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魔王と呼ばれた男は目を見開いた。
「……エスタは今どこにいる?」
「トレント様が確保されました、いまこのお城へお運びしている途中でございます。」
そうフラーが言い終わるや否や、魔王は走って窓から飛び出し、宙に浮いてどこかへと飛んでいってしまった。シュタイナーが殴られた腹を抑えながらゆっくりと立ち上がって周りを見渡すと、そこには既に誰もいなかった。
どうしたものかとしばらくの間呆然として立っていると、窓から女性を抱えた魔王が帰ってきた。その表情は重々しく、魔王には珍しい悲哀の感情を抱いているようだった。女性は『四天王』エスタであり、その腹部の穴からは血が溢れていた。
魔王はエスタをゆっくりと床に寝かせると横に跪いた。容態は明らかだった。
「大丈夫だ、何も心配するな。絶対に助かる。」
魔王はエスタの手をしっかりと握りしめて語りかけた。シュタイナーは既に戦う気持ちをなくしており、ただ眺めることしか出来なかった。
「ヴェルト様……お願いが……あります。」
エスタが細々とした声で魔王の名を呼び、語りかけた。その表情は既に自分の運命を悟っているようだった。
「……なんだ?」
「戦争はやめてください……戦い以外でも……世界は平和にできるはず」
そう言うとエスタは口から血を吐いた。魔王は黙って聞いている。
「人間にはまだ善いところが……ある……」
「善いところが……」
そう繰り返すとエスタは息絶えた。その時シュタイナーは初めて美しい赤い目に映る魔王の涙を見た。そして苦悶の表情を。何か重大な物事を決断したかのような重々しい表情を。
「俺の個人的な考え方は変わらないが。」
少し時間を置いて魔王はシュタイナーにそう語りかけた。
「……なんとかならないのか?魔族の魔法は俺たちのものよりはるかに発達している。生命に関する魔法だって……」
シュタイナーは魔王の話も聞かずそう返した。客観的に見れば彼ら魔族とシュタイナーは敵同士だが、それは政治的信条や平和に至るまでの考え方の違いであって、シュタイナーは魔王や『四天王』に少なからず好感を抱いていた。
「無理だ。生命魔法、魔術には未解明の物事が多い。蘇生は現在のところ、ゾンビ化することを除けば不可能だと言われている。命を操ることだけは誰にもできないのだ。」
魔王はそう言うとしばらく考え込んで立ち上がり、顔が見えないよう下に下げながらこちらを向いた。
「俺には争うこと以外での解決方法が分からない。だから俺は命と引き換えに国と国を境界線で大陸ごと全て引き剥がし、海で隔てる。そして50年の間どんな生物も通れぬ見えない壁をつくり、外からも中からも誰も出入りできないようにする。」
「なぜ50年なんだ?それにそんな大魔法さすがのお前が命を引き換えにしても魔力が……そもそもなんでお前が命を捨てなくちゃならない?」
シュタイナーは急な提案に次から次へと湧く疑問を魔王にぶつけた。
「魔力についてはお前に協力を頼みたい。50年というのは世代交代の時間、つまり今政治を握っている人間が一新されるために必要な期間だ。そして人間が戦争を忘れないでおけるギリギリの年数だと思う。命を捨てると言っても転生するだけの話だ、再び生を受けるのが何年後になるかは分からないが。」
魔王は質問の連続にも動じず一つ一つ冷静にかつ素早く答えていった。まるでその質問を予期していたかと思えるほどに。
「50年経ったらどうなる?」
「大陸は移動し、元の形に収束する。その時また新たな戦いが起こるのなら……」
魔王はそれ以上言わなかったが、代わりに顔を上げてこう言った。
「ひとつ約束してくれないか?俺がいない間、俺に代わってこの国を治めて欲しい。そして50年経ったら世界に平和を求めてくれ。俺にはできない。」
シュタイナーは驚き、『勇者』としてさまざまな魔族を殺しここまで来た自分にそんな役目が許されるだろうか、と考えた。
シュタイナーの脳裏に今までのさまざまな魔族とそれに手をかけたときの記憶がよみがえった。仲間を守るため1人決死の囮作戦を実行した勇敢な者。両親を殺すなと懇願してきた幼い少女。情報を吐かせるために何度魔族を拷問したかなど数えきれない。そんな自分がたとえ代理だったとしても魔族の王を、主を務めてもいいのだろうか、と。
しかしその不安な思いは目の前の魔王の顔を見て消え去った。その顔には幾千年もの時を生きてきた重みと、自分の命と引き換えに世界に平和をもたらそうとする覚悟がみてとれた。そしてシュタイナーは、魔王が目の前で部下をなくし、涙するところを見ていた。
「50年か……この世界だとそんな年齢まで生きていられるかどうか……」
シュタイナーがそう苦笑いすると、魔王はフフッと笑って言った。
「それは心配ない。お前は自分で思っているより生きるぞ。」
「……分かった。協力しよう。」
シュタイナーも笑い返して答えた。
「ありがとう。……次に会う時は平和な世になっているよう祈る。」
「あぁ。平和な世界にしてみせるさ。その時はゆっくり6000年前の昔話でも聞かせてくれ。」
そう言ってシュタイナーと魔王は強く手を握った。その瞬間、魔王の上に広間いっぱいに広がる魔法陣が展開した。世界は光に包まれ、シュタイナーの意識は眠る時のようにゆっくりと落ちていった。薄れゆく意識の中でシュタイナーは、魔王が寂しそうに笑うところを見たような気がした。
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