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8月17日 夜
岩立聡美はリビングに呆然と佇んでいた。
足下には夫・岩立煌が仰向けに横たわっている。その目はカッと見開かれぴくりとも動かない。口元から頬にかけて泡だった赤黒い血がつぅっと伝い落ちていた。
明らかに死んでいる。
「やっぱり……あの人形……」
聡美は夫の死体を見下ろしながら震える声で呟いた。
ギシリ。
その時、何者かが廊下の床板を踏むような音が響き、聡美はびくりと肩を跳ね上げた。
「誰……!?」
叫ぶように誰何する。
ギシリ。
無言。
それは近づいてくる。ゆっくりと。
「眠り姫……眠り姫なの!?」
ギシリ。
「ああ……やっぱり! 眠り姫が……あの人が起きてしまったから!」
ギシリ。
「私も殺す気!? そうなのね!?」
聡美はリビングから廊下に繋がるドアの向こうの暗がりを凝視しながらじりじりと後ずさったが、夫の死体に躓いて「あっ」と叫んであわや転びそうになった。
「落ち着いて……私は眠り姫じゃない」
リビングの入り口に立った人物が言った。
十五、六歳程の年齢の少女だった。
鮮やかなスカイブルーのワンピースの裾が膝下で揺れている。ショートボブの黒髪に囲まれた幼げな顔は、昭和の時代の女子高校生といった雰囲気だが、一見して何の毒も無いような平凡そうな少女だ。
しかし、ただひとつ異様なのは、少女の額に玉虫色の二本の角が鋭くニョッキリと突き出ているということであった。まるで鬼のように……。
聡美は、突然現れたこの少女に見覚えはなかった。「……なんですか、貴方は!? 突然、人の家に入ってきたりして! しかも今時マスクもせずに! 警察を呼びますよ!」
気持ちを持ち直した聡美はどうにか毅然とした態度で謎の少女に言い放った。
「いいよ。どちらにしろ警察は呼ばなきゃ行けないみたいだし。それがあるから」
少女はくすりと笑って聡美の足下の死体に視線を向けた。
「私は怪しいものじゃない……て言っても説得力は無いかもしれないけど。私は地獄からやってきた死神……夕月と言います。この世で迷っている魂を迎えに来ました」
彼女は、戸惑う聡美に向かってにっこりと笑いかけた。
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