嘘つき

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嘘つき

 ある猟奇的な事件が起こったことで、報道番組はその話題で持ち切りになった。あまりの凄惨な事件に世間も震え上がった。  某企業で人事を担当する男が怪死。大量の針を飲まされ、殺害されるという痛ましい事件。解剖された死体から針を取り出したところ、その本数がちょうど千本だったという。  ――嘘つきは許さない。あの人事の野郎が悪いんだ。  入社する前、確かに僕に言ったじゃないか。残業代を支払ってくれるって。完全週休二日制だって。ボーナスも貰えるって。フタを開けてみればすべて嘘。僕が入社した会社は、いわゆるブラック企業だった。  人を人とも思わぬほどにこき使われ、ただすり減らすだけの日々に疲弊していった。そこに自由などありはしない。薄給で身動きが取れなくなり、過重労働から逃げ出すことも立ち止まることもできなくなっていた。  だから僕は、嘘つきを罰してやったんだ。――嘘ついたら針千本飲~ます――みんな知ってる報復の儀式。この世界から悪者を排除してやったことで、僕は正義感に酔いしれていた。 「きゃあっ! この人、痴漢です!」  混み合った電車の車内。前に立つOL風の女が振り返り、僕を睨みつけ指さしている。 「は?」 「お尻触ったでしょ!」 「まさか……」 「とぼけないでよ! 誰か車掌さん呼んで! この人、痴漢なんです!」  ヒステリックに叫び散らす女。僕の釈明など聞く気すらない。  痴漢行為を疑われた僕は、次の駅で降ろされ、複数の駅員に取り囲まれた。はなから痴漢だと決めつけた言い草。この世は完全に狂ってやがる。  僕が両手でスマートフォンを操作しているところを目撃していた乗客がいたらしく、幸いにも嫌疑は晴れ、解放された。  僕は知っている。痴漢だと叫び、振り返ったとき、僕がスマートフォンを両手で握っていることに女が気づいたことを。痴漢の犯人だと決めつけて指さしながらも、少し分が悪そうにしていたことも。僕が犯人じゃないと悟ったくせに、大声で叫んだ手前、後戻りできなくなり、僕を踏み台にしてその場を乗り切ろうとしたんだ。 ――嘘つき女め。  その日の夜、ニュース速報が流れた。会社帰りのOLが殺害された。大量の針を飲まされたことによる怪死。先日の事件と同じ手口の猟奇殺人に、報道の扱いもますます大きくなっていった。  嘘は許さない。そう強く思うようになったのは、いつからだろうか。  父親が家から姿を消した日? 母親が家に男を連れ込むようになった日? 母の不在時に男から殴られるようになった日? 仲の良かった友達が、僕をいじめる側に回った日? 母が自ら命を絶った日?  世界から嘘がなくなればいい。  いつからか僕は、そう願うようになっていた。  職を失いフラフラしていた僕は、ある日、いつかの約束を思い出した。 ――大人になったら絶対に結婚しようね。  幼い頃、幼なじみの優子が僕に言ってくれた言葉。時間を忘れ、日が暮れても二人で遊んでいた記憶が蘇る。 「あっ、もしもし、優子?」 『翔ちゃんよね? 久しぶり! 急にどうしたの?』 「ちょっと話があって……」  十数年の間、音沙汰のなかった僕からの電話に少し戸惑った様子の彼女。もちろん、僕が猟奇殺人犯だなんて思うわけもない。  ハッキリとした目的を伝えることもなく、僕は優子を夜の公園へと呼び出した。 「めっちゃ久しぶりだね! どうしたの?」 「あのさぁ――」  上場企業の受付嬢をしているらしい彼女。数週間ほど前、共通の友達伝いに聞いた。最後に会った日の彼女からは、まるで別人のように垢抜け、すっかり都会の女になっていた。 「――覚えてる?」 「ん? 何を?」 「約束」 「約束?」 「そう。あの日した約束」  あまりにも唐突な質問に、苦笑いしながら記憶を逡巡させる優子。無茶振りだってことは理解してる。でも、嘘のない世界を望む僕にとって、彼女の口から発せられる嘘のない言葉にすがりたかった。 「ごめん。覚えてないかも」 「そうなんだ……」 「何か約束したっけ?」 「結婚」 「え?」 「大人になったら絶対に結婚しようねって、約束してくれたよね」  それを聞いた彼女は表情を明るくし、「あっ、子供の頃、そんな話をした気がする!」と声を弾ませた。 「守ってくれる?」 「どうゆうこと?」 「約束だよ」  公園の照明に照らし出され、浮かび上がった僕の人相や目つきが豹変していたのだろう。地を這うように問い詰める僕の不気味さに、彼女は怯え、声を震わせた。 「子供の頃の約束だから――」 「じゃあ、あれは嘘だったってこと?」 「嘘っていうか……」 「嘘は許さない」  僕は小さく吐き捨て、左手で彼女の首を強引に掴む。そして、カバンに忍ばせておいた針千本の凶器を右手で取り出し、彼女の口元めがけて突き出した。  次の瞬間だった。右手の感覚がなくなり、自分ではない誰か他の人間の意思に操られるようにして、右手が勝手に動きはじめた。制御不能の狂気。気づけば、彼女に向けたはずの凶器が、自らの口元を襲ってきた。  悲鳴を上げた僕の口は、そのまま塞がることなく、嘘つきを罰する針千本を無惨にも受け入れた。  脳が引きちぎれるような激痛。突き刺さる大量の針が喉を塞ぎ、呼吸すらできない。涙がとめどなく流れ、僕は地面に倒れ込んだ。  薄れゆく意識の中、優子の声が浴びせられた。 「翔ちゃん、約束してくれたよね――何があっても優子のことは絶対に僕が守る、って」  一緒に遊んだ帰り道、彼女に伝えた気がする。オレンジ色の夕日に染められながら、バイバイするのが寂しすぎて、いつまでも優子と一緒にいたくて――優子に自分の気持ちを伝えたくて、そんな約束をしたんだった。 「守るって約束してくれた人が、襲ってきちゃダメだよ。約束はちゃんと守らなきゃね。嘘ついたら針千本飲~ます」  遠ざかる優子の足音と、嘘つきを罰する報復のメロディが、いつまでも脳内に響いていた。
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