ユニバーサルシミュレーター

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ユニバーサルシミュレーター

 ◯ 「え……なんの通報だったっけ?」 「んまぁ。大したことねえ。血まみれのハンカチを見つけたって、広場のゴミ箱で。どうも事件の匂いがしないがな」 「鼻血を拭いた跡じゃないだろうな」 「まあ調べればわかるさ。とにかく運転頼む」  2人組の警察が軽やかな気持ちで車に乗って現場に向かう。  ちょっと緊張感なさすぎって感じはするが、この町ではそれが当たり前なのかもしれない。  犯罪率が極めて低く、怪奇現象があっても、損失したのは常に建物で、人命を奪われることはない。  だから警察はみんな神経を尖らせず、軽い気持ちで対応している。その現状について警察本部でも重要視され始めたものの、現場のみんなは今だに改める気配がない。かと言って無意味のルールを作って部下を苦しめる必要はなく、無闇に減員するわけにもいかない。  平和の付き物、としか言いようがない。  無線機が鳴る。 「はい。こちら3組、現場に向かってる最中っす。どうぞ」 「本部より3組に通達する。特別捜査隊がすでに現地に到達し、例の事件と関係ありと判断した。今からその件は特捜隊が引き受ける。3組は撤退してください」  それを聞くと運転席の警察官が急にブレーキを踏み、路上駐車した。  彼のプンプンする姿を見て、助手席のもう1人の警察官が代わりにハザードランプを押した。  しばらくして状況を受け止めた警察官が舌打ちして、「了解」と返事した。 「あらあら。先を越されたか。少年たちは足がはやいね」  助手席の警察官が苦笑を漏らして、早くも現実を受け入れた。どうやら彼は運転席の方よりは楽天的だ。 「クソ。また俺様基準か。なーーにが『関係あり』なんだよ。強いて言うなら世界の全てが繋がってて、関係しているんだ!」 「まあまあ、『特別』捜査隊だからな。特別扱いしてやれ。ガキたちが信用せんとも、玄田げんだ先輩を信じよう」  運転席のお警察官の愚痴はそこまでにして、十字道路で思いっきりユータンして、本部へと戻った。  〇  0日目 夜 「3番入り口の駐車場、曳橋(ひきはし)さんが車を手配してくれるって!良かったぁ!こんだけの荷物を持ってバス乗りは嫌だよ〜」  池間紫姫(いけましき)いけましきがスマホをしまうと、燦爛な笑みで同行の2人に告げた。  こんだけって言っても、紫姫には手荷物がなく、ただ標準サイズの登山リュックを背負っているだけ。 「曳橋(ひきはし)さんって。最近だんだん人間らしくなってきたじゃない?そういう思いやりも持つようになったなんて。やっぱり引っ越しのおかげだね。あんな陰湿臭い地下に住むのやめて本当に名案だったよ」  地下というのは曳橋の元の住所である。3ヶ月前まではずっとそこに引き篭もっていた。  紫姫はその場所が大嫌いだった。地下二階くらいの位置なので、湿気がひどかったからだ。  そこに着くには、まずは路地裏に入り、ゴミ回収場を通り過ぎる必要がある。それからエレベーターで降りると、狭い道路が待ち受ける。それが暗い坑道に見えて、どれだけの電気つけても明るい感じがしない。その坑道を潜りながらならば、現代化の都会においてしかもショッピングセンターの真下で、なぜこんなあり得ない場所があるってさえ疑う。  紫姫という女子高校生は光合成のできる植物と言っても過言ではない。  太陽の光は必須の養分で、それだけで元気いっぱいでいられる子だから、彼女は極端的に、あのような地下施設と相性が悪いのだった。  そしてそれがついに過去形となってしまった。地下アジトは廃棄とされ、町の外れで新たな拠点を建てられた。 「で、その迎えの車の行き先が何処かは言ったか?」  迎えが来てくれるのに、望峯嵐(もちみねあらし)が何か悪いことでも勘づいてように不機嫌な顔で聞いた。 「言ったね。まず(かえで)さんの別荘で食事会だって」 「……やっぱりね!あいつ。また新居を自慢したいだけだろう。ラブラブ同棲生活(仮)見せびらかすだけだろう!」  嵐は曳橋とよく会ってる。親しいって言えるほどの仲じゃないが、曳橋の意図に関しては、彼の見当は大抵当たる。  山の中腹あたりの別荘を拠点にして以来、高校生3人を食卓に誘うのはこれで3度目で、月に1回の頻度だった。  参考として、以前地下アジトにいた頃、そんなおもてなしは一度だって無かった。それだけ今の住所には満足で、自慢する気満々だった。 「いいえ。今回は違うみたい……ほら」  蒔名(まきな)のスマホに、曳橋のメッセージが届いた。 ーー  これお前の荷物か?ここは明日取り壊すから、いるなら今すぐ取りに来い ーー  添付写真は段ボール箱が二つ、「ゲーム」っていうシートが貼ってあった。  蒔名の住むアパートが狭かったから、半年くらい前に曳橋に預けた荷物だった。 「曳橋さんは地下アジトにいるから、ご飯は一緒に食べれそうにないな。もちろん僕も。今すぐ荷物を取りに行かないと」  そういうと、蒔名は地図を調べる。  地下アジトに行くには、かなり時間がかかりそうだ。 「ええ!?頃葉(ころば)君も!ゲームソフトならうちの兄がたーーっくさん持ってるから、貸してあげるよ。いやあげるよ!」  確かにたーーくさんあった。  しかしその大量のゲームソフトは紫姫の兄の宝物であり、承諾も無しに貸す(贈る)のを決める彼女は、よっぽど蒔名を引き留める気だった。 「いや。それが……ちょっと違う。あれはテレビゲームじゃなくてボードゲームなんだよ。殆どお父さんが作ったやつなので、回収したいです……」  それを聞くとさすがの紫姫も観念した。片親の蒔名にとって、父親がどれだけ重要か彼女もわかってる。そしてその父親が蒔名を養うための仕事ーーボードゲームを軽んじるわけにはいかない。 「それならしょうがないなーー。おのれペテン師め!人を食事会に誘うのに当の本人が来ないなんて!」  紫姫は火力を気ままな曳橋にぶち撒けた。  文句言ってもしょうがないと思い、横で肩をすくめてから、嵐はだるそうに言う。 「そういうことだったら、俺らも解散するか。取り敢えず別荘まで送ってもらって、それから各自行動だな。俺は家に帰るけど」 「なんでそうなるのよ!!」 「え?分からないのか?俺は!宙野(そらの)さんと同じ食卓にいるのが怖いんだよ!人数が少ない分、余計無理だ。食べるどころじゃねえんだよ」  嵐はムキムキの大男なのに、一人の女性が怖いなんてことを堂々と言い出すとは、失礼な失言でありながら、失態だった。 「楓さんを恐れる者は、大体悪いことをした奴だよ。あんたもそうなのかよ!」 「そうかもな。例えてみればな。いくら友好的な虎とはいえ、虎は虎だ。親しもうとするやつはもちろんいる。けど俺は本能に従って退避を選ぶ。人間の本能ってやつだ。とにかく今回はいいや。疲れたし。帰って寝たい」  確かに今回の登山活動は嵐が一番頑張ったから、分からないでもないが、紫姫が心配することは他にある。 「でもね……急に全員がすっぽかして楓さんの機嫌を損ねたら、それこそやばいじゃない?」  ……。  3人とも無言だった。  こんな時に限って、頭が良く回る3人の力を合わせても、良い折衷案を出せずにいた。  車を待ちながらしばらくすると、嵐がとんでもない提案をした。 「なぁ、頃葉。『アレ』使って、覗いてみるか?」  蒔名は一瞬驚いたが、すぐに落ちついた。 「そんなことのために使うの!?バカか!?」  紫姫の反応は激しい。何せ、彼女は最初から「アレ」を反対していた。  薬物を使って力を引き出すなんてもってのほかってずっと思っていた。しかもその薬物、内服ではなく注射だなんて。 「そんなことってなんだ。宙野さんの機嫌は重要だぞ。一大事だぞ。町にとって。世界にとってもだ!」  大袈裟だ……と思われるかもしれないが、その通りかもしれない。薬物とか覚醒剤とか促進剤とかモチベーションとか一切要らず、宙野楓という人物の逆鱗に触れると、死人は多分出ないが、住民の30万人に良からぬ影響を与えるに違いない。  道路、ビル、公共施設などの損壊も予想される。結果的には財政や安全性、警察の信用にも傷がつく。それだけは避けるべきだという点では、3人の意見は一致している。 「分かった。やってみる。まだ一本残ってるから」  蒔名は普段3本の促進剤を持ち歩く。今回の登山はすでに2本使って、存分に能力を発揮して精神力もかなり消耗したので、紫姫は3回目を全力で阻止したかった。  けれどこの期に及んで、彼女もその必要性を理解した。悲しげな目で蒔名を見守るしか無かった。  そしてもし悪い結果だったら、自分一人でも食事会に向かい、命に換えても宙野を喜ばせて蒔名を守ると、密かに決めつけた。  例え裸でダンスしながら宙野のデビューシングルを歌えと強要されても、覚悟の上だ!ただ写真と動画だけは勘弁してください!  とそんな目をしている彼女だった。  蒔名は注射器を手にして、ゆっくりと手の甲に差し込む。  注射の量はそう多くないため、瞬時にそれを終わらせ、また注射器をすっと抜き出した。  どう見ても慣れた手捌きだった。  紫姫もまた反射的にポケットからアルコール綿を一個取り出して、注射の穴を軽く押さえた。 「ありがとうーー」  すると彼の青筋が膨らみ、明らかに太くなり、血流速度も速くなったと何故か分かる。  そして肝心な心臓がいよいよ影響を受け、鼓動を最大限に早め、全開するエンジンのようで、全力で血液と栄養を身体のあちこちに運んでいく。特に脳へと。  そうしたら、蒔名は未来を覗けるようになる。 ーー始ーー  1時間後、別荘の庭で。  9人が庭の食卓を囲んで、料理はどんどん出されて、みんなは数日も食事とってない餓狼のように貪り食う。  けどそのメンバーの中には、宙野楓(そらのかえで)は居なかった。  さらに場所を変えて観察すると、宙野の勤める児童養護施設の子供たちがざわざわしてるのが見た。 「大丈夫かな、リムちゃん」 「楓先生がついてるからきっと大丈夫よ。明日先生に相談してみんなでお見舞いに行こうよ」 ーー終ーー  二人の子供の会話を聞いて大体分かったので、蒔名は直ちに接続を切った。  たったの数十秒だったが、必要な情報は揃った。 「どうやら大丈夫みたいだ。宙野さんはもうすぐ、リムっていう子供を病院に送る。だから彼女も晩餐に出れないんだ。用意された食べ物は、クラブのみんなが美味しくいただく」  蒔名は当たり前のように見た情報を伝えた。  彼はそこで一歩も動いていないのに、1時間後に起きることをあたかも確信した口調で言った。  そして他の2人も当然のようにそれを受け止める。 「リムちゃん!あの白血病の子ね。可哀想に……うう……」  宙野の別荘の近くに建てられた児童養護施設について3人は多少知っている。中の子供たちは親に捨てられた子か悲惨な事故に遭った子ばかりだった。  心を閉ざして、うまくコミュニケーションも出来ない子が多数だったのに、リムっていう子は何事も無かったように明るくて、バラバラなみんなの心をくっつけようとしていた。  紫姫が施設を訪ねる度に、リムがウキウキして彼女に近況を教えて、それからたくさん遊んでいた。 「よりによってお前と仲のいいあの子か。まあどの子も病院に行って欲しくないが……皮肉だ。これが逃げられない運命ってやつか」  嵐は自分のことを語るような深刻な顔になる。  まだ運命とやらを語る年じゃないはずなのに、3人は共感したように一斉に頭を下げる。 「私、病院に行くよ。リムちゃんが心配だ」 「うん。頼んだ、紫姫。やばかったら連絡してくれ。荷物の回収が済んだら僕も行く」 「悪いが俺は帰る。携帯着信音を最大にして寝るから、こっちにもいつでも連絡していいぞ」  かくして、3人はそれぞれの目的地に向かう。  ◯  蒔名頃葉(まきなころば)が初めて自分の超能力に気付いたのは12歳の頃、スポーツ下手な彼が1000メートル走りのテストに苦戦をしていて、息が出来ず、朝飯もそろそろ喉から迸ろうとした。  彼は一瞬失神したかもしれない。  それで転倒してしまい、膝の出血で保健室に運ばれた。  先生にはただの貧血だと言われた。無理もない、確かに彼は貧血を患ってて、それまでは2、3回倒れたことはあった。でも今回に限って、そう簡単ではないと彼は微かに感じた。  心臓が激しく鼓動し続け、冷や汗がスポーツシャツを濡らす。脳が必要以上に興奮してしまい、何かの波動が脳内で繰り返しに拡散したり反発したり……そんな感じがしてならない。  すると、彼は見た。記憶にかかった掴めぬ靄がようやく晴れたように、神秘的な扉が目の当たりにする。全開じゃないが、半開きの扉を通して彼は覗く。  それは明日にやって来る学校が燃え盛る光景だった。  ……。  甲斐維知(かいいち)先生はただの精神科医で、決して物理学、若しくはコンピューター技術と関わりのある研究者ではない。そして今の彼は一介の高校校医に過ぎない。  それでも蒔名は彼の言葉を信じることにした。 「もう1人のその能力の持ち主、つまり君の亡き母とは長い付き合いだったから、存分に研究させてもらった。これまでの成果、知ってる全てを教える。その代わり、更なる発見ができるように、積極的に、協力し合おうじゃないか」  半年前、父の転勤で蒔名頃葉は新町第一高校に転校してきて、真っ先に甲斐先生を訪ねた。  甲斐は学校の保健室で蒔名を招待した。  気に入りの高級品の茶葉でとてつもなく苦い一杯を淹れてやった。それが意外と蒔名の口には合った。  なんでも、その茶葉は蒔名の実家にもあった。高価なものなので、毎日飲めるわけじゃないが、その味は子供の頃から覚えているそうだ。 「助かります!僕も惜しみなく情報共有します」  ティーカップを両手で持つ蒔名は正座してお辞儀した。  甲斐が頷いてから、長いスピーチを始める。 「では、長くなりますが、説明させてもらいます。  初めて君の母と出会ったのは病院で、私がまだ医者だった頃、ひとりの女子高生が効果の大きい精力剤を探し回ってるという情報を聞いた。それが君の母ーー蒔名千夜(まきなちよ)だった。  大事にはしたくない。言い聞かせて断念させろというのが上司の命令だった。  彼女は取り乱していた。  私が彼女がどうしても精力剤が必要な理由を聞くと、彼女は私の襟を握りしめ、「早くください。友達の命が掛かってます!」と真顔で答えた。  ここは病院だ。人命が掛かってるならここに運べばいい。何故彼女はそうではなく、ただひたすらに精力剤を探し求める?  私には解せなかった。  けれど私は考えるのを諦めなかった。それを虚言だと、精神的病いを患った人間のデタラメだと、決め付けなかった。  ただ今の自分には理解できない何かが働いていると、なぜか私は強く思った。あの日こそ、私が『異常』に出会う最初の日だった」  蒔名はごくりと生唾を飲んだ。そんなドラマチックな話は両親から一度も聞いたことがなかった。  甲斐は話を続ける。 「千夜さんは友人を助けたかった。彼女は友人が乗ってるバスが崖から落ちたワンシーンを見た。友人は休みの日に、中学の友達と遊びに行った。彼女らの乗ってたバスがすでに電波の届かない場所にあり、場所の特定ができないため、通報しても役には立たないと彼女は思った。  そこで彼女はもう一度……薬を頼ってもう一度あのシーンを見たかった。近くの風景と印をよく覚えて、ネットでも警察でもなんでも利用して、その情報で場所を特定する。  友人の死を事前に防ぐために。  しかし彼女は普通の精力剤は既に抗体が出来て、コンビニなどで売られたものはもう効かない状況に……だから効果の大きい薬を求めにきた。  なるほど、動機が分かった。  16歳の高校生が抗体ができたほど大量に精力剤を呑んだという異常なことはともかく……。  精力剤を飲めば未来が見える!?  心臓の鼓動を早めて、血圧を上げれば超人になるのか!?  そんなことって……。  当時の私はどうかしていた。  私はキャリアと人生を彼女の御伽話に賭けた。  彼女が呑むと目を瞑り、たったの数十秒の時間でまた目を開く。すると全てが見通しのような目付きになった。彼女は直ちに当地の警察に連絡して、飲酒運転のバスが走っていると……そしてあっさりと友人を救えた。  それを見届けた私は世界観の崩壊を感じた。と同時に衝撃と興奮を禁じ得なかった」  昔話を語りながら、まるであの時の高揚感が戻ったみたいに甲斐が笑みを漏らして、素早くお茶を一口を啜ってから続ける。 「彼女の力は本物だ。しかしその力の源ってなんなんだ?」  甲斐は回答を求める顔だった。  そんなこと、蒔名に答えるわけがないと知っていながら、彼は返事を待ち続けていた。 「さあ……母さんは何も教えてくれませんでした……僕もそれが知りたくてやってきましたから……」  甲斐は何もかもを神秘的な力に帰するのが抵抗で、その謎のように強大な力をどうしても論理と科学に繋げたかった。  よって彼が出した答えは、精神と脳の働きに関する仮説ではなく、SFっぽい話だった。 「君たちは生来、とある万能のコンピューターと繋がっている。僭越ながら私は勝手に命名してしまった。  ユニバーサルシミュレーターです。  ユニバーサルシミュレーターが君たちに見せるシーンは、計算の結果である。  平たく言えば、君が予言を発動するその時点、その瞬間までの宇宙の客観的状態を基に、ユニバーサルシミュレーターが複雑な計算をしてからその計算結果の世界をモデリングする。いわゆる、ここまでのすべての情報を収集してシミュレーションを行う。  そして君が時間帯と場所を指定すると、そこには一台のドローンが出現するようなイメージで、それが撮ったリアルタイムの映像を君の脳という端末に送る。  つまり薬を呑んで、脳を負荷以上にさせることがユニバーサルシミュレーターに接続するための、合図だ。  ここまではいいかな?何か疑問あるのだろうか?」 「はい。あります。その……シミュレーション?計算?そこにみんなは意志を持ってますか?」 「ええ。勿論持っている。君が聞きたいのは、彼らはそれぞれはの思想と意志を持っていて、ならば彼らの行動によって未来には無限の可能性があるはずだと?」 「はい。僕が見たのはあくまで可能性の一つ、そう捉えても良いですね」 「私はそうは思わない。ユニバーサルシミュレーターは万能だ。それを前提にしよう。  それが宇宙に存在するありとあらゆる形ある物無い物もを読み取って、計算に入れている。むしろそうまでしないと、計算すら出来やしない。条件が足りなければ計算も出来ないと言うことだ。そうしてモデリングした世界も必ず矛盾が出て、運行出来なくなる。  人の意志もちろん自由だが、どんな思考をするかどんな行動を取るか、それらも計算の範囲から逃れることはできない。起点があれば、データがあれば、範囲があれば、解答もそこにある。  君の考えは分かる。  例えばな。今は14時13分10秒。  私は13分9秒の時、まだアイス食べたかったのに、13分10秒の時はコーヒーが飲みたくなる。そこからの1秒1秒にも無数の可能性が広がっていて、10分後の私は果たして何を買うかは実に不確かだ。そう思ってるだろう?  でも『次の1秒はどうなるか』は関係ないんだ。計算に入れた情報は決まった時間までだ。わかるかな?  14時13分10秒の時、君が予言を行うならば、君が見た10分後の世界では、私は必ずコーヒーを呑んでいる。  君が見たのは発動するまでの世界に対する、絶対的な未来ということだ」 「でも甲斐先生、先ほどの話では、お母さんは友人を救えたんでしょう?未来を変えたのでは?絶対的ではないじゃ無いですか?」 「そこなんだよ。君と君の母がシミュレートする側として、恐らく論外にされている。言い換えればシミュレーションにおいて唯一の不安要素。唯一って言っていいものか……まあいいだろう。  どれだけの計算力を持ってても、シミュレーションは所詮シミュレーションだ。君たちは未来を垣間見たから、そこから取る行動は多からず少なからず、見る前の自分と違う行動を取る。それらの行動によって、未来がまた大きく変わる。  理解してもらえたかな?」 「ええ一応は……話が大きすぎてもう聞き流すことできない……万能のシミュレーターなんて……でも信じるしかないですよね。お母さんが証拠です。でも頻繁に使わない方がいいですよね。脳への負荷が大きいはずですね」  力をどう使って得をするかっていう妄想に溺れるより、まずリスクに気付く蒔名には甲斐は満足そうに微笑んだ。  そしてすぐに頭を横に振った。 「それは勘違いだ。さっきも言ったが、実際に計算をするのは君の脳ではない。だから未来を見過ぎて負荷が大きいなんてことはない。はっきり言って、その気になれば、ずっと未来を見続けることも可能だ。長い映画を見るような感じで、それよりもVR体験に似ているかもしれない。君の体が堪えるならば、宇宙の破滅だって見届けられる」 「それは絶対に違いますよ。実際1日2回でもすれば、僕は立ち続けることもできないほど頭痛する。宇宙の破滅どころか、2分も続けませんよ」  蒔名は異議を唱え、断言したような言い方だった。恐らく自分の力は母のとは差があると考えている。  それに対して甲斐も断言した言い方で言う。 「それは、君がまだ18歳になってないからだ」  その言葉に、蒔名は困惑していた。  18歳がどうしたっていうの?  なぜ18歳……。  そう言えば18歳ってキーワードは聞いたことがある……。  小さい頃、18歳の誕生日は家族3人で過ごそうと約束があったのを思い出した。その理由は母から聞きそびれ、3人でって約束も守れなかった。 「18歳って特別なんですか?」  蒔名は不思議そうな顔で甲斐を見つめる。 「18歳は境目だ。その際に君の能力は大きく進化を遂げる。君は本物の預言者になる。無制限に、何回でも何でも見れる。  頭痛などが起きてるのは、今の君の脳は、ユニバーサルシミュレーターの信号を受信するアンテナとしても力不足なだけだ。しかしいざ成人を迎えると、君は名実共に超人になる。そこまでは我慢だ。研究する側として、私も我慢しなければな……ハハハッ」 「……ッ!」  蒔名はかなり衝撃を受けた。  こんなにも不思議な話を飲み込むにはまだ時間が必要だ。  彼は手を額に当てて感嘆する。 「これは、アンテナだと言うのか……?」  脳は複雑で不思議だ。それは誰もが小さい頃から聞いてきた話だった。どのパソコンよりも優れ、ポテンシャルがまだ完全開発されてない云々との理論が飛び交っていた。  しかし甲斐は脳を過信せず、というか信用すらしない。実に低下した器官だと彼は思っていた。  そう思えたのは、やはり彼は真なる奇跡と呼べるものを拝見したことがあるからだ。  それが蒔名の亡き母だった。  彼女に続いて、まさかここで2人目の能力者の成長を見届けられるとは。自分は恵まれた者だと彼は興奮を抑えられなかった。  そして今度こそ、究明に至りたい。 「私と協力すればどんなメリットがあるか。これまでの成果を披露しよう。  こちらを受け取れ。能力がランダムだとスッキリしないだろう。未来が見たい時は、これを飲むといい。  1本目を飲んだあと、必ず6時間の間を置くこと。制限のために、一度に6つだけ渡す。なくなったら保健室に来てくれ。  そしてとっておきのコレ。  注射型。コーヒーの飲み過ぎ状態に似せた興奮状態にできる即効のもの。ほとんど無害ですが、多用はやはりお勧めできない。睡眠や精神状態に影響が出るので、ここぞというときに使うんだ。これも制限のため、3本だけあげる。補充したかったらここに」  蒔名は謹んで薬と注射剤を受け取った。  本当に無害なのか?まず最初にそう疑うに決まっている。  しかし自由にコントロールできるならば、多少の代価もなんだか受け入れられると思ってしまう。  この日から、蒔名はすっかり薬依存になってしまった。  彼の母が精力剤免疫になったように、半年が経った今、内服の薬は全く効かなくなってしまい、注射剤だけが頼りである。  彼の頭脳が武器だとすれば、持ち歩く注射剤は弾丸、だな。  ◯  曳橋の地下アジトに入る前から変だと思っていた。  それはエレベーターが1階に留まってることだ。  第一、このエレベーターは極秘の通路に隠され、地下に行くための専用エレベーターである。よって、第三者がそれを使う機会はないはずだ。  第二、曳橋の文面だと、彼は1人でアジトにいる。ならばエレベーターは地下一階に止まっているはずだ。  第三、何やら血の匂いがする。本当に嗅いだわけじゃなく、警察の端くれである蒔名の本能的な嗅覚だ。  ……。  それでも蒔名は↓のボタンを押した。事件を前に、危険を顧みないのは彼の悪い癖だ。  滞りなくエレベーターが来た。故障って言う可能性も排除出来た。  足を踏み入れると、中が勝手に点灯する。  これは、初めてここに来る心境を思い出す。  当時は曳橋の素性を知らず、たくさんの人を操って暗躍する危険人物がいるってだけが着目点で、当てもなく探していて、辿り着いたのがここ、ゴミの山の横にある寂しそうなエレベーターだった。  あの時も、蒔名はほぼ躊躇いなく押してしまった。単独行動は止せって仲間にあれだけ言い聞かさせたのに関わらず……。  潤滑油にご無沙汰なガイドレールの軋む音につれ、蒔名は地下に到達した。  直面した。  穴が空いた……顔面だった。  ナイフ?包丁?そんな刃物は要らない。  ただ指2本を眼孔に挿し入れてから摘んで、それに連れてきた赤くて細い根っこを切ってしまえば、完了とします。例えば、その辺に転がってるカッターナイフで。近くの文具屋でよく見かけるやつだった。  失血のせいか、ショックのせいか。曳橋は仰向けに床に倒れていた。  血が半分の顔を赤く染め、あたかも生命力を感じ取れない死骸だった。口が開いたまま、口元に乾いた涎の痕跡もかすかに見えた。  いくら嫌いな悪い男であれ、彼のこんな姿を見たくは無かった。  それよりも、この男をここまでできる奴は一体何者か?この町ではまだ彼の知らない闇、しかもかなり強大なのが蠢いていると彼は気付いた。  この夜、蒔名は末恐ろしさを味わった。そして重大な事件に出会した。
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