1.雪

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自室に戻ってひと息をつく。 もう夜も更け、真夜中になってしまっていた。 壁にかけられた時計を見上げると、既に夜の十二時を回ろうとしている。 本来ならばバーリェは十時前に寝かせることにしているのだが、久しぶりにな少女達のテンションは高く、全員にバーリェの体調維持のために必要な、膨大な量の薬を飲ませてやっと寝かせたのが今から三十分ほど前。 しかりつけて、さっさと寝かせることも出来た。 事実、絆は二日間、全く寝ていない。 死星獣の出現反応が確認された地域に雪を連れて向かってから、肝心の敵が出現する時間が大幅に遅れ、予定よりもはるかにかかってしまったのだ。 その間もろくに睡眠はとっていないし、終わったら終わったで雪の安否確認、上に報告するための資料作成などで追われていた。 死星獣が出ない頃は本当に仕事なんてないが、出たら出たでアンバランスな忙しさ。 それがこの仕事だ。 スーツを脱いで床に放り出し、だらしなく彼は椅子に腰を下ろした。 そこでまた一つ息をつく。だが考えてみれば、彼女達がそれだけ喜んでいるという事実がそこにあるということは、確認するまでもなく心の奥で自覚できていた。 自分にとっては、たったの七日だった。 だが彼女達にとっては、七日ではない。 そのあたりの感覚は未だに詳しくはつかめていないが、人間の一生を見る価値観と、動物の一生を見る価値観がその間の関連性に酷似していると言えばいいだろうか。 バーリェの寿命は、長くても三年。 五、六年生きたという例も聞いたことはなくもないが、殆ど例外に漏れずに、それだけだ。 期間、つまり商品としての使用期限が来れば……それでなくとも、体内の生体エネルギーを残らず戦闘で使いきってしまえば、どんなに優秀なバーリェでも簡単に死んでしまう。 犬猫のペットよりも、彼女達の寿命なんて儚く、そしてはるかに脆い。 一度大学でバーリェの感じている時間間隔と、自分たち人間の感じている時間の流れは似て非なるものだと教えられたことがある。 短い時間を生きる者の感覚では……想像することは出来ないが、絆が感じている一日の流れを五日、六日以上と感じることもあるらしい。 そのような時間の倒錯の中で彼女達は生きている。 だから自分にしてみればただ一週間留守にしただけのつもりだったが、彼女達にしてみれば……絆にとっての一ヶ月ほどの時間感覚に相当するのかもしれない。 その間、預けていた絃も大変だっただろうなと苦笑して天井を見上げる。 そこで彼は、そんなことを思っている自分が不思議になって少しだけ目を瞑った。 誰かに会えて嬉しい。 誰かがいなければ寂しい。 そんなこと、小さい頃から考えたこともなかった感情だった。 小学校に入る前から、普通子供は親の元を離れて一人暮らしを始める。 親とは言っても、資金提供をする存在だ。 ただそれだけのこと。 国が定めている法律により、人間は生涯最低一回はDNAを購入し、子供を六歳まで養わなければならない。 無論優秀な遺伝子が含まれているDNAは価格も高く、裕福な人間の子供は総じて知能的にも優秀な人材が多い。 だから、絆は自分が……彼女達のように誰かがいなくて『寂しい』と感じたことなんてなかった。 そう、バーリェを管理し始めるまでは。 この仕事を始めて最も戸惑った所はそれだった。 少しでも自分がいなくなると、彼女達は大騒ぎをする。 不安になって、時には泣き叫び出す子もいる。 今でも完全に理解をすることはできないが……なんとなく、それが「寂しい」という不安感情であるということは分かっていた。 トレーナーに求められる最優先事項は、彼女達バーリェの精神安定だ。 薬でいくらでも制御することは出来るが、そもそも不完全なクローン体である彼女達は、身体維持以外の薬物投与に非常に弱い。 故に物理的ではなく、精神的に安定させる必要があるのだ。 無理矢理に成長を促進され、出荷されるためにどこか体や内面的に障害を持っている子が多いのもそのためだ。 絆が管理しているバーリェは現在、五人。 全員ほぼ一年前からここに住んでいる。 最年長はつい先日に戦闘をしてきた雪という白髪の少女。 既にラボに来てから二年と一ヶ月ほどになる。 最も付き合いが長いのは、この子だ。 普段はあまり喋らないが、他のバーリェに対しての面倒見が非常にいい。 年の割に落ち着いているというのが、彼女の特徴だった。 時には絆よりもはるかに大人びた意見を出すこともある。 そして五人の中で……いや、現在この国で管理されているバーリェの中でも確実にトップの性能を持っているのも、盲目のこの少女だった。 正直に言ってしまえば、他の普通のバーリェが彼女がこなしている戦闘に関わったら、ほぼ半分の期間で使用不能になっているだろう。 それだけ体内に含有している生体エネルギーの純度が高く、総量が多いのだ。 外見的には一番儚く、弱そうに見えるのにそれは不思議なことだった。 バーリェの持つ生体エネルギーとは心の力だと、非現実的で意味不明なことを言う学者もいるが……頭から否定することは出来ないと思う時がある。 次に、年齢で言えば命という黒髪の少女が二番目に当たる。 よく留守にする雪と絆に代わって、バーリェしかいないときには残りの子の世話をするのがこの子だ。 能力的には砲撃戦用の機体操作に適している。 おしゃべりだが、あまり自分の感情を口にしない。 性格が謙虚なのだ、と絆は認識していた。 そして最も幼く見えるが、三番目は愛だった。 この子は精神的に発達が少々遅れているために、自分の感情を抑えることが苦手。 白兵戦に特化しているタイプなので、特に危険な状況で使用されるバーリェゆえあまり戦闘には出していなかった。 残りの二人は、双子だ。 優というボーイッシュな少女と、口がきけない文という子。 二人とも、ここに来てから半年ほどしかたっていない。 まだ戦闘に参加したことはなかった。 工場の話によると、二人とも中距離戦の汎用タイプに適しているらしい。 思い返して、きっかり能力で引き取って管理している自分に僅かに自嘲する。 特に意識をしていないことだったが、能力が重なっていないのを見るとそれは明白だった。 疲れでぼんやりしてきた頭を振り、椅子を降りて寝巻きに着替え始める。 特に愛あたりは夜中に起き出した時に、近くに絆がいないと大騒ぎをする場合がある。 寝ぼけて、どう行動してそうなったのかは未だに分からないが、階段から転げ落ちたことさえあった。 だらしなくスーツを床に投げ、ふらふらしながら階下に降りようと振りかえる。 そこで彼は階段をゆっくりと上がってくる足音を聞いて歩みを止めた。 コンコン、としばらくして扉を叩く音が聞こえる。 歩いていってドアを開けると、そこには壁の手すりに掴まっている雪の姿があった。 このラボは、彼女のようなケースを想定して不自由なく歩けるように工夫がしてある。 壁のいたるところに手すりがつけてあったり、寝室以外は一日中、必要以上に明るいのもその配慮だ。 「どうした、雪?」 少女の顔を見て、一瞬だけ絆の心臓が凍りついた。 彼女達が飲む薬の中には、睡眠を促すものも入っている。 しかし、繰り返し服用していると効かなくなってくることもある。 段々と適応してきてしまうのだ。 そうなったら、更に強い薬を飲ませるしかなくなってしまう。 そしてそれは寿命の短化に直結する問題だった。 だが雪は聞かれると苦笑して首を振った。 「私、今日は手術の後だから薬は飲まないようにって先生に言われたって、教えてくれたのは絆だよ?」 「あ……そ、そうだったか?」 自分で言ったことを忘れてしまうほど疲れているらしい。 家に返ってきた安堵感もあるのだろうか。 流れてきた冷や汗をぬぐって、小さく笑う。 そして彼は少女の小さく細い体を軽々と抱え上げ、ソファーに座らせた。 「そっか。薬飲んでないからな。うん……どっか具合が悪いか?」 「うぅん。何だか今日は凄く気分がいいの。でも寝れなくて、絆が降りてこないから来てみたの。邪魔だった?」 「そんなことはない。何か飲むか?」 何故か、彼女のその言葉が嬉しかった。 理由は自分でもよく分からない。 だが、この小さい少女が自分のところに来たという事実が、何処となく嬉しかったのだ。 眠気をなるべく出さないようにして、自室に設置されている大型冷蔵庫に足を向ける。 「じゃあ私、コーラ飲みたいな」 「おいおいまたコーラか? 炭酸ばっか飲んでると骨溶けるぞ」 「嘘ばっかり。酸味料の燐酸で多少の酸化はするけど、コーラで骨は溶けません」 クスクス笑いながら白濁した瞳を向けられ、絆は肩をすくめて冷蔵庫の扉を開けた。 そしてコーラのボトルからコップに注ぐ。 それを少女に握らせ、彼は隣に腰を下ろした。 雪の頭を軽く撫でると、彼女のお気に入りのシャンプーの匂いが漂ってきた。 コーラを口に含む彼女を見下ろし、何処となく先日に駆除した死星獣のことを思い出す。 事実的に言えば、この脆く、突き飛ばしただけで壊れそうな女の子一人に、アレは吹き飛ばされた。 この小さな女の子に。 こうして見ていると、とてもじゃないが今でも信じることが出来ない。 視線を感じたのか、雪は首を捻って絆のことを見上げてきた。そして小首をかしげる。 「どうしたの?」 「ン……ああ、いや」 言葉を濁らせると、少女は大きな目を更に大きく開いて青年の顔を見つめた。 「ね、私覚えてないんだけど、また死星獣を倒したんだよね?」 唐突にそう聞かれ、心の準備をしていなかった絆は息を詰まらせた。 出来ることならその話題には触れずにおきたかったのだ。 今回使用したAADという、バーリェのエネルギーを攻撃に変換する兵器は、トップファイブという超高性能機だった。 逆に言うと、半端な能力を持つバーリェでは起動すら出来ない。 それだけ、あの死星獣は強く、駆除に困難を極めていたのだった。 事実、絆と雪はほぼ最終的な切り札として招致されていた。 できることなら前に控えていた他のトレーナーが駆除してくれることを祈っていたのだが……その祈りは無駄に終わってしまった。 二組待機していたトレーナーとバーリェは、一組は飲み込まれて、消滅。 もう一組は有効打撃を与えることが出来ずに撤退。 自分たちは、その上で攻撃を仕掛けた。 それだけ、雪の力は強大だった。 だがそれが示唆する事実はたった一つ。 数値では分からないが……彼女の寿命は、あとどれくらいなんだろう。 今は平気そうにしているが、明日には、いや今すぐにでも呼吸を止めて目を閉じるかもしれない。 その言いようのない、逃げ場のない焦燥感。 会ったばかりの頃には感じたこともなかった呪縛を感じているのが、今の自分だった。 しばらく沈黙して、無理矢理明るい声を作って答える。 この少女は非常に聡く、隠し事をするとかえって傷つけてしまう恐れがあった。 「ああ。よく頑張ったな」 そう答えてやってぐりぐりと髪を撫で付ける。 嬉しいらしく猫のように目を閉じて、彼女は絆の胸に擦り寄ってきた。 「今回のはどれくらい凄かったの?」 「かなりな。お前じゃなきゃ駆除できないだろうって協会から要請を受けてな」 「ふふ……頑張ったもんね」 軽く笑って少女が目を閉じる。 「でも無事に駆除できてよかったぁ……」 そして安心したかのように大きく息を吐く。絆も微笑んでそれに答えた。 「ああ。お前は強いからな。協会も褒めてたよ」 だがコーラのカップを持ったまま、少女が首を振る。 「私、あの人たち嫌い」 「そう言うな。まぁ分からなくもないけど」 少しだけ口ごもって言葉を続ける。 「もうしばらくは仕事はないと思うから、お前はゆっくりしてろ。今回凄く頑張ったからな。当分の間戦闘はいいだろ」 「え……?」 絆の言葉に対してきょとんとして雪は目を開けた。 数秒沈黙して控えめに……と言った感じで口を開く。 「私、まだ大丈夫だよ……?」 「無理するな。十分すぎる程だって」 また頭を撫で付けると、しばらく納得いかないような顔をしていたが、やがてまた目を閉じてコップを胸に抱く。 「もうすぐクリスマスだね」 何分か、そのまま沈黙していたので寝たのかと勘違いしていた絆は立ち上がろうとした腰を無理矢理落ち着かせた。 そして彼女の顔を覗き込む。 「なぁ、その『クリスマス』ってのは何をする行事なんだ?」 「私も……よくは分からないけど」 戸惑ったように目を開け、視線を宙に彷徨わせた後、雪は言った。 「命ちゃんがね、絃さんから教えてもらったって。十二月二十五日は……えーと……とにかくお祝いするんだって」 「随分アバウトな行事だな……まぁ明後日だし、どんなことするのか調べておくよ」 「うん。だけど絆はそんなに気合入れなくてもいいみたいだよ?」 「何で?」 問い返すと、雪は自分でもまだ把握し切れていないのか自信がなさそうにかすれるような声で続けた。 「何だかね、靴下の中に……その、欲しいものを書いたカードを入れておくと、起きたらそれがもらえる行事なんだって。お祝いちゃんとすると、サンタって人が来てくれるんだって」 「何だそれは」 「わ、私もよくわかんないけど……でも、命ちゃんは絃さんからそう聞いたって言うし」 言っていることの滅茶苦茶加減に気づいたのか、パッと彼女の頬が赤くなる。 どんな都市伝説を湾曲して誤解しているのか……心の中でため息をつきながら、絆は少し考えて言った。 「まぁ俺もよく分かってないから、明日起きたら調べてみる。そのサンタ? っていう奴が誰なのかも判然としないしな」 「お願いだよ? 皆も実はよく分かってないみたいだから……」 そこで絆は、やっと彼女がそのことを言いにきたのだということを理解した。 雪に比べれば、比較的残りの中では大人びている命も結構精神的には幼い。 だからよく分からない行事に対してノリだけではしゃいでいる子達を見て不安になったのだろう。 「ああ。約束だ」 何気なく自分と彼女の小指を絡ませ、何度か上下させた後に絆は雪の手から空になったコップを受け取った。 それをテーブルに置いて、少女を抱えながら立ち上がる。 「よし、そろそろ眠くなっただろ。寝るぞ」 「うん」 歩き出した青年にしがみつくようにして、寝巻き姿の少女は微笑んだ。 「絆」 「うん?」 小さく呼びかけられ、階段を降りながら答える。 「何だか怖い」 何げなく発せられた一言だった。 だがその言葉を聞いた途端、思わず足が止まった。 おそらく、この時間まで起きているのはこの子にとって生まれてから初めてのこと。 いつもの戦闘後には、普通に薬物の投与は許されている。 だが今回に限って許されなかったというのは、手術で使用した麻酔が強力なものに変えられたということ。 それがまだ体内に残っているからだ。 どう言葉をかけていいのか分からない。 だが……ここで、自分が沈黙しては、この子は何も出来なくなってしまうだろう。 バーリェにとって、トレーナーは絶対であり、そして神に近い存在なのだ。 自分がしゃんとしなければこの子達は生きる指針を失ってしまう。 絆は大きく息を吸って、吐いた。 そして数秒鼓動を整えてからニカッ、と笑う。 「じゃあ今日は俺と一緒に寝るか」 そう言ってまた階段を降り出す。 視線の端で雪の顔がパッと明るくなったのがはっきりと分かった。 答えずに少女が目を閉じる。 絆は、彼女に気づかれないように軽く……思っていることを振り払うように首を振った。
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