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行けるところまで行こう。
肌のぬくもりが心地よくて、
いつの間にかしがみついていた。
瞼を開けば、長いまつげを持つ童顔の彼が
そこにいて、思わず息をもらした。
「あ、ごめん。起こしちゃった・・・?」
僕の吐息が顔にかかってしまったからか、
うっすらと目を開いた彼にそう囁くと。
少しけだるそうな表情をさらしながら、
彼がつぶやいた。
「大丈夫・・・今、何時?」
「ちょっと待って」
デジタルの目覚まし時計が、
彼の頭の向こう側数十センチ先に見えて、
身体を起こして確認した。
「まだ20時前だ」
遮光カーテンで外部の様子を
一切シャットアウトした、ベッドルーム。
たったひとつ、足元に置かれたライトが
お互いの顔を仄かに照らしている。
僕たちはあれから時間を忘れ、
文字通り本能のままに愛を交わしあった。
今までどこに隠し持っていたんだと
いうくらいの彼の情熱にときめき、
それに負けないくらいの情熱を彼に返した。
一度表に出してしまうと、
決して止めることなんてできないもの
なんだと改めて知った。
タブーだと思うゆえにこじらせてしまって
いた恋心が、こんなタイミングで報われる
とは思いもしなかった。
ベッドに横たわったままの彼の目線に
身体を下げ、彼の顔を見つめる。
「何」
照れたようにぶっきらぼうな口調で
そう言って僕を見つめ返す彼に、
僕は微笑んだ。
「少し、昔に戻ってみない?由貴」
彼と養成所で知り合った頃を思い出していた。
僕の意図することを瞬時に判ってくれたのか、
それまで見せていた彼の表情が一変した。
「・・・いいよ、葵」
コンビを組むことになって、
どちらからともなく距離を置くことになったが、
本当はこうやって話したかった。
返事をした彼の笑顔が数年前のそれに重なり、
涙で目の前がにじむのを感じながら
ベッドから抜け出した。
「玄関からすぐここに入ったから、
由貴の部屋をよく見てないんだ。
あっちで、お茶でも御馳走してよ」
「もちろん。葵はコーヒーでいい?
というか、食べるもの・・・あったかな」
彼も僕の後に続いて、
起き上がりベッドの横に足を投げ出した。
「おかまいなく。それとも、ピザでもとる?」
「そうだね。確か、冷蔵庫にメニューが
貼ってあったと思うよ」
「決まり。じゃあ、頼もうか」
そう言い合って、2人で部屋を後にする。
キッチンに入り、
彼の言う通り冷蔵庫に貼られた
ピザのメニューを手にしながら、彼を見ると。
やかんに火をかけ、
こちらを振り返るところだった。
「・・・とりあえず、下だけでも履かない?」
「僕もそう思った」
彼と笑い合い、再びベッドルームへ戻る。
こうして気さくに話せるのは、
きっと友達の時間が長かったから。
養成所からの過酷な環境を共にした仲、
タイミングさえ合えば瞬時にあの頃に帰れると
思っていたが、それが現実のものとなった時に
こんなに心が弾んでしまうのは、
予想以上だった。
Tシャツと下着姿で顔を寄せ合う2人、
その間にはピザのメニュー。
傍らにはそれぞれ、
コーヒーと紅茶のマグカップ。
「なあ」
「ん?」
「俺、シンプルなのがいいんだけど」
「いいよ、由貴の好きな奴で」
「葵は、昔からいつもそう言って
くれてたよな」
「だって、由貴。偏食でしょ」
「まあな」
見つめ合い、少しだけ照れて目を伏せた。
再び顔を上げると、
また彼はあの表情を露わにして、
僕を見つめている。
一瞬の間の後、どちらからともなく
互いを求めた。
唇を離した後、彼の目が潤んでいるのが
判った。
「・・・ピザ、頼んでからにしようか」
「そうだね」
マグカップの隣に置かれたスマホを手にして、
彼は振り向いた。
「ポテトも、頼む?」
「うん」
彼が電話をかけている間、
僕は彼の横顔をずっと見ていた。
出会ってから形を変えながらも
ずっとそばにいたと言うのに、
こんなに好きだと感じた事は今までなかった。
「はい・・・はい、じゃあお願いします」
電話を切って、僕に顔を向けた彼が笑みを
もらした。
「葵」
「何?」
「ずっと、その顔で俺を見てたの?」
「え・・・?」
どんな顔をしていたのだろう。
恥ずかしくなって、
思わず両手で頬を押さえると。
「隠さないで、よく見せて」
僕の手首をそっと掴んで、
彼はこぼれるような笑顔のまま、
僕の鼻先に顔を近づけてきた。
そしてゆっくりと手首を下ろしたかと思うと、
僕の頬を自分の唇でなぞり始めた。
「ふふ、くすぐったい」
「手で触れてる訳でもないけど、
気持ちいいでしょ?」
「・・・え、それって」
一瞬、彼が他の人と試したことがあるのかと
要らぬ想像をしかけて、眉をひそめたが。
「相手が葵だから、こうしたいんだ」
それに気づいた彼にそっと耳元で囁かれ、
安堵の息をもらしてしまった。
「ずっと・・・こうしたくて、我慢してた・・・
コンビとしての関係を選んだ事に後悔は
してないけど、もう一つの可能性を捨てるのは、
とても辛かった・・・
葵を忘れようとして女性を抱いても、
忘れることなんてできなかった・・・」
頬への愛撫と彼の熱を帯びた囁きが続き、
僕は身体の芯が甘く蕩けて行くのを感じていた。
切なさを抱えきれなくなって、
彼にしがみつきながら囁き返した。
「僕も、そう思ってた」
「本当に?」
彼の驚きに満ちた、それでいて喜びに溢れた
声が、耳より先に身体に響く。
「だけど、そんなこと言える訳ないって、
ずっとそっぽを向いてた。
由貴が今日僕を呼び出してくれたこと、
すごく感謝してる」
「ありがとう、葵。嬉しいよ。
勇気を出して、誘って良かった」
「お礼を言うのは、僕の方だ。ありがとう」
抱きしめる腕の力を少しだけ緩めて、
また見つめ合う。
睫毛を震えさせながら、
甘く切ない表情を浮かべる彼に
僕はそっと唇を寄せた。
再び僕の唇を受け入れる直前に、
彼の唇が小さく動いたのを見逃さなかった。
考えられる様々なリスクを背負い、
この恋を貫く覚悟から来る言葉だと思った。
僕は返事の代わりに、
自分の唇で彼の唇をそっとふさいだ。
もう、言葉にしなくても大丈夫だという思いを
込めて。
「行けるところまで行こう」
-彼の言葉、それこそが僕たちの秘密の恋を
守るための合言葉となった。
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