彼女の本名は、住良木美都子。
祖母は適当な人で、彼女のことは、みっこちゃんとか、呼ぶこともそれなりにあったが、みぃちゃんとか、みぃこちゃんとか、そちら寄りに多かったのだ。
「え!?ほんと!?ありがとう…いいの?無理とかしてない?」
「うん、全然。大丈夫だよー。でも、そっか、体が全然変わったから、私も、死んで転生って思ったけど、どっちかと言うと、転移なのかなあ…」
皆、着替えの時に鏡を確かめたのだが、若い頃の自分の姿でもなく、全くの別人、それどころか、日本人の特徴は、黒髪と黒目だけで、それだって、ここまでの漆黒は、そうは見ない。
顔は日本人寄りとも言えるけれど、輪郭が際立ち、彫りが深い、とまでは言わないが、どちらかと言えば、この国で出会った人々に寄っている。
特有の黄色人種の肌色ではなく、黄みが抜けているのか、桜の花の、本当に薄く、赤が差した色が近い。
その肌色も、どうやら、この国の人々に近く、やや色白かという塩梅だ。
背丈は、たぶん、高め。
15歳なのに、成人女性の目線が、やや低く、今は男女差が無い。
謁見の間に集まっていた、貴族らしい男たちとも変わらず、けれども、少しなり、鍛えているだろう衛士たちよりは、確実に頭ひとつ分ぐらい小さかった。
タイスケは言った。
「たぶん、もう、転生なんだろうな。前の世界では、生きてても、この体になる時に、一旦、終わったんだと思う。僕は、転生って思うことにした。それに、カナちゃんが言ってた、って言うか、あの時の怒りの感情が、本物に見えたんだよね。二度と戻れないっていうのは、こういうことなんじゃないかな。僕たちはもう、元の体に戻ることができないって…」
しん、と静まり、伸し掛かる現実に、耐える時間が、しばらく。
ふと、人声がした気がして、タイスケが振り向くと、遠慮がちに扉が叩かれ、2階に行っていたカナエたちが姿を現した。
「邪魔しちゃった?ごめんね」
そう言うカナエは、何か、丸い、青色の透明な球体を両手で支えていた。
大きさは、彼女の小さな顔より、小さいけれど、それでも、片手で持てる軽さには見えない、貴石のような虹色の輝きがあった。
「いいや、大丈夫。体は?平気?」
「うん、全然。そんなに霊力が減ったわけじゃないんだけど、ちょっと、それより、喋ったことの方が痛くてね…私、精神力なくて」
情けないように笑って、近付いてきたカナエは、手に持っていた球体を、中央の机の上に置いた。
「まだ、霊力の使い方が判ってないから、中途半端なものなんだけど、この邸の…敷地と思った所で、区切って、結界を張ってみた。後で、出入りできるか確かめないといけないんだけど、結界の仕様をこの球の中央にあるでしょ?こっちの青い球に刻んで、外側の部分は、注ぎ込まれた霊力を、私でなくても、私の力として変換して、中央の球に注ぎ込んで、結界の維持や修復に力を使うようにしてみた。今は、満たされている状態で、ちょっとずつ減ってきてて、今は青色だけど、修復できなくなると、黄色になって、維持できなくなると、赤になって、赤色の時とか、完全に色が抜けて白色になったら、結界の完全な破壊や消失の時、一度だけ、同じ結界を張り直して、この球は消えるようになってる」
息をついて、カナエは続けた。
「これは、今できるだけのもので、できれば、得意な人が張り直した方がいい。私、シールドは消費量、大きくないんだけど、結界みたいな固定術だと、結構、大きくなくなるっぽいんだ。即時回復するみたいで、すぐに戻るんだけど、張り終えた直後に、がつっとなくなるのが、かなり痛い。突然、力が抜けるの。この規模の結界で、倒れるとこだった。今は、こっちの球に、結界の管理を押し付けたから、平気だけど、維持にも、それなりに力が必要みたいで、まだ、青色だけど、1時間ぐらいで黄色くなりそう。やめた方がいいなら、やめるけど」
「ちょっと、力、入れさせてもらっていい?」
「うん、いいよ」
気軽にタイスケに答えて、カナエは、座れる椅子を探し、そちらに座った。
柔らかな椅子に体を沈み込ませると、ほっとしたように、息を吐く。
タイスケは、それらを後方に感じながら、球の中に力を入れてみた。
すると、かなり青が濃くなって、黒に近くなった所で、抵抗を感じ、力を入れられなくなったようだった。
「すごい!私たち、そこまで入れられなかったよ?霊力の3分の1までしか、吸い取らないようにしたんだって」
「そこまで細かい設定なの?」
「うん。すごいよね!」
カナエは、力なく笑って、片手を振った。
「いや、しようと思えば、誰でも…とにかく、自分でシールド張れる人が、一旦、外に出て、また入れるか、試して欲しい。あと、ここの使用人さんたちとか、弾かれないかも確かめて欲しい」
「分かった。じゃあ、僕が…」
タイスケが言い掛ける声に、ルゥの声が重なった。
「いや、それは俺が確認したい。自分で。そうだ、入れなくなったら、どうしたらいい?」
「俺が一緒に行く!入れなくなったら、どっちかが知らせに来ればいいし」
別の男子が声を上げ、そういうことならと、部屋を出る2人を追って、女子が2人、私たちも見たいと、付いていった。
カナエが、4人が出ていく前に、話し始めた。
「それで、急がないといけないのが…なんだっけ、あ、そう!前の服とか、今の髪とか、手元に残しといた方がいいと思う。呪術的なものは、身に付けてた物や、髪とかが媒体になるから、ちゃんと管理した方がいいと思うんだ。それに、この髪だけど、なんか力があるように感じる。髪を纏める時に梳ったでしょ?あの時、髪の毛、抜けてなかったよね、1本も。こんなに居るのに」
「え、見てなかったけど、でも、そういや、こんなに長いのに、床に1本も落ちてなかったかな…」
ミツが答え、ほかの女子たちも、無かったと思うと言いながら、頷く。
「切ったら、なくなるものかもしれないんだけど、取り敢えず、その確認が済むまでは、自分で持っとくか、まあ、灰にすると、また面倒かもだけど、風に飛ばせば影響は無いかも。それか、霊力で、なんとか消滅させてみる。あと、試してないのが、自分で髪型を変えられるかもしれないっていうこと。とにかく、さっきみんなが脱いだ服、回収した方がいいと思う。さっきの女神様像は、私の作り物だけど、あの服は、もしかしたら、神様的な力があるかもしれないから」
自分たちが知らない間に、変えられた体と、身に着けさせられていた服。
確かに、この国の者たちが着せた様子ではなかったし、体が変わってしまうという大きな現象には、人の力では介入できない何かを感じる。
縦んば、この国の者たちが作った、あの円陣で、体だけは作り変えられたとしても、それならば、前の服がそのまま残るか、何も身に着けない状態で起きていたはずで、それを彼らが見苦しいと感じたとしても、精々が、布を1人1人に掛けてやることぐらいしか、できなかったはずなのだ。
「それじゃそれ、私たちが行ってくるよ。あ、男子も、2人ぐらい、来て」
ニジカと、もう1人、カナエに付き添った女子が、そのように頷き合い、手を挙げた男子3人が、同行してくれた。
「他に優先のことは?多分もう、色々話したと思うから、それは後で確認するとして、まだなことから」
カナエが言うので、地図の確認に戻ることにした。
そう思った瞬間、タイスケは思い出した。
「あっ!そうだ!もう言っちゃったけど、カナちゃんのことは、これから、カナちゃんて呼ぶことにするね。できるだけ、前の形を変えずに、登録とかの必要があれば、嘘にならない愛称っていうか、通称にすることにしたんだ」
「ああ、うん。いいと思う。こっちの人には、音だけ聞いても、日本人の正式名は、漢字か平仮名か片仮名かって、結構重要だし、ほんとの音には、なり難いからね」
カナエの名も、真名を知らない人にとっては未知の言葉で、よく、返ってくる言葉が、ああ、片仮名になってるなと感じるのだ。
平仮名だと柔らかく、片仮名だと、少し、かくかくとした印象になる。
ただの気のせいとも取れるけれど、やはり、真名を知らない者の、自分の呼び方は、今、タイスケが発しているように、平仮名でも、況してや真名でもなく、カナちゃん、と、片仮名に聞こえるのだ。
たぶんそれは、カナエ自身が、それぞれの文字を、頭に強く浮かべることで、発言するからだろう。
それぞれの特徴から、どうしても、真名は画数が多く、真名そのものに、独自の意味があり、そこまで想起してしまうところがあるし、平仮名は、丸みを帯びた形で、どうしても、気持ち、ゆっくりめになぞるように、発言してしまい、片仮名だと、その丸みがなくなり、すっきりとした文字が、特に、定められた音だけを発することに専念させられてしまうのだ。
こういったことは、カナエには、特に、人の名を呼ぶ時に生じてしまう、個人的な癖であるのかもしれない。
タイスケは、そういうもの?と聞き返しつつ、どうやら、カナエは、少し変わった考え方をする子のようだと思った。
ここまで、彼女が見せた行動などにも、驚かされたが、この世界への順応の仕方が、ありのままを受け入れているのではなく、既に応用から始まっている気がするのだ。
「そうだ、通称ってことは、苗字からの通称もあり?50人近く居れば、さすがに被るよね。でも、姓名の違いは、ちょっと偽名に引っ掛かるかも…」
「ああー、じゃあ、取り敢えず、そこ、決めてみない?苗字か名前か判らないのは、本人にとっては有利かもしれないし、僕たちは、偽名でない方がいいと思うけど、そこは本人が、思い切る所じゃないかな、それでもいいって、例えば本名でも」
「そだね。あと、この中に居るかは、ちょっと可能性低いだろうけど、宗教上の名前なんかは、偽名とは言わないと思う」
「しゅ、宗教?」
「ああ、うん…。いや、私が住んでた辺りは、教会が多かったからね。まあ、寺も多いけど」
「へえー?」
タイスケには予想も付かないが、女子の1人が、声を返した。
「でもそれ、お墓には刻むけど、登録はしないよね…」
「役所にはね。教会には、当然登録する。時代とか場所とかが違えば、立派に本名だと思うんだ」
「ああ、そういう考え方…」
ちょっと考える様子の女子は、正しく、宗教上、定めた名がある。
少し悩んだけれど、日本人としては付けられない名なので、どことなく恥ずかしく感じ、通常の日本名で考えることにした。
「あとは…さらに可能性低いんだけど、もともとの日本名が長い人とかね。由緒正しい家柄なんかは、もしかしたら…それと、国際結婚だと、長いのかな?逆に短すぎる人とかは、優先的に選ばせてもらったらどうかな」
「あ、私は、ランでお願い。選択の余地ないんで」
女子の1人が手を挙げる。
ランと呼ばれ慣れていて、うっかり、ラン、と、ほかの女子に名乗ってしまったのだが、本名は曽根蘭子と言う。
ミツが、はっと息を呑んで、ほかにミツの人いない!?と、周囲をぐるぐると見回したが、さいわい、先ほどのミィと、2人だけだったようだ。
タイスケは、名乗り決めに入って、少し騒がしくなる中、振り返ると、すぐ後ろの椅子に座るカナエに、僕のことはタイでよろしく、と言った。
「言い難かったら、タイ君で。片仮名だけでタイクンの名乗りにするか、考え中」
「分かった。そうするね。うん。…うん。タイ君て、ちょっと呼びやすいかも」
「そう?よかった」
ちょっと照れたような、カナエの笑顔。
先ほどまでの、気を張った様子から、少し緩まった感じがして、なんとか休めてあげたいなと、タイスケは思った。
「そうだ、ミツさん、ほかに何か聞けた?」
「う。さん付けなの?一気に老け込んだわ。ミツちゃん…言い難ッ!みっちゃんにしない?」
「ははっ。うん。じゃあ、みっちゃんさん。あれ、さん付けになる」
「もおー!」
「はいはい。じゃあ、ミツは、ほかに何か聞けた?」
自然と、そんな風に呼び方が定まって、些細なことだけど、会話って大事だなと思うタイスケだ。
カナエの時も、最初は、カナエさんだと思ったけれど、張り詰めた様子と、懸命に前を向こうとする姿を見ると、彼女のことを、目上の者のように、頼り切っていい人だとは、思えなくなった。
こんな状況なのだから、自分のことは、自分でしなければいけない。
それはそうだけど、たった1人で、立ち続けるのは、しんどい。
それなら、唇を引き結んで、自分のことで精一杯だと言いながら、ちゃっかり他人のことまで助けちゃってる、そんな人と、そしてそんな人の隣で、自分も頑張っていきたい。
時には、頼ってしまうこともあると思うけど、そうしたい人は、そして、頼ってもらいたい人は、同じように、自分の足で踏ん張ろうと、頑張っている人だなと思った。
そんな思いを、胸の奥に置きつつ、地図に戻った話の中で、大きな町と町の間は、馬を使って、2日から3日、途中の小さな宿町や村の宿場で1泊ずつできるらしいと聞く。
ただ、徒歩だと、その倍は掛かってしまうということで、場所によっては、野宿もあるし、馬や馬車でも、ほかの都合で進み具合が調整できなければ、街道の途中で夜を過ごすこともあるそうだ。
また、小さな町や村は、それほど厳しくないのだが、立派な壁に囲まれたような大きな町だと、日のあるうちしか出入門させてもらえないため、場合によっては、町のすぐ外の広場で、夜を明かすことにもなるという話だ。
ミツが仕入れてきた話は、そんなところのようで、あとは、再度、図書室で資料を探してみたいということだった。
ミツは、霊力体系の本を示しながら言った。
「この本は、基本的な知識だけだから、霊力の使い方っていうか、呪文みたいのは、ほとんど無いの。それに地図も、もうちょっと詳細が分かるものがいい。それとか、ええと、コ、コ…、もういいや、組合は、全部で10種類あって、それの詳細とかも知りたい、お金稼ぐんなら、組合に所属するものだって言ってたし。あとは…」
タイスケは、思い付いて聞いた。
「ね、計算の仕方とかって、本なかった?お金の価値を知りたいんだ」
「ああ!なるほど。それも探してみるね!じゃあ、私、もう一回、行ってくる」
そういうことで、ミツと、ミィ、それに、そのほかにも、図書室の本を確認したいと、先ほどより多くの者が、同行して居間を出た。
「それで、次はどうする?」
霊獣図鑑を机に戻して、トールがそう尋ねる口振りだが、相手を定めての問いではないらしく、残っていた者たちの顔を見回す。
「一旦、情報の共有をしようか。土の力が使える人、ホワイトボード作ってみない?力の使い方の練習にもなるから」
タイスケが言い、皆、ステータス画面を出して、確認する様子だ。
やがて、女子と男子が1人ずつ手を挙げてくれ、元の世界で、会議などに使われていたホワイトボードを、それぞれ1台ずつ作ってもらった。
「こっちは、情報共有用で、こっちは、今後の方針を書いていこう。こっちだけ、上に触ったら、シールドの目隠しが降りてくるから、これからの俺たちの予定を見られなくていいと思う。まあ、話が終わったら、消すから、休憩のときとかに使うかな」
タイスケが、そのような仕掛けを施すなどで、霊力の使い方の要領を得ていっているようだ。
「まず最初に、確認。僕とカナちゃんは、国王側に認識されてないかもしれない。って言うのは、能力値の確認前に姿を隠してて、確認させてないから。だから向こうは、こっちが46人だと思ってると思うんだ。それで、いざというときのために、これは、このまま、隠していこうと思う。向こうも、名前と顔までは、まだ一致してないと思うんだ。だから、いちいち名前や能力の確認でもさせるんでなきゃ、僕とカナちゃんが紛れてても、分からないんだと思う。逆に、僕ら以外の誰かが抜けても、2人の誤差を作ることができる。例えば、最初に、10人で城下に出て、服装とかの確認をして、戻ってから、2回目以降は、2人だけ別行動で城下に出たり、ここに残ったりすれば、向こうは人数を誤認してるから、人数が少ないところを狙われても、自由に動ける人員を確保できる。2人っていうのは少ないけど、不意を突くには、いいと思う」
「そっか。それは、何かと使えそうだな」
トールが応じて、タイスケと頷きを交わす。
「うん。ここに滞在せずに、城下で、拠点の基盤を作ってもいいわけだし」
「あ、それ、いいかも!そうしてみるか!万が一、ここを追い出されるとか、逃げなきゃいけないとき、決まった場所が在ると無いじゃ、全然違う!」
「だね。じゃあ、最初の外出の時、僕とカナちゃん、行く?」
聞かれて、カナエは首を傾けた。
「最初は、顔を覚えられそう。まあ、髪形を、みんな同じにすれば、すぐには見分けられないと思うけど、もしかすると、敷地外に出た時点で拘束されて、こっちには、城下では人さらいが多いとかなんとか、言い訳されるかもしれない」
「うわ、こわ。じゃ、どうしよう」
「この際だから、服とかが揃うまで、極力、個人の特定を避けて、早めに2人、外に出そうか。私たちがいいか、ほかの2人、場合によっては、男子2人とかがいいか、ちょっと考えてみてもいいかも。あ、それと、いや、それより、これがよくない?まず、5人から10人、城下に拠点を探すの。城を出たい人だけのためって、説明してね。それとは別に、私とタイ君は、田舎から出てきた子供の振りして、拠点を構える。資金とかは、こっちからの横流しがあってもいい。で、いざというとき、国民の強み…異世界人として区別されないっていうことが、強みになるかもしれないから、それを確保してみるの。うまく立ち回れるとは言えないんだけど、拠点をひとつに絞るのが、私は怖いかな。なんでも、筒抜けっていう状況がね、かなり怖い」
トールが頷いて、それは確かに、と呟いた。
「際限なく罠は用意できないけど、そのくらいなら、むしろ、あったほうがいい。タイとカナちゃんは、俺たちより、少し先行する形で力を使えてるから、男女の組で、受け入れ場所を作ってくれてるといいかもしれない。どうかな、ふたり」
カナエが、頷きながら答える。
「うん。何ができるか分からないけど、もしかすると、別の国に逃げないといけないかもしれないし、色々と知っておくのは大事。大きなところを確保するのは難しいかもしれないけど、少数の受け入れからできないか、徐々に増やすのがいいかとか、色々、探ってみたい。タイ君、世話掛けると思うけど、いいかな」
タイスケは、大きく頷いた。
「こっちこそ、たくさん助けてもらうことになると思う。よろしくね」
「うん、よろしく」
カナエの表情は、硬く、決して明るくない。
けれども、強い眼差しが、タイスケを捕らえて、放さないようだった。
「それじゃしばらく、ふたりは、城下での生活基盤確保のために、情報収集と準備だな。10種類あるっていう組合に所属することから始まるんじゃないかな。俺たちのステータスから考えると、冒険者組合ってのが、みんなで入れそうかもしれない」
トールの言葉に頷いて、カナエが返す。
「いずれ、霊獣の駆除は、こっちに回ってくるんだと思うし、冒険者が、町の防衛とかを担うんなら、異世界人でも、それをすることを念頭に加入するってことで、国民にも受け入れられるかもしれない。異物は拒否されるのが常だけど、役に立つなら受け入れるっていうのは、ある。まあ、役に立たないと判れば、即座に叩き出されるんだろうけど」
「っ、厳し…」
タイスケが呟き、カナエが、ちょっと笑って、そちらを見た。
「どんなに頑張っても、根っこでは、受け入れてもらえない覚悟が必要だと思う。それでも、ほんの一握りでも、関係ない、気にしない、それでも、受け入れるって人は、居ると思うから。出来るだけ、多く、そうなれると、いいね」
タイスケと、トールが、頷いた。
周囲で、会話を聞いていた者たちの胸には、冷たい石が置かれたけれど、この状況は、自分自身で、なんとかするしか、ないのだ。
さいわい、皆、10代の子供の心と知識というわけではない。
若さが強みになることもあるけれど、それは、身体の若さで、享受できるものがあるだけ、有利となるはずだ。
ホワイトボードに、情報を整理して、共有の情報板を作って、清書した物を複製する。
今は、文字の共有だけだけれど、いずれ、音声連絡手段を付加した携帯端末として使用することを目指す。
少しずつではあるけれど、転生者たちは、戦うための武器を整えつつあった。
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