第2章 マリモ

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 五島列島と言えば、キリシタン大名。そんな言葉が真っ先に連想される訳ではあるが、洋風建築たるこの旧校舎......良く良く見てみれば、教会の風味が多分に加わっている。きっとそんな昔の名残が残っているのだろう。 「あら、あなたどちら様?」 「えっ、あっ、えっ?」  疲労困憊、そんな状況の中、突然背後から声を掛けられれば、誰でも狼狽える。慌てて振り返ってみると、背後には少し小太りの中年女性が。麦藁帽、黄色のTシャツ、エプロン、作業着ズボン、サンダル......上から順に読み上げていくと、そんな装いだ。年は50才前後と言うところだろう。  笑顔で話し掛けて来たそんな中年女性は、刀の代わりにホウキ、盾の代わりにチリトリを装備している。この『華政会研修所』の職員と思われた。 「私......津田麻里茂と申します。短期のバイトで参りました」 「ああ、津田さんね。やっぱそうかと思ったわ。話は聞いていますよ。私は峰鳩子(みねはとこ)あなたと同じで、一足先に昨日からここで働いてるの。長旅で疲れたでしょう。さぁ、宿舎まで案内するわ」  鳩子は一方的にマリモのキャリーバッグを手に持つと、ゆさゆさと歩き始める。 「あっ、自分で持ちます。それ、タイヤ壊れてるんで」  慌てて鳩子からキャリーバッグを奪い取るマリモ。結構重いし、引き摺られると他のタイヤも壊れてしまう。 「あらほんと! タイヤ外れてる......これじゃ、この坂道運んで来るの大変だったでしょう。後で執事の五右衛門(ゴエモン)さんに修理頼んどいてあげるわね。あの人、こう言うの得意らしいから」 「ゴエモンさん? 凄い名前ですね。何か......和服が似合いそう」 「和服? 全然。ゴエモンさんは私と同い年で、今年50になるらしいけど、鼻が高くて凄いイケメンよ。髪型もオールバックで、どちらかと言うと洋風って感じかしら。職員は雑用の私鳩子と、あなたと執事のゴエモンさん。それとコックのハリー君。全部で4人よ。  ハリー君はまだ20才そこそこ。イギリス人らしいんだけど......ちょっと偏屈って言うか、取っつきにくいって言うか......まぁ、会ってみれば分かるでしょう。それでみんな短期で雇われてるの。着いたら直ぐに紹介してあげるからね」 (職員) 1、鳩子さん 清掃 50才 2、ゴエモンさん 執事 50才 3、ハリーさん コック 20才そこそこ 4、マリモ(私は何の担当なんだろう?)22才  どうやらこの4人で、9日間の研修をサポートするらしい。期待と不安に心躍らすフリーター乙女、マリモだった。  ギー......鳩子は『華政会研修所』の鉄扉を開けると、マリモを敷地内に招き入れる。  建物の庭は、鉄扉の外とは打って変わり、驚く程に整備が行き届いていた。雑草は綺麗に抜き取られ、建物の弧を描くように、グリーンベルトが敷かれている。そこにはハイビスカスやらプルメリアやら南国特有の色鮮やかな花が咲き乱れている。  ああ、あたし南国の島に来てたんだ......  今更のように、そんな事を実感するマリモだった。 「古めかしいけど、中々立派な校舎でしょう。この建物が『研修棟』。築100年は経ってるそうよ。この建物で研修が行われるの。私達が寝泊まりする所は、この校舎の中を抜けてちょうど裏側の『宿泊棟』。そこもこの『研修棟』に負けず劣らず立派な建物よ。私達には勿体無いくらい」  グリーンベルトを横目に見ながら、鳩子が観光案内を始めてくれた。昨日この島へ来たばかりと言っていたが、その割にはやたらと詳しい。ちょっと驚きだ。  やがてそんな古風な洋風建築『研修棟』の玄関前までやって来ると、マリモは更なる驚きに目を丸くしてしまう。 「凄い......」  大きな観音開きの扉はその全てが開け放たれ、遠目に見えるエントランス内には、芸術作品とも言える煌びやかなステンドグラスが所狭しと広がりを見せている。美術館と見紛う程だ。 「凄い綺麗でしょう。あたしも昨日初めて見てビックリしたわよ」  10段程の石段を登り、エントランスに足を踏み入れてみれば、そこは正に教会そのもの。中心には大きなマリア様像が二人に優しい笑顔を振りまいている。  1549年、イエズス会宣教師のフランシスコ・ザビエルによって伝えられたキリスト教は、九州を中心に大きく広がっていったそうな。その後、豊富秀吉が1587年と1596年に布告した禁教令を皮切りに、江戸時代から明治時代に掛けて、キリスト教は250年の長きに渡る弾圧を受け続けていく事となる。  もしかしたら......マリア様の浮かべる笑みには、そんな悲しき歴史に対する哀悼の意が含まれているのかも知れない。いずれにせよ、この地では多くのキリシタン大名がそんな弾圧により、命を落としていった事は事実だった。  特にキリスト教徒と言う訳では無かったが、思わずマリモはマリア様像の前で手を十字に切った。マリア像を前にして、二礼二拍手はさすがに似合わないと思ったのだろう。 「さぁ、いつまでも見惚れてないで、もう行くわよ」 「あっ、はい。すみません」  マリア像の横を抜けていくと、シックな左右の壁には、8枚の人物写真が横一列、等間隔に掲げられていた。  上座から、  山吹五夫(やまぶきいつお)  琢己健吾(たくまけんご)  神原亮(かんばらりょう)  緒方憲次郎(おがたけんじろう)  徳山大地(とくやまだいち)  峯岸梁山(みねぎしりょうざん)  西京寺一徳(さいきょうじいっとく)  川嶋玄二(かわしまげんじ)  8枚のそんな人物写真には、順にそのような名前が記されている。全てがご年配。多少のバラ付きはあるが、凡そ60~80才。そんな年齢なのであろう。
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