第1章 サディスティック

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 毒蜘蛛の巣に、自ら飛び込んでしまった美しき蝶は、もはや羽ばたく事を許されない。バタつけばバタつく程、深みにハマっていくだけだった。やがて毒蜘蛛が猛毒を吐き始める。 「おいおい、麗羅殿。あんたは最初に言っただろう。加賀殿の代役でここにやって来たって。加賀殿はいつも、この『華政会』のメンバーと楽しく酒を酌み交わしていたぞ。代役は嘘なのか? だったら、さっきの決定も白紙に戻さんといかんな......フッ、フッ、フッ」  遂に偽りの仮面を脱ぎ始めた山吹は、口からそんな毒を吐き出しながら、目の前に予めスタンバイさせておいた空きグラスを麗羅の前に差し出す。 「まあ、一献交そうじゃないか」  この後、どんな罠が待っているのかは分からない。しかし『白紙に戻す』......その言葉に対しては、敏感に反応せざるを得なかった。今の自分に選択肢は無い......それは麗羅本人が自覚している事でもあり、また山吹本人が一番分かっている事でもあった。  提案と言う名の強制......それは正に、命令以上の勅命にも値する破壊力があったと言わざるを得ない。 「......承知致しました」  謹んでグラスを受け取る麗羅。如何なる事にも動じないこの美魔女にしては、珍しくその手は震えている。 「おお、そう来なくっちゃいかん! そう言えば加賀殿は、いつもロックでウイスキーを飲むのが好きだったな。ほれ、遠慮無くいってくれ」  トクトクトク......  グラスから溢れんばかりに、ウイスキーを注ぎ込む山吹。勿論グラスの中には、それを少しでも希釈してくれる氷などと言う気の利いた個体は入っていない。  この男は、私が飲めない事を知っている......  それは、容易に想像出来る事だった。しかし、拒むと言う選択肢は無かったのである。 「......頂戴致します」  麗羅はグラスを口に合わせると、それを一気に飲み干した。口、舌、食道、胃......その液体が触れた全ての体内組織が、まるで焼け爛れていくような感触に囚われていく。途端に、胃がキリキリと痛み出し、全身が茹でダコのように熱くなっていく。 「おお、さすが加賀殿の代理人。お見事じゃ! ほれ、みんなも酒好きな代理人殿に酒を振舞ってやるがよい!」  そう来たか......  魂胆が見えたところで、どうする事も出来ない。この窮地を一体、どうやって切り抜ければいいんだ?!  しかし毒蜘蛛達は、そんな代理人殿に考える隙すら与えてはくれなかった。 「代理人殿! 某にも酒を振舞わさせて貰おう。某は琢己健吾(たくみけんご)じゃ。見知っておいてくれ」  いつの間にか、琢己なるデブ男がすぐ横で胡座をかいでいる。見れば、小ジョッキを自分に差し出しているでは無いか。まさか、これでウイスキーのロックを飲み干せって言うのか? きっとそう言う事なのだろう......  ダメだ......フラフラして来た。  麗羅が否応なく、そんな小ジョッキを受け取ると、新たに開けたジャック・ダニエルなる人体破壊兵器を、いきなり注ぎ始める。トクトクトク......またしても満タンだ。 「......」  さすがの麗羅も、これには動きが止まる。先程飲み干したウイスキーが、まだまだ胃の中で踊っている。 「どうした? 山吹会長の酒は飲めても、俺の酒は飲めねえってか?」  それまで囃し立てていた態度がここで急変する。突然トーンを下げてきたその物言いは、威嚇以外の何物でも無かった。 「......いいえ」 「だったら早く飲めよ。次が待ってんだ」  見れば残りの5人も、いつの間にやら自分を取り囲んでいる。それはまるで狼の集団が、狙った獲物が力尽きるのを待っているかのようだった。これでもし酔い潰れでもしたら、狼の餌食となる事は必死。  私は卑しくも加賀の妻たる者......このような浅ましき者達から、辱めを受ける訳にはいかない! 「頂戴致します!」  気力で体内のアルコールを吹き飛ばすと、勇ましくそれを飲み干していく。中ジョッキたるその器。容量からして、先程のグラスの2倍以上。一瞬、目眩を覚えたと思えば、次の瞬間には、顔がまるで熱湯に浸ったかのように熱くなる。そして徐々に意識を失い始めていた。  まずい......もう限界だ。 「俺は峯岸梁山(みねぎしりょうざん)。さぁ、俺の酒も飲め!」  気付けば、またしても中ジョッキを持たされている。トクトクトク...... 「早く飲めよ。この阿婆擦れが!」  すると、ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ。無意識のうちにそれを飲み干していく。その時点で、既に麗羅は操り人形。薄れ掛かる意識と戦う事以外には、何も考えられなくなっていた。  ダメ......意識を失う訳にはいかない。私は加賀の妻......なの......だから......
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