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午前十時。戦争の始まりだ。
まずスマホのブラウザを更新。同時に家――私んちじゃなくておじいちゃんちのだけど――の電話機で、あらかじめ入れておいた番号にかける。
スマホが『チケット申込』の画面に変わる。希望する舞台の日にち、マチネかソワレか、さらにチケットの枚数を選択してすばやくタップタップタップ!
(よっしゃ、順調!)
あとは申込ボタンを押すだけ――だった。
「んぁあああああ〜〜!!」
雄叫びが喉の奥からほとばしる。寸でのところで画面が切り替わった!
『回線が混雑しております。時間をおいてアクセスしてください』
なんて無慈悲な一文。実質の死刑宣告だ。チケットは先着順なのに!
「うわっ、ああっ、お願いお願いあと少しなの!」
半泣きで更新しまくるけど、無駄だった。
五分後にやっと申込画面が表示されたと思ったら、予定枚数満了の販売終了と韻を踏んだ冷酷な二語。ラップかよ!
「ああもう!」
ちなみに電話も同様だ。無機質な機械音声が、後でかけ直すよう要求してくる。
「後じゃ遅いよ……」
力が抜けて、私は縁側に突っ伏した。板張りなのでひんやりと冷たい。
スマホがホーム画面に戻る。液晶にこの世でもっとも尊い推し――世界でいちばん大好きな役者さんのピカピカの笑顔が映る。
でも、悔し涙のせいでよく見えない。国宝級の顔面がゆがんでしまう。
(ごめんね、負けた……また負けちゃったよ……)
心の中で、推しに謝った。
目の前は春の庭。三月半ばの今は気温こそ肌寒いけれど、陽気はぽっかぽかだ。おばあちゃんが丹精する桃の花が舞う庭は、この縁側から眺めるのがいちばんキレイなんだ。
でも今の私には、薄暗く、冷ややかな、灰色に見える。
だって私は負けたのだ。戦争に。推しが出る舞台のチケット、その争奪戦に。
「紗智(さち)……? どうした……?」
私の真横、籐の寝椅子に身を預けてひなたぼっこ中のおじいちゃんが、むにゃむにゃ声をかけてきた。
しまった。起こしちゃった。
「ごめん、おじいちゃん。うるさくして」
「構わんよ……ああ、今日はいい天気だなぁ。あの日もこんな晴れ渡った空だった」
おじいちゃんは入れ歯をモゴモゴさせる。まぶたが重そうな細い目は、どこを見ているのか分からない。
「ワシが戦地へ旅立った朝も、こんな青空だった……」
瞬間、内心うんざりした。また昔話か。
最近ぼんやりすることが多くなったおじいちゃんは、何かって言うとすぐに昔話――主に戦時中の話を始める。
「おじいちゃんはなぁ……若手の中で一等優秀で、上官殿から目をかけてもらっていたんだ……」
「へー、すごいねー」
「だが、ジャガイモで大砲を撃つ提案は却下されてなぁ……」
「いもっ? ……へーそうなんだー」
(うーん。この下り、何回も聞いたけど意味分かんない)
まあ、お母さんもおばあちゃんも適当に聞き流せばいいって言ってたし。二人が買い物から帰ってくるまでの辛抱だ。
(それより今はこっち)
スマホに視線を戻す。特大のため息が出た。
やっと高校生になって、自分で稼いだバイト代で自由に『現場』に行けるようになったのに。
最寄り駅のこぢんまりとした劇場だけじゃなくて、商業地域のでっかい劇場まで足が伸ばせるようになったのに、チケットが取れないんじゃ意味がない。
公式サイト先行、推しのファンクラブ先行、劇場先行にチケットサイト先行……すべての抽選に外れた。今日の一般販売は最後の砦だった。
「はぁああ……」
地よりも谷よりも深い嘆きの声を漏らした時だった。オタ友のえむぴからラインが届いた。
【えむぴ:こいつマジ敵】
そんなメッセージと共に、とあるサイトのページのリンクが送られてきた。
これは。まさか。
嫌な予感。胃のあたりで黒くて重いものが蠢く。
リンクを開くと、……予想が当たった。
チケットトレード――本来なら重複したり都合が悪くなって行けなくなったチケットを譲渡するためサイトには、私が死ぬほど恋い焦がれたチケットが売られていた。
定価の五倍の値段をつけられて。
いわゆる――高額転売。
「またこいつかぁ!!」
出品元は有名な転売ヤーだった。人気のある舞台のチケットを買い占めて高額で売る、迷惑極まりないクソ野郎。
(ってか転売は規約違反だっての!)
なんでこんなやつの手元にチケットがあるの。純粋に作品や役者を応援したいファンが厳正なる抽選に落選してまたのご利用をお待ちされているのに!
こんなやつがいるから!
(許さない、絶対に許さない!)
腹の底から熱いものが湧いてくる。見敵必殺、ボーンアンドキル!!
(まずはトレードサイトに通報して――)
意気込んだ瞬間、えむぴからまたライン。
【えむぴ:さっち! この転売ヤーのSNS見つけた!】
【えむぴ:SNSの運営にも報告して、アカ凍結させようよ!】
いいアイディアだ、さすが我が相棒。
えむぴから送られたSNSのホーム画面に飛ぶ。
すると、私は息を飲んだ。
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