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序章
「なっちゃん」
「なあに? ばあば」
うちのお婆ちゃんは63歳。
私は当時、まだ8歳の子供だった。
「なっちゃんは可愛くて、ばあばにそっくりだから、きっと次郎さんが会いに来てくれると思うの」
病院のベッドの上で横たわりながらお婆ちゃんが手を伸ばし、私の頭を愛おしそうにそぅっと撫でた。
さりげなく自慢が入った気がするけど、8歳の私はよくは分からなかったのでまるっとスルーした。
「次郎さん?」
知らない人の名前を聞き返した私に
「飛びます、飛びます」
と、突然ばあばの謎の言葉。
「……何、それ?」
聞き返すと
「……そっか。なっちゃんには、ちょっと難しいネタだったかもね」
お婆ちゃんは少し気まずそうに笑った。
「ネタ?」
(今のどこにお笑い要素があったんだろう?)
かなりの滑った感を滲ませてお婆ちゃんは、こほんと咳払いを一つ。
「次郎さんは、お母さんには来なかったのよ。でもきっと、なっちゃんになら会いに来ると思うの」
「だから誰? 次郎さんって」
「ふふふ。次郎さんは次郎さんよ。次郎さんはね、無茶苦茶するけど、かっこよくってすごく素敵なの。ばあばの大切な人」
「大切な人って……?」
当時、お婆ちゃんっ子だった私は、幼心にも
(聞き捨てならない!)
と思った。
お婆ちゃんの大切な人は、私で在りたかったから。
「好きな人ってことよ。だから、なっちゃんも亜紀ちゃんも大切な人。その中でもちょっと別格かな。男の人の中で、一番好きな人ってこと」
「じゃあ……ばあばの大切な人は、じいじじゃないの?」
と聞いてみた。
「うふふ。じいじはもう天国行っちゃって聞いてないから、なっちゃんには教えちゃうね」
そういうと、個室だから誰がいるわけでもないのに、お婆ちゃんは病室内をぐるりと見渡した。部屋の中には私と二人きりなのに、私の耳元に口を寄せて
「実は、……じいじよりも大好きだった人」
と囁いた。
(ばあばのほっぺたが、少し赤い気がする……)
烏の足跡刻む目じりと閉じた目がわずかに歪んで、お婆ちゃんは笑顔を作った。
私は意味が分からずに
「……それって、ぷりん?」
と聞くと
「不倫じゃないわ。だっておじいちゃんに会う前の話だもの」
お婆ちゃんが微妙な顔をしていた。
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