第2章 マリモ

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 目を細めて見ると、その前に立つ物体は、間違い無く『人』だった。元々人が住んでいると初めから聞かされていた訳だから、その姿を見たところで、別に驚くような話でも無い。ところがいざ島に到着し、廃墟同然の景色ばかりを見ていると、それがそのまま島全体の先入観となり、人の出現すら大きなサプライズと成り得てしまう。  ちなみにさっきから注意して見ているが、案内看板とか住居表示などと言う道標は全く存在していない。そんな訳だから、自分が今から訪れるべき『研修会場』なるものが、一体どこにあるのかなども分かりようが無かった。  ちょうどいいや......道を聞いてみよう!  マリモは思い出したかのように、キャリーバッグを転がしながら、今見付けた『人』へと向かって一気に駆け出して行く。  とても平坦とは言えない不揃いな砂利道。しかもそれなりの上り坂ときている。キャリーバッグのタイヤが壊れやしないか気が気で無い。 「すみませーん!」  額から汗を吹き飛ばしながら、その『人』なる存在に声を張り上げるマリモ。間違い無くその声は、その者の耳に届いているに違い無い。しかし、倉庫から積荷を軽トラの荷台に積み込んでいるその者は、全くと言っていい程、反応を見せてはくれなかった。  聞こえないのかなぁ?  特にヘッドホンを付けて、大音量で音楽を聴いている訳でも無い。ランニングシャツからはみ出た肉体は、筋肉が迫り出し、南国らしくその肌は真っ黒に日焼けしていた。殆ど人が居ないこの島で、その肉体美を誰にアピールしたいのかは不明だが、見たところ20代後半。以後は『ムキムキマン』と名付けることにしよう。  ハァ、ハァ、ハァ......息を切らせながら50メートルの坂道を上り切ったマリモは、ここでもう一度、声を掛けてみる。 「あのう、すみません。道を伺いたいんですが......」  この距離で話し掛けても反応しなければ、それは完全無視を決めている事が確定する。そして、男の反応は、やはり『無』だった。完全無視確定だ。  そんなムキムキマンは、最後の荷物を軽トラの荷台に積み上げると、結局マリモに一度も視線を合わせる事無く、そのままフェードアウト。そりゅあ無いでしょうって! 「ちょっと待って!」  馬の耳に念仏......そう決めた人間に声を掛けても、所詮は無駄な事。結果は同じだった。  ガガガガガッ......挨拶代わりとばかりに小砂利を吹き飛ばしながら、軽トラはあっさりと消えていったのでした。 「あ~あ~......行っちゃった」  何なんだろう? 結局一度も顔を向けずに立ち去ってしまった。顔を見せたくなかった? そうなのかな? でも、まぁいいか......小さな島だし10日間も居る訳だから。またどっかで会う機会もあるでしょう。  多分、今は忙しかったから、付き合ってる時間も無かったんじゃないかな。今後会ったら、ちゃんと挨拶しよう。でも忙しいんなら、忙しいって言ってくれればいいのに。まぁ、色んな人が居るって事だわ。  そんな事より......もう日が暮れそうだ。暗くなる前に『研修会場』に辿り着かなきゃ......小さな島と言っても、こんな所で真っ暗になっちゃったら、遭難しちゃうかも。急がねば!  マリモは気を取り直し、再び行軍を開始する。因みに港からここまでは一本道。どこへ行くにも、まずはこの坂を登る必要が有りそうだ。  そして、歩き始めて間も無くのこと。ガラガラガラ......ガツンッ。  あっ、タイヤ外れた!  やはりキャリーバッグは平地専用。砂利道で転がすと機嫌を損ねるみたいだ。『砂利道では使用しないで下さい』そんな注意書きをしっかり読めとキャリーバッグが怒っているに違いない。  こうなったら、もう担いで登るしか無い!   マリモは諦めてスーツケースを両手で抱えた。  うわぁ、重い......色々詰め込み過ぎたかな?  年頃の女子が、10日分の荷物を積み込んでる訳だ。軽い訳が無い。エッホ、エッホ、エッホ......飛脚を追い抜くペースで坂を駆け上るマリモ。若さと言うアドバンテージを最大限に活用したその走りは、ジョイナーもビックリだ。とは言え、港を離れてしまえばそこは無風状態。気温35度強の世界は正に蒸し風呂状態。時間の経過と共に、暑さはマリモの体力を容赦なく奪っていったのである。  なんじゃ、この暑さは! 汗が目に染みるわ。  そんなこんなで......汗まみれになり、駆け続ける事10分。エッホ、エッホの勇ましい掛け声が、ホエッ、ホエッの嗚咽に変わり掛けたその時だった。徐々に木々の間から、古風な大型建築物が顔を見せ始める。  おっと!   マリモの目が突然精気を取り戻す。期待に胸を膨らませ、やがて大きな門の前までやって来ると、  ガツンッ! 「あっ!」  既に棒と化した足に砂利が絡み付く。そして......  ドテンッ! 「うわぁ!」  キャリーバッグを宙に飛ばし、見事な転倒を披露するマリモ。夕闇迫る南国の地に砂煙が巻き上がった。 「いたたたた......」  自然の大地に腰を打ち付け、苦痛の表情を浮かべながら顔を上げてみると、目の前には何やら大きな看板が。そこには『華政会研修所』......そのように書かれていたのである。  やったー、ドンピシャだ! 取り敢えずは良かった!  どうやら遭難せずに、目的地に辿り付けたようだ。全身が脱力感に包まれつつも、肩で息をしながらゆっくり身体を起こすと、スーツのズボンに穴が開き、露出した膝からは血が垂れているではないか。  あーあ、一張羅だったのに......焦るとろくな事にならないな。 「よっこらしょっと」  マリモはハンカチで膝を抑えると、打ち付けた腰の痛みに耐えながら、ゆっくりと立ち上がる。すると目の前には、やたらと立派な洋館が仁王立ちしていた。看板に書かれた通り、それが『華政会研修所』である事に間違いは無かろう。  3階建てか......あれ? 窓越しに黒板と机が見えるじゃん! やっぱ研修会場だけあって、一応教室になってるんだな。建物の雰囲気からして、元々学校だったのかも知れないな。だとすると、建物前のこの広い空き地は、校庭ってことか......
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