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若者が情報サイトで“違反行為通報アプリ“を偶然目にしたのは、公園のベンチで憤懣やる方ない気持ちを抱えながら何気なくスマホを弄っていた時だった。
自宅からここに来るまで目にしてきた、数々のマナー違反、迷惑行為が頭をよぎる。これまでも若者はそれら行為をする人々に直接注意、指摘をしてきたが、その結果といえば逆ギレされるか空返事をされ疎まれるのが常であった。人の心が変わらぬならばと、公的機関へ苦情をし社会の仕組みを変える試みも行ったが、より良き状況に繋がることはなかった。
そんな経緯を積み重ね、若者の許されざる思いは今や限界に達するところであったのだろう。胡散臭いアプリではあったが、少しでも現状を打破するきっかけになればと考えダウンロードしたのだった。ただ不思議なもので後に情報サイトを確認した時、”違反行為通報アプリ”を見つけることは出来なかった。
とりあえず若者はアプリを起動してみる。画面デザインは至ってシンプル、仕様はカメラアプリとほぼ同じで下部にシャッターボタンがあり、その下に通報と描かれた黄色いボタン。操作手順は違反行為を写真に収め通報ボタンを押すだけだ。
丁度良いタイミングで若者が座るベンチの裏手、樹木が生い茂る中で隠れるように煙草を吸っているサラリーマンが2名いた。ここは子供も遊びに来る公共の施設であり、方々に喫煙禁止エリアであることを示す掲示板が立てられている。
若者はさりげなく景色を撮るようにしつつ、煙草を吸っているサラリーマンたちに画面を合わせた。シャッターを切り通報ボタンを押すと画面には送信中の表示。
しばし結果を待ちながら、若者は周囲をぼんやりと見回した。街中の中心を走る大通り、その中央分離帯に整備された園内には花壇や芝生、噴水が設置され市民の憩いの場となっている。
ピロンと通知音が鳴ると、『通報承りました』の表示。
若者は目の前にある噴水の軌跡が、一糸乱れぬ弧を描き水面へと到達する様子を見つめている。
やがて自身に対し皮肉な笑みを浮かべた。今更ながら自分が行ったこの無意味な行為をあざ笑うかのように。
(やれやれ、何をしてるんだ俺は…)
ぼそっと、そう呟いた時だった。
「うわっ」
「きったねえ」
と、背後から叫び声が聞こえた。振り返ると先程の喫煙サラリーマンらが上着に着いた汚れを気にしながら悪態をついている。頭上の枝に止まっていたカラスの糞が落ちて上着にこびり付いてしまったのだ。しかも2人ともである。
若者は内心、いい気味だとほくそ笑んだ。
喫煙サラリーマン2人は、ぶつぶつ言いながら公園を去っていった。
(偶然か?まさか…)
怪訝な面持ちでスマホを見つめていたが、すぐさま立入禁止の芝生でくつろぐカップルを通報してみると、間もなくして激しい突風が吹き噴水の軌跡が芝生へと流れ、彼らは水浸しと相なった。
続けざまに園内禁止のスケボー軍団を通報してみれば、団員全てのスケボーに異常が発生し皆して首をひねる様子が見てとれた。
(こいつぁホンモノかも…)
若者は心躍るように胸の中で呟いた。そして“違反行為通報アプリ“の画面を食い入るように見直すと右上に設定ボタンがあることに気づく。試しに押してみれば処置レベル設定と表示され、低、中、高の3段階が選択できるようになっており、現在の設定は低だったので迷いなく高に変更した。
『処置レベルを高に設定します。よろしいですか?』の表示が出たので躊躇なくOKボタンを押した。
(このアプリで、他人を顧みず自分勝手に行動する奴らを懲らしめてやるんだ…)
若者はベンチから立ち上がりグッと背伸びをした。ここ最近得られなかった清々しい気持ちを噛み締める。長年燻り続けていた頭の中のもやが、消え去っていくのを感じていた。
その場を離れゆっくりと歩き始めると、公園の出口付近の木陰でも1人の喫煙サラリーマンを見かけたので通報。
(お仕置きを受けて少しは反省する心が芽生えればいいのだけど…)
横断歩道で信号待ち。
交差点に面するビルを見上げれば、街頭ビジョンに正午のニュースが放映されている。某国による国際ルール違反に対し、国連が非難決議を採択したとの一報が流れていた。
(これも通報出来るのか?…)
若者はスマホをそのニュース映像に合わせ通報してみた。
(これで社会が変われば…。そうだ、これは世直しなんだ。その為に俺は選ばれたのかも…)
信号が青に変わり横断歩道を渡り終えると、ピロンと通知音が鳴った。
そのまま駅の方へ向かおうとしたその時、車のブレーキ音が激しく聞こえ同時にドンっという鈍い衝撃音が響いた。
若者が音の方を伺うと、交差点内で車が1台停車していた。その近くには倒れている人が。よく見るとそれは先程木陰で喫煙していたサラリーマンだった。
若者の顔が見る見るうちに真っ青になっていく。
周囲が騒然となっているさなか、再び通知音がピロンと鳴った。
***
数分後、国際ルール違反を犯した某国の軍事施設で爆発が起きた。その被害規模、影響は某国の存在を揺るがす極めて深刻な事態へと発展、時の独裁者はそれを受け、爆発の原因究明を待たずして直ちに敵国からのテロ行為と断定、報復として核攻撃で応戦することとなった。その報復攻撃は更なる報復を呼ぶ連鎖を生み、やがて世界を巻き込む第三次世界大戦へと繋がっていった。
***
荒廃しきった街中を歩きながら若者は空腹を満たすべく、今日も国の配給が行われる公園へと向かう。破壊尽くされた街並みの中を今にも崩れそうなビルに注意しながら、衰弱した身体に鞭を打ち週2回自宅から歩いて通っていた。
やっとのことで公園にたどり着けば、そこは若者と同様に配給目当ての人々でごった返していた。あまりの多さで混沌とし順番を待つ列がごちゃつくところを何とか最後尾と思われる人の後につく。
園内はすっかり荒れ果てていた。樹木は燃料としてことごとく伐採され、爆撃を受けた箇所は土が露わとなっている。噴水も大きく形を崩して、ただの歪なオブジェと化していた。
「ちょっと、あんた割り込むんじゃないよ!」
突然後ろから大きな怒鳴り声。
「あ、ここが最後尾だと思って…」
若者はか細い声で答えたが、周囲の人々は皆ヒステリックな表情で睨みつけている。
やむなく若者はそこから離れ、あらためて最後尾を見つけて並んだものの、その日は配給が足らず受け取ることは叶わなかった。
(腹減った…)
帰り道とぼとぼ歩いていると歩道の一画で一軒の露店が開かれていた。ブルーシートの上には法外な値段で非常食や生活雑貨が販売されているのだが、店員らしき人物が見当たらない。
若者の腹がきゅ〜と音を立てた。
周囲を見渡せば皆一様にして俯く者ばかり。瓦礫に寄りかかり顔を伏せてしゃがんでいる者、下を向いて行く当てもなく彷徨う者らがぽつり、ぽつりとわずかにいるだけ。
(これはひょっとして、何かの思し召しかもしれない…)
若者は乾パンと表示された缶を一つ手に取ると、再び周囲を見回した。
(どうかお赦しを…)
そう呟くと乾パン片手にゆっくりと歩き出した。このまま何事もなくこの場を立ち去っていける。
そう思った矢先。
ピロン。
聞き覚えのある通知音。
間もなくして崩れかかったビルの上方より、大量の瓦礫の塊が若者の頭上へと降り注いだ。
終
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