第2章 マリモ

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「この人達は......」  思わず足を止め、そんな8枚の人物写真を食い入るように見詰めるマリモ。 「ああ......その人達は『華政会』の現役政治家。みんなもういい年だけど、政治家に定年は無いからね。明日やって来る研修生は、みんなこの8人のご子孫なの。三代目になるのかしらね。  山吹五夫さんみたいに昔っからの古株も居れば、川嶋玄二さんみたいに最近になって名を上げた人も居るわ。昔仕事のご縁があって、私もこの人達と顔を合わせたことが有るの。まぁ、いかにも傲慢な政治家って感じね。 この研修は将来『華政会』のメンバーになる為の登竜門らしいわよ。将来を約束された御曹司達って事。まぁ、明日からどうなる事やら......」  この後集まるそんな御曹司達は、凡そ高校生と聞いている。男女混成チームらしい。  多分、みんな我儘なんだろうな......政治家の御曹司と聞いてしまうと、どうしてもそんなイメージが先行してしまう。 『明日からどうなる事やら』......鳩子の口から発せられたそのフレーズは、きっとそんなイメージから発せられたものに違いない。  コツ、コツ、コツ......ダークブラウンで統一されたそんな『研修棟』のエントランスを、そのまま一直線に通り抜けて行くと、その次に現れたものは中庭。パルテノン神殿を思わせるような、これまた大層立派な造りだ。  一年を通じて、完璧とも言える維持管理が常に為されている状況を、この景観から垣間見る事が出来る。  そんな豪華な景観が視界を覆う中、マリモの目はある一点に釘付けとなっていた。それは中庭を挟んでちょうど対面。『宿泊棟』の壁沿いに駐車された1台の軽トラックだった。  あれはさっきの......間違い無い! あの軽トラックが駐車されていると言う事は、ムキムキマンもそこに居るってこと?!  何故だか急に、心臓がキューッと締め付けられるような感触に囚われるマリモ。気丈な性格とは言え、さっき無視された事が、多少なりともトラウマになっているのだろう。そして......やはりその予測は違わなかった。  バタンッ。突然、中庭に面した扉が勢いよく開放を見せる。すると中から、何やら黒光りした男がニョキニョキッと......  やっぱそうだ。ムキムキマンだ!  恐らく、港の倉庫から運び出した荷物を、この『宿泊棟』へ運搬して来たのだろう。その者は軽トラックの荷台から荷物を持ち出すと、再び扉の中へと消えていく。ギー、バタンッ。 「鳩子さん、あの人って......」 「私もあの人は見るの初めて。多分、山の向こうの修道院で働いてる人じゃないかしら? 修道院の畑で取れた野菜を購入してるって、ゴエモンさんが言ってたから」    鳩子さんも昨日来たばかりだから、ムキムキマンを見るのは初めてらしい。今、鳩子さんは『購入してる』って言ってた筈だ。と言う事は、売り手がムキムキマンで、買手がこの『研修施設』って事になる。そんでもって、あたしは今日からこの施設の職員な訳だから、あたしはあのムキムキマンのお客さん......いや、お客様になる訳だ。  よしっ!  何を思ったか、マリモはタイヤの外れたキャリーバッグを引き摺りながら、突然歩き始めた。ガガッ、ガガガッ...... 「マリモさん、どうしたの? いきなり怖い顔しちゃって......あらあら、キャリーバッグ壊れちゃうわよ!」  鳩子の言う通り、実際マリモの鼻息は荒かった。何だかやたらと怒ってる。  思い出したら、急に腹が立って来た! あたしが今日船でこの島にやって来た事は、あそこで見ていて分かってたはず。しかもこの『研修施設』に出入りしてるんなら、あたしの目的地がここである事くらい、想像すれば直ぐに分かる事じゃん!  もう一回挨拶してやろう......あたしはここの職員だと言って!  別に『客』の立場である事を利用して、さっきの仕返しをするつもりなどは毛頭無い。ただ初めてこの島に降り立った心細き乙女に対し、卑しくも日本男児として、あの『完全無視』たる態度は無かろう。  一言、言ってやる!  ツカツカツカ......足手まといなキャリーバッグを途中で置き去りにし、身軽なステップでムキムキマンの元へと駆け参じて行くと、タイミング良くマリモが到着するのとほぼ同時に扉が開放を見せた。  すると、中から出てきたムキムキマンと見事鉢合わせ。ここで視線が完全に合わさっただけでも、キャリーバッグを置き去りにして来た意味もあったと言うものだ。  するとマリモが、間髪入れずに先制パンチを繰り出す。 「さっきはどうも。あたしは今日からここの職員になった津田マリモと申します。何であなた、さっきあたしが声を掛けたのに......」 「仕事の邪魔だ。どけっ」  まだマリモが話をしている途中だった。ガタンッ。荷物の搬入が終わったのだろう。荷台の扉を閉めると、そそくさ運転席へと駆け込んでしまうムキムキマン。 「えっ、いや、ちょっと、何それ?!」  プルルンッ。ガガガガ......軽トラックは、真っ黒な排気ガスをマリモに浴びせながら、鮮やかにその場を立ち去ってしまった。すると後を追っ駆けて来た鳩子が、見事散り果てたマリモに、素晴らしきフォローを入れてくれる。 「若いってのはいい事ね。男だったら他にもいっぱい居るって。女は失恋しながら大人になっていくの......私の胸で泣いてもいいのよ」 このたった3秒の寸劇で、ここまで発想を広げる才能が有るのなら、とっとと作家デビューした方がいい。別の意味で泣きたくなるマリモだった。
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