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“鏡”
私は少し前まで美容師をしていました。
美容師としては切っても切れない関係にあるもの、鏡。
鏡に関する私の嫌な夢の話です。
私が気が付くと、朝、メイクをしている所でした。
それが夢の冒頭です。
自室の鏡台に向かってメイクの仕上がりを確認していると、
鏡の中の私が、まばたきをしたような気がしました。
『え?』
怪訝に思い、私がもう一度しっかりよく見るため、少し顔を近づけました。
すると
『もう少し……ねえ、もう少し近くに』
近付いた鏡の中から、私の声でそんな言葉が聞こえました。
自分の声……というある意味馴染みのある存在の言葉に私は恐る恐る鏡に上半身を近付けていきます。
『耳貸して』
かなり近くからのそんな私の声。
言われるがままにまるで電話をする時のように右耳を鏡に当てました。
その瞬間
『痛っ!?』
今度は私自身の口から声が発せられました。
鏡に当てた耳に鋭い痛みが走ったのです。
反射的に身体が鏡から離れ、
右手で痛む耳を確かめます。
ぬるりとした生暖かい感触。
耳からは血が出ていたのです。
『血!?』
少し離れながら鏡で耳を見てみると、
右耳の上半分が赤くなっており、
ちょうど耳の真ん中辺りから血がだらだらと垂れているのがわかりました。
しかも 血でわかりにくいのですが
その傷はどう見ても切り傷や打撲なんかじゃなく
人の歯形でした。
私は耳を、鏡の中の私にかじられたのです。
それを理解したと同時に、私は慌てて逃げるように家を飛び出しました。
必要な手荷物だけを抱えて、家の鍵も閉めずに。
どこに逃げるかも考えず、それでも私の本能なのか
職場である美容院に向かったのです。
……朝のはずなのにやけに人通りが少ない道を走ること15分。
私は職場に到着し、滑り込むように入口から入りました。
息を切らしながら、乱れた髪を手櫛で直し、
スタッフルームに向かいます。
今日の朝番は私と、もう一人の女性の先輩スタッフさんとのシフトです。
店内に少し懐かしいアイドルソングが流れており、
明かりも点いていて時間も9時35分ですので
先輩は恐らくもう着ているのでしょう。
10時オープンですが、この先輩はだいたい9時前後に出勤してくることが多いので。
先輩の名前を呼びながら『おはようございます~』と平静を装って店内奥のスタッフルームに入る。
先輩の返事はない。
『おは……あれ?』
スタッフルームの中に先輩はいませんでした。
荷物もないのです。
しかし、スタッフルームも明かりが点いている。
カットの練習かな?と思って私は店内の方に戻りました。
8つずつある座席と鏡。
出入口とレジカウンター。
誰もいません。
『先輩?いませんか……?』
だんだん心細くなってきた時。
僅かに、かたん……と物音がしました。
奥の座席の方です。
『あ、先輩……?』
一番奥の座席まで来ましたが、誰もいません。
もちろん座っている人も。
確かにこの辺りから音がしたんです。
でも……。
そう思いながら何気なくその座席の前にある鏡を見てしまいました。
多分、物音やお店の雰囲気で少し気が抜けたんだと思います。
『え』
その鏡に映った私は、左手に黒いハサミを手にして異様な笑顔でこちらを見ていたんです。
『きゃあああああああ!?』
私が悲鳴をあげるのとほぼ同時に他の座席の鏡から次々と私の姿の人間がぬるりと出てきたんです。
いえ、鏡だけじゃありません。
窓、ガラス、手鏡、スマホ。
ありとあらゆる私の姿を映すものの中から、
反転したボタンの服を着た私が、小さなトンネルを潜り抜けるように這い出てくるのです。
皆、私の姿をしていますが、
異様な笑顔で……。
すぐに私は囲まれ、私の群れは私の髪の毛を乱暴に掴みました。
『痛い!痛い!離して!』
私の言葉は届きません。
表情の差はあれど、同じ私なのに。
そのうち、私の髪は引っ張られ始め、
痛みと恐怖から私は泣き出してしまいました。
ずっと『助けて!』と叫んでいたと思います。
目的のわからない自分と同じ姿の鏡の中の私の行動。
私の人生で一番の恐怖でした。
髪が引っ張られ続けること数分。
何本か茶色い髪が床に落ちています。
乱暴に扱われて私の髪が抜けてしまったようです。
それを見た何人かの鏡の私は
それに群がっていきます。
その光景もまた理解が追い付かず、
私はさらに恐怖しました。
そのうち、私の真後ろの鏡からハサミを持った私が遅れて這い出てきました。
そのまま私の髪の束を鷲掴みにすると、
ジョキリ……と、手にしたハサミで私の髪を切ってしまいました。
『いやああああ!』
叫んでも無駄です。
再び私の髪を束にして掴み、ジョキジョキと切る鏡の私。
落ちる髪束に群がる私の群れ。
限界を迎えた私は泣きじゃくりながら闇雲に手足をばたばたと動かして暴れました。
手足が顔や身体に当たっても、鏡の私たちは少したじろぐだけですぐに私の髪に向かってきます。
もうだめだと思い始めた時、偶然私の右手が真後ろの鏡に当たり、
後ろの鏡がぱりん!と音を立てて割れました。
……そこで私は目が覚めたのです。
戻って来れたのです、現実に。
まだ夜明け頃で薄暗い部屋の中、私はすごい汗と落ち着かない呼吸のまま、
頭に触れました。
指先に頭皮が当たる感覚がありました。
後からスマホで写真を撮ってわかったのですが、
私の髪の毛はほとんど消えていました。
残っている毛のあちこちから白い頭皮が見えるほどに。
枕には毛は落ちていませんでした。
おまけに
耳が痛むので、耳もスマホで撮影すると
夢と同じように、歯形がついて血が滲んでいました。
それから、私は美容師を辞め
内職を初めました。
髪は今残っている髪しか成長せず、
なくなった部分は生えてくる様子もありません。
耳のけがはすぐに治りましたが、こんな頭では人前に出る仕事はできません。
鏡もトラウマになったので、私は夢だった美容師をもう二度とできなくなったのです。
鏡の中の自分は、ある意味では一番自分に身近で
そして一番不可思議な存在。
本当はこちら側を恨んでいたり、羨んでいたりするのかもしれません。
鏡の向こうの自分に気をつけて。
いつでも向こうは、自分の真似をして笑っているのをやめることができるのかもしれないのですから。
追記
……あれから色々と調べてみたのですが、
髪の毛を信仰するとある田舎の地域では
若い女性の髪を××××、(気分を害する為伏せ字)
××××する風習があるらしいのです。
関係あるかはわかりませんが気になったので追記しておきます。
××村という名前のようです。
投稿者 名無し さん
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