転移警察、出動します

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 私は、あの音楽が嫌いだ。  ついに再生回数一億突破、という文字列を見て、私はスマホの画面を消した。  一億。日本の総人口は確か、一億二千万人くらいだったはず。  もちろん海外の人だって聞いているだろうし、ファンなら複数回聞いているだろうから、国内にも知らない人はまだいるだろう。だが、数字のインパクトはそれほどに強い。かく言う自分だって一回は聞いているんだから、その再生回数に寄与してしまっている。正直、気分は良くなかった。  あの音楽が流行し始めて、早半年。  始まりは若者に人気の動画投稿サイトだった。「砂漠」と名乗る全く無名の歌い手が投稿した曲。タイトル無題で投じられたそれは、あっという間に拡散されて大人気を博した。  歌詞は日本語ではなく、かと言って外国語でもない。意味の分からない音の羅列だ。歌い手が勝手に作ったと言葉という説が濃厚だが、中には古代の言語を元にしているとか、一種の暗号だとか、様々な憶測が飛び交っている。  そんな理解できない言語で歌われているというのに、なぜかメロディーと力強い歌声が老若男女の心を打つようで、今やテレビでも動画でも聞かない日はないくらいだ。決して明るい曲調ではなく、むしろ物悲しい慟哭のような旋律なのに。  歌い手の「砂漠」からして、何者なのか全く分からない。これだけ売れていれば取材は殺到しているだろうに、どこの誰なのかは徹底して伏せられていた。声も中性的だし、そもそも声自体変えているかもしれないという噂もあるので、性別さえも不明だった。憶測が憶測を呼んで、ネットの世界では既にキャラクター化までされている。  たった一曲の投稿で、神のように祭り上げられた「砂漠」のことを、悪く言う人はほぼいない。人気の代償としてアンチも一応いるらしいが、叩ける要素が少なすぎるのだろう。何しろ歌詞は理解不能で、本人の素性も分からずこの曲以外の投稿もなく、他の言動も一切ないのだ。単にメロディーが好きになれないとか、一発屋だとか、その程度のことしか言えない。それもほとんど好みの問題だったり、単なるやっかみで片付けられるものばかりだった。  けれど、私はもっと本能的、生理的なレベルで、あの音楽が嫌だった。  メロディーや歌い方もさることながら、あの歌詞。ほとんど意味を成していないはずの言葉たちが、私の中の何かを責め立ててくる気がする。  ――許さない、許さない、許さない。  そう言われている気がしてならない。頭に音がこびりついて、離れないのだ。聞きたくないのに街中で流れてくることも多いので、最近はあの音楽と遭遇しないためだけにヘッドホンを付けている。  が、バイト先で流れることもあるから完全にはシャットアウトできない。うっかり聞いてしまうと夢見が明らかに悪くなり、うなされて目覚めてしまう。  耐えられなくて友達にちらりと漏らしたことはあるが、何を言っているのか分からないという顔をされた。それも当然だ。言葉の意味が理解できないのに、責められているなんて感じる方がおかしい。SNSで検索してみても、同じような感想を言っている人は皆無だった。  悪夢を見るほど苦しいのに。こんなにつらいのに。そんな思いをしているのは、この世でただ一人なのかもしれない。  軽く絶望して本気で心療内科の受診を考え始めたが、私も大学の授業とバイトで毎日それなりに忙しい。病院代を払うよりも楽しいことにお金を使いたいのが本音だった。不眠気味ではあるけれど、今のところ健康を害するところまでは行っていないし。  それでも、どうしても堪え切れず、一度だけ自分のSNSアカウントで呟いたことがあった。  ――なんでかわからないけど、砂漠の曲、責められてる気分になってつらい。  鍵こそ掛けていないが、限られた少人数の友達しかフォローしていないアカウントに、リプライもいいねも何も付くことはなかった。それを見越して呟いたものだったので、むしろほっとした。フォローしている友達は皆、私がなぜかあの曲を嫌っていることを知っている。ああまたか、くらいにしか思わないだろう。  何の解決にもならなくても、吐き出すことで落ち着く気持ちもある。流行はあっという間に移り変わるものだ。そのうち「砂漠」もこの曲も、世間から忘れられていくだろう。それを待っていればいい。  そう、思っていたのに。  ピコン、とスマホが通知音を鳴らす。  見ると、SNSにDMが届いているようだった。珍しい、友達なら普通、メッセージアプリで連絡してくるはずなのに。  歩きながら何気なく開いた私は、思わずその場に立ち止まった。  知らないアカウントからメッセージが来ている。  しかも、その内容は。  ――やっと、見つけた。  声を上げそうになって、慌てて口を手で覆う。足が小刻みに震えた。  何これ。何、誰なの。  立ち尽くして画面を見つめる私の耳に、ピコン、ピコン、と通知音が届き続ける。  ――責められている? 当然だ。俺たちはお前を逃がさない。  逃がさない? 私を? 何を言っているの、この人。  頭がおかしいのかもしれない。ブロックしようと慌ててアカウントを見ると、名前は「断罪者」となっていた。断罪ってなんだ。私は平凡に生きてきた大学生であって、犯罪なんて全く縁がないし、誰かに裁かれるようなことをした覚えは……  ――裁く?  混乱した頭の中に、以前どこかで見た「砂漠」についてのSNSの考察がふと浮かんだ。 「砂漠ってさ、『裁く』の当て字じゃないの?」  砂漠。裁く。断罪者……そんな、まさか。  世界で人気沸騰中の歌い手が、私のようなしがない個人アカウントに、そんなことをするはずがない。悪質ななりすましだろう。そうに決まっている。  震える指でブロックしようとした時、また新たな通知音が鳴った。  ――無駄だ。もう分かっている。  ――お前には分かった。あの曲に込められた恨み、憎しみ、悲しみが。  ――あの言葉が理解できるのは、俺たちと同じ世界から来た人間だけ。  ――随分探したが、やっと見つけた。  ――逃げても罪は許されない。元の世界に連れ戻して、必ず償わせる。  元の世界って何。いよいよおかしいんじゃないのか、この人。最近流行りの異世界転生か何かか。  当然だけどあれは創作の世界であって、現実にそんなことが起こるわけがない。勝手な妄想に巻き込まないでほしい。  私はこの世界で生まれて、今は一人暮らしをしているけれど両親共に健在だ。友達だって多くはないけれどちゃんといる。昨年まで高校生で、受験を突破してこの春からめでたく大学生になった、単なる一般市民だ。そうでなければ……  そうで、なければ?  ふと、思考に靄がかかる。「私」の両親は、どんな人だった? 父親の仕事は何? 母親はいつも家にいた?  どこで育った? いつも何をして遊んでいた? 好きな食べ物は、好きな教科は、趣味は、友達の名前は?  ――そもそも、「私」の名前は?  視界がぐらりと揺れる。  私は。私は、ここで生きてきた。生きて、生きて、ずっと……  目が眩む。手からスマホが滑り落ちる。体に力が入らない。  誰か。誰か、助けて。  救いを求めるように伸ばされた手首に、重いものががしゃん、と嵌められる音がした。
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