あなたの秘密を知っています。

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あなたの秘密を知っています。

心に蓋をしないと、 どうにかなってしまいそうだった。 余程気持ちを強く持たないと、 立っていられないとも思った。 ある程度予感していた事だったが、 いざそれが目の前に現れたら、 こんなことがどうして自分の身に起こるのか、 きちんと事実を受け止める事が出来ないまま、 ただ時間だけが過ぎていた。 この2~3年、 様々な媒体向けのインタビューの仕事が 増えている。 最初の頃は「僕の発言を記事にして、 読者が満足するのだろうか」と戸惑っていたが、 こんな機会がなければ出会う事のできない 業界の人たちとの関わり合いができる喜びや、 実際の記事を見るうちに、 世の中が自分に何を求めているのかが 間接的に掴めるメリットに気づき、 途端に面白くなった。 もちろん、数は少ないが事務所に 「こんな質問をされたら、こんな風に答えて ください」とあらかじめ指定された答えを 言うこともあったし、 よっぽど答えに困る質問には、 専売特許ともいえるぎこちない微笑みで 乗り切って来たが、芸人としてだけではなく、 1人の人間としての気持ちを丁寧に文章に 起こしてくれる事を、 心からありがたいと感じていた。 だからその日も、 数あるうちのひとつだと信じて疑わなかった。 時間通り、現場に電車でやって来た僕は、 セットのないスタジオの自分1人を照らすだけの ライトの下で、女性インタビュアーの質問に 答え始めた。 今回のテーマは、 「あなたの心に残る、別れの瞬間」。 恩師や友達。大切にしていたモノ。 もっと抽象的なところで言えば、青春時代とか? 自分なりに話を膨らませて語ったつもりだった。 ある部分を、意図的に避けながら。 1時間の予定が30分押してしまい、 「すっかり話してしまいましたね」と微笑み、 席を立とうとした次の瞬間に僕に向かって 容赦なく降り注がれた言葉は、 表舞台に立つ人間の仮面を壊してしまう くらいの破壊力があった。 「岸野さん。最近起こった、あなたの別れの 瞬間を私は知っています」 手の中に収まっていた名刺を見返し、 それから彼女の顔を見た。 「お相手のこと、今はどう思っていますか」 まっすぐ僕を見据える彼女の眼差しに、 目が眩んだ。 言葉なんて初めから喋れなかったのでは ないかと思うくらい、言葉を失っていた。 「すみません、時間ですから」 タイミングよくマネージャーの声がかかり、 肩を抱かれた僕は引きずられるように スタジオを出た。 次の現場へと向かう車の後部座席で、 小刻みに震え続けている身体を抱きしめ、 目を閉じた。 自分の預かり知らぬところで、 プライバシーを狙われているという恐怖感から ではなかった。 インタビューは、数日前に終わっていた。 それなのにあの言葉が、 僕の心に衝撃を与えたままずっと離れず、 振り払おうとしても振り払えない、 強烈なダメージを残し続けていた。 楽屋でひとり収録開始の連絡を待つ間、 横になり目を瞑っている今も、 その感覚が襲う。 僕は今日も彼と顔を合わせることはなく、 終日テレビ局で収録の仕事が入っている。 外は、朝から土砂降りの雨。 まだまだ残暑厳しい9月の初旬だが、 きっとひと雨ごとに秋が近づいているはず。 といつもならそこで物思いにふけるのだが、 すぐに思考が止まる。 たかが人の言葉じゃないかと割り切れる程、 軽い物ではなかった。 こんな仕事をしていると、 興味関心を惹こうとする人の意図的な言動に 出会う事がある。 ありもしない事を言う人やした事もないのに 嘘をつく人に最早騙されることはないが、 決して動揺しないと言えば嘘になる。 とはいえ、大抵の事は数日経てば 記憶の片隅に追いやられていくし、 色褪せていく。 多忙を極めるこの状況で、 心が囚われ続ける事などほとんどなかった というのに。 彼女の言う通り、 僕は最近唯一無二と言っていい存在との 別れを経験している。 ずっと側にいてくれたのに、突然別れる事に なった。 いや、今も側にはいるから、 元のあるべき姿に戻ったと言えばいいのか。 二度と会えないというのも悲しい事だが、 コンビとしての活動のために ビジネスライクに徹し、隣に立たなければ ならないのはもっと辛い。 彼女は、 僕たちの何を見てそう思ったのだろう。 自分から事実をさらけ出すメリットは 何もないから、彼女には絶対に連絡する ことはないが、渡された名刺は手帳に 挟まったままになっていた。 「思い出せ」とでも言っているのだろうか? 彼ー川瀬由貴との恋の日々を。 数多くの女性との浮き名を流している、 彼の最大の秘密が発覚したあの日からの事を。 心の動揺に比例するかのように、 窓ガラスを叩く雨音は更に大きくなっていった。
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