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智光秀明
運転手yについて、少しお話しさせてもらう。
運転手yは、30過ぎまで、仕事をが長続きせず、10社ほど転職を繰り返した。
世間の人も、タクシー運転手を見ると、楽そうな仕事に見えるでしょう。
某大手自動車メーカーの社長が、子供の頃に、成りたかった職業である。
運転手yも、甘い考えをもって、タクシー運転手を始めたのである。
このトンネルを抜けた亀岡のタクシー会社が運転手yの初勤務地であった。
亀岡という土地は、京都から、山を一つ越えた、所にある。
山城国にある京都とは、違って、丹波国になる。
運転手yは、亀岡のタクシー会社の同僚に、「明智道秀は好きか」と勤務初日に聞かれた。
運転手yは、歴史だけは、人より詳しいと、自負している。
同僚の「明智光秀が好きか」という問いに、運転手yは一瞬ためらった。
好きといえば、その理由を詳細にを聞かれるし、嫌いと答えれば、相手の機嫌を損ないそうだと思ったからである。そこで、運転手yは、明智光秀について、語り始めた。
「明智光秀は、織田信長の家臣の中では、教養のある、立派な武将ですね。
雅号を咲庵(しょうあん)といいますね。生まれは、諸説ありますが、美濃国の東部ですね。
越前朝倉の領内の寺の門前で、医者を10年ほど開業していました。私の先祖も、江戸時代の中頃、美濃国の東部、現在の美濃市で医者を営んでいたのですよ。戦国時代末期は、斎藤義龍の配下でした。先祖の中に省庵(しょうあん)という人もいるので、親しみを感じますよ。」と話し、好きか、嫌いかという
問いには、答えずにやり過ごした。
京都府の亀岡以北は、明智光秀は領民を大切に扱い、慕われている。
一般的には、恩知らずの、裏切り者と思われている。
運転手yは、出身が京都の南にある長岡京市なので、明智光秀のことにはこの程度しか話せなかったのである。
運転手yは、子供の頃は、まじめで、純粋で、素直な子供であった。
仕事柄、京都人を演じているが、京都人の先輩である長岡京人(ながおかきゅうびと)を自負している。好きな歴史上の人物といえば、藤原式家の藤原種継(たねつぐ)なのである。
「まぼろしの都、長岡京」というキャッチフレーズに子供心に、傷ついている、うぶな少年であったのである。
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