ゆるさない

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復讐心とは恐ろしいものだ。人に行動力を与え、身勝手な正義を正当化する理由を与え、そして理性を奪う。冷静さを失うのではない。確実に相手を陥れる冷静さを与えるのだ。 それは、1年、2年と相手をじっくり観察する事から始まる。短い期間なら知りようもない事実であっても、長い時間をかければ思いもよらない事がポロポロと顔を出す。全て記録され、証拠として蓄積されていく。 相手の弱みや弱点も浮き彫りになる。これだけ相手には丸見えでも、見られている本人は全く気づかない。それは、些細な事がきっかけで、気に留める事でもないような小さな事が発端だったりするからだ。けれど、相手にとっては些細でなことでなく、切りつけたナイフで傷を抉られているような感覚だったりする。 男はあるとき、ごくごく自然に復讐する事を思いついた。自身が相手に吐いた暴言のせいで関係が拗れたのが事の発端だったが、その事実は男の中で無かった事になっていた。相手が突然酷い態度を取ったのだ。そう思った瞬間、男の中で相手は悪そのものになった。 「彼氏が最近おかしいの」 いや、元々おかしかったと思うが。律子は心の中で静かに呟く。 蒼井湊と桜庭楓は恋人同士だ。湊にストレスが一ミリも無いときは、努力家で想いやりのある理想の彼氏だった。けれどひとたびストレスが溜まると、暴言を吐き、人を見下し馬鹿にする事など日常茶飯事だ。恋は盲目とは言うが、楓はそのことに今も気づいていないらしい。ようやく、違和感に気づき始めたって所だろうか。いや、遅いだろ。律子は小さくため息をもらす。楓は話を続けた。 「でね、言ってる事が毎回変わるの。本人は自分が正しいと思ってるみたいなんだけど…どう思う?」 どうと聞かれても。律子は返答に困った。答えは一択、別れろ、だ。湊は人格が破綻している。人として成立していない言動を繰り返す。それが正しいと思っている。自分に賛同しないものは悪になる。これはもう、語りかけてどうこうなるレベルのモノではない。けれど、楓は解決策があると信じている。別れる以外の答えがあると信じているのだ。 「これは私の考えだけど、解決策があるとは思えない。だから、私は別れた方がいいと思うよ」 意を決して言った言葉は、楓のために言った言葉は、けれど彼女を酷く傷つけてしまったようだった。 「酷い…律なんてもう知らない!自分に彼氏がいないから、自分はもてないからって、ひがんでるんでしょ!!」 ガタンと席を立って店を出ていく楓は取り付く島も無かった。それから大学で律子が孤立するようになるのに時間は掛からなかった。 復讐心とは恐ろしいものだ。人に行動力を与え、身勝手な正義を正当化する理由を与え、そして理性を奪う。冷静さを失うのではない。確実に相手を陥れる冷静さを与えるのだ。 それから間もなく女子大生殺害のニュースがテレビで流れた。逮捕されたのは同じ大学に通う恋人だった男だ。普段から執着心が強く、犯行は計画的だったとの見方が捜査関係者への取材で明らかになった。男の供述は毎回変わるらしく、精神鑑定も視野に入れて捜査が進められている。
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