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ひとりぼっちの大人
1月13日 午後3時37分
この日、この時間に、毎年世界中にチョコレートが降ってくる。
いつからこんな風になったのか、確かなことは誰にも分からない。記録に載っていないずっと昔からであることだけは分かっているようだ。これまでにたくさんの研究者が調査して、たくさんの説を唱えたけれど、どれもこれも、「おそらく、たぶん、きっと」なものらしい。
どうして、決まった日、決まった時間に空からチョコレートが降ってくるのか。誰にも分からないけれど、みんなそんな世界にも慣れてしまった。1月13日は「チョコレートの日」と世界中で決まっている。空から降ってきたチョコレートを包んで、大切な友人や家族、恋人に渡す。それが世界中で行われるのだ。俺のように、貰えない者もいるけれど。
「アラフォー、彼女なし、独身、親もなし。そんな男にチョコレート持ってくるやつなんか無いよなぁ。」
職場での付き合いも悪く、友人らしいものも無いし。
小さい頃はよく、時間に合わせて庭先にボウルを置いて、チョコレートが降り出してボウルをいっぱいにしていくのを見て目を輝かせていたものだ。両親は、「そんなに食べきれないでしょ?」と苦笑しながらも俺と一緒にいっぱいのチョコレートを食べてくれた。
「天気予報です。今日は晴れのちチョコレート。例年通り午後3時37分にチョコレートが降るでしょう。みなさん、チョコレートを渡す予定はありますか?これを機会に、大切な方やお世話になっている周りの方々に、日頃の感謝を伝えましょう。」
朝からテレビの番組は、どこもチョコレートの日の話題で持ち切りだ。盛り上がっているのはこの国だけじゃなく、外国でもそうだろう。みんな飽きてしまうことはないのだろうか。もう25年以上も前の世界史の授業で、初めて車が空を飛んだ時、ちょうどチョコレートの日で、車を飛ばした研究者達に世界中からチョコレートが贈られたという小話を話してもらったのを覚えている。それが今から約100年前の話だから、この世界の人々は、少なくとも100年もの間、毎年この日を楽しんでいることになる。そんな長い間、同じイベントに盛り上がることができるものなのか。時代が進むにつれ、形は変わっていっただろうが、チョコレートを贈るという行動自体は変わっていないように思われる。そうなると、俺のように貰えない者は、なんだかいじけてしまうわけで。
「チョコレートなんか降ったってなぁ…。そんなもん降って喜ぶのは、子供ぐらいのもんだよ。」
なんて、テレビに向かって悪態をついている。
「チョコレートの日、ねぇ……。」
1月13日、午後3時37分
俺にとって、この日この時間は「チョコレートが降る」ことをぬきにしても、特別な日だ。俺が生まれた日、生まれた時間だからである。両親は、ちょうどチョコレートの日が誕生日である俺によく言った。
──チョコレートの日、それもチョコレートが降り始める時間に産まれたなんて。まるで世界中に降ってくるチョコレートは、ロロ、お前のためのものみたいだ。
「……俺のため、ねぇ。さすがに、そんなわけないだろうに。」
単なる、できすぎた偶然。だけど、両親と過ごした誕生日は、俺にとって確かにいい思い出である。2人とも、早くに亡くなってしまったけれど、誕生日にチョコレートが降る度に家族で過ごした時間を思い出すと幸せな気分になれた。だから何となく、今でもこの日は仕事も休んでゆっくり家で過ごすことにしている。もうぼんやりしてしまったあの頃を思い出しながら、俺はゆっくり目を閉じた。
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