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ここは、翼人の国。その国の端に、鉱山を持った小さな町がある。 灰の町と呼ばれるその町は、寂れた活気のない町で、人が暮らしているのかと疑いたくなる程の寂しい町だ。連なる家は見るからにぼろぼろで、大きな時計塔も時を止め、まるでこの町から生きる時間を奪ってしまったようだ。 町の出入口となる一本道には大きな鉄の門があり、鉱山と町の周囲をぐるりと取り囲むように、深い森が広がっていた。 その森の奥深く、人目から避けるように、ひっそりと佇む家が二軒ある。隣り合わせに建つそれは、一軒がログハウスで、もう一軒は森の中の建物としてはどうにも違和感が拭えない、コンクリートで出来た頑丈そうな建物だ。 ログハウスの傍らには、畑や花壇があり、元気に植物達が育っている。 この家には、ノクアという青年が住んでいた。 襟足が綺麗に切り揃えられた白藤色の髪、背は高めで、すらりとした体型だ。彼の瞳は特徴的で、不思議な輝き方をした。深い藍色の瞳は、黒にも紺にも見え、それは時折、星屑のように煌めいたり、星が流れるような輝き方をする。まるで彼の瞳は、どこまでも澄んだ夜空のようで、宇宙の一部のようだった。 優しく微笑まれれば、その穏やかでありながら整った顔立ちに見惚れる人も少なくないだろう。年齢は、見た目で言えば二十代後半くらいだろうか。それというのも、ノクアは生まれた時からこの姿のまま、変わる事がない。 彼は、アンドロイドだからだ。 日常生活において、アンドロイドと人間の違いを挙げるとするなら、食事を摂らない事や、眠らない事くらいだろうか。 ノクアには人工知能が与えられており、知識を吸収し、自分で物事を考え、それを行動に移す事が出来た。善悪の違いも理解しているし、人間にとって規則正しい生活がどんなものかというのも心得ている。 なので、ノクアは人間と同じような生活をしていた。 起床は、毎朝六時。ベッドの中で瞼を開き、上半身を起こすと、する必要はないが一応伸びをする。因みに、眠る事はないので、ベッドに横たわる必要も、瞼を閉じる必要もないのだが、形だけでも人間のように生活をする事、それはノクアにとって譲れないこだわりだった。 それというのも、ノクアの主人達は、何故か怠惰な生活を送りがちだった。人間にとっては不健康、それなら、ノクアはその生活を改めさせなくてはならない。だが、いくら口で言っても早々に直るものではなく、相手が十分大人であり、長年身に染み付いた習慣というものを取り払うには容易ではなかった。 それならば、先ずは自分が規則正しい生活を身につけようと、ノクアは考えた。自分が手本となって生活を送れば、説得力も増すと思ったのだ。結果的に、ノクアの生活態度を見るくらいでは主人の怠惰な生活は直らなかったのだが、それでもそれがキッカケで、今のノクアの生活基準が生まれた。今では、夜はベッドで横にならないと、体がむずむずして落ち着かないほどだ。 伸びをすると、腕が少し軋む音を立てた。体をほぐす必要はないが、体のチェックには一役買っているようだ。 それから、ノクアはベッドから抜け出すと、窓のカーテンを開けた。朝日が柔らかく部屋に差し込む。そのまま窓も開け、爽やかな森の香りを吸い込みつつ、深呼吸をする。 ノクアに充電は不要だった、ノクアの体の中には、半永久的にノクアを動かし続けられるという、魔法のような物質が埋め込まれているという。それがある限り、ノクアは生きる事が出来るらしいが、それが失われてしまうと、ノクアはただの機械に戻るという。 ノクアが特別なのは、その物質だけではない。 きっとほとんどの人が、見ただけでは、ノクアがアンドロイドだと気づかないだろう。 その肌は健康的な肌色で、継ぎ目もなく滑らかだ。声も機械的ではなく、表情も豊か。体の動きも、指先の動き一つとってもおかしな点は見つけられず、常に優雅で品のある佇まいを見せている。そして、何よりも特別なのは、心を持っている事だ。 ノクアを創り上げたのは、ダグラーンという博士で、ノクアの主人の一人だった。 空気の入れ替えをしつつ、ノクアは部屋を振り返った。 室内の家具は、ログハウスに添うように木製のもので統一されていた。真っ白なベッドは、定期的にシーツを替えているので清潔感に溢れ、布団も干しているおかげで、いつもふかふかだ。 カーテンも白く、裾には可愛らしい刺繍が入っている。この刺繍はノクアによるものだ。針仕事の習得時にせっせと縫い上げたもので、クローバーと黄色いタンポポの花が並んでいる。机の上には、読みかけの本が置かれていた、家庭菜園の本のようだ。その傍らには、日記帳と羽ペンが置かれている。 それから、本棚とクローゼットがあるくらい。部屋の掃除も小まめに行っているので、お掃除ロボットにも負けないくらい、ノクアの部屋は掃除が行き届いていた。 ノクアはクローゼットに向かうと、中から白いワイシャツとジーンズを取り出して、着ていたパジャマを着替えた。クローゼットの扉についた鏡で軽く髪を撫でれば、男前の出来上がりだ。 着替えを終えると、部屋を出た。向かいと、斜め前にも同じような部屋があり、ノクアの部屋の左隣りには、風呂とトイレがあった。 部屋を出て右手は突き当たりで、左手に進むと、開けた空間に出る。そこにはキッチンとリビングがあり、真正面に玄関があった。 コンロが二つのキッチン台、横には冷蔵庫があり、ガラス戸の食器棚もある。キッチンの向かいにはダイニングテーブルが。 変わって反対側のスペースはリビングで、ソファーとローテーブルが置かれており、壁側にはガラス戸がある。そこから、ウッドデッキ、庭にも出られるようになっていた。 ノクアはそのガラス戸を開けると、置いてあるサンダルをつっかけて庭に出た。庭には物干し竿が置かれており、その横に、花壇と小さな菜園がある。外に設置された水道からジョウロに水をくんで花壇に水をやり、その際、菜園から赤く熟れたミニトマトを収穫すると、再び室内に戻って、キッチンへ向かった。 この家の朝食は、パンだ。トーストと一緒に、スクランブルエッグとウインナーを焼き、サラダには先程のミニトマトと、昨日収穫したきゅうりを使った。それからポタージュのスープを温め、リンゴをカットする。 手際よく二人分の朝食を作り終えると、次にノクアが向かったのは、自室の向かいにある部屋だ。トントン、とドアをノックするが、部屋に居る筈の主から返答はない。これは予想通り、というか、いつもの事なので、ノクアは構わずドアを開けた。ノックをしたのは、最低限の礼儀のつもりだ。 どの部屋も、造りはノクアの部屋と同じ構造だ。家具も大して変わらない筈だが、ノクアはこの部屋の惨状に、毎日驚かずにはいられない。 どうしたらこうなるのか、大して物などない筈なのに、床には服やら本やら、何かの部品やらで足の踏み場もない。部屋の主はというと、今日はちゃんとベッドの上にいて、ノクアはほっとした。 時に、ノクアの主は床で寝ている。居ないと思って焦って外に探しに行こうとすれば、ベッドの下から寝息が聞こえてきたのが昨日の事。この時、ノクアがどんなに安堵した事か、きっと主は気づいてもいないだろう。 とにかく、ノクアの主は、寝相がすこぶる悪かった。 今はかろうじてベッドの上にいるものの、生白い足を床へと投げ出し、布団は角に丸められ、枕は何故か足元にある。 その寝汚さに溜め息を吐きながらも、ノクアは窓のカーテンを開けてから、彼の肩をそっと揺らした。 「フジ、朝です。起きて下さい」 ノクアがそう声をかけると、フジと呼ばれた主は、むずかるようにその手を払った。 色素の薄い茶色の髪は、朝日に照らされキラキラと煌めいている。ノクアと違って、ノースリーブと短パン姿の彼の体は、白く華奢で、その背中には、大きな白い翼があった。 フジは、翼人だ。年齢は、二十六才。 だが、フジの背中にある翼は右側だけ。服で隠れているが、左の翼があった肩甲骨から腰に掛けて、大きな傷が出来ている。左の翼を切断する際に負ったものだという。 「ほら、起きて下さい」 「うーん…あと五分、」 そう言って、器用にその片翼でノクアの手を払いにくる。 朝日に照らされた姿は美しい天使そのものなのに、寝起きも悪く、翼の扱いも悪いその姿からは、ノクアの目には単なる怠け者としか映らなかった。 これが、本当に自分の名付け親で、主なのかと、ノクアは改めて頭が痛くなる思いだった。
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