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7.【熟成】
雨は降り止む気配なく、徐々に風を伴いだした。大粒の雨が蜘蛛の巣のような波紋を繰り返し窓ガラスに描いていく。インターホンが彼女の到着を告げたのは、つい今し方だ。
ドアを開けると彼女は肩の辺りを払う仕草をしていたが、俺の顔を見て笑顔を浮かべた。
傘立てにはピンクベージュの傘が立てられ、竹製の持ち手に付けられたタッセルが存在を主張している。
「酷い雨だね。さあ、上がって」
風のせいだろう、ダークグレージュに染め上げられた髪には水滴が浮いている。手土産の紙袋を受け取るとリビングに通し、ソファーに座るよう促した。
「濡れたようだね。風邪を引くといけない」
洗面所から持ってきたタオルを差し出すと、彼女は細く華奢な腕を伸ばして受け取った。その弾みでボルドー色のバレッタから流れ落ちた雫がノースリーブの肩を伝い、留まることなくモスグリーンのショートサロペットに染みを作った。濡れたバレッタはダウンライトの光りを反射して、熟れた果実のように艶やかに輝いた。
カジュアルな出立ちから、ショップでのエプロン姿とはまた違った印象を受ける。
「せっかくの休日なのに、災難だね」
「本当、よく降るわ」
「風が出てきたようだね。荒れなければいいんだが」
「嫌だわ。風が強いから、傘が役に立たないの」
タオルで肩の水滴を拭いながら、彼女は身体を捻った。腰の辺りにデザインされているバックリボンが気になるようだ。彼女の身体の動きを目で追っていると、サイドテーブルに置いた紙袋が視界に入った。有名洋菓子店のロゴが印刷されており、甘い香りを漂わせている。
「珈琲でいいかい?」
俺はマンデリンの豊潤な香りを想像しながら、紙袋を持ちソファーから立ち上がった。
「そんな事より、、、」
予想外の返答が耳に届き、足を止めて振り返ると、言いかけた言葉を途中で飲み込んだ彼女は右手を下腹の辺りに添えて落ち着かない様子だ。少し待つがそれっきり黙り込んでしまった。
しかし俺にはそれで十分だった。彼女の気持ちが、ここに来た目的が分かっていたから。
紙袋をサイドテーブルに戻すと、彼女の方に身体を向き直した。
「アレは持ってきたのかい?」
彼女はソファーの横に置いていたバスケットを掴むと無言で頷いた。持参するよう、予め伝えておいた。丁寧に編み込まれた籠の口元からは、純白のレース生地が顔を覗かせている。
「分かった。着替えて待っていてくれ」
そう言い残すと、俺は準備をするため足早にリビングを出た。掛け時計の短針は、今まさに12の文字盤を指し示そうとしていた。
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