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「そう言う趣味ってどんな趣味だよ。俺は至ってノーマルだから。自分をいじめて楽しむような淋しい人間じゃないからな。今はせっかく翻訳関連の仕事で繋がってるんだ。お願いだから温かく見守ってくれよ」
片桐は感情の全く篭っていない声で言った。
「そうですね、生暖かい目で見守る事にします。ですが運命の女神とやらに後ろ髪はないらしいですよね。手遅れにならなければいいですね」
いつもより酔いが回っているのか存外に星は素直だった。
「分かってるよ。工藤君の手前かっこよく話を締めくくりたかったんだよ」
「そうでしたか。でしたら彼にバレないうちに早く彼女の心を射止めてくださいね。陰ながら応援しています。お二人揃ってとても50を過ぎたようには見えませんしね。彼女白髪も殆どな無いって教えてくれました。シミもシワも殆んどないように見えました。世の中って不公平ですね」
素知らぬ顔で意外に客を観察しているバーテンダーだった。
「……男は白髪まじりでもダンディーとか言われるからな……。やっぱり星キミって凄いな……」
何が凄いのか分からないがここまで饒舌な星は珍しい。片桐はせっかくだからもう少し吐き出させてやろうと、ほんの少し煽ってみた。
「そうそう、そういえば星さんはずーっとしつこく星名さんのことを思い続けていたんですね。ある意味尊敬に値します。彼女にバレていなくてよかったですね」
星は思わず片桐を睨んだ。
「しつこくは余計だよ! 心はずーっと彼女だけだよ、悪いか。…………体の方はご想像にお任せするよ……。いやなに、この歳になって何もない方が気持ち悪いだろ、な、マスター。って俺何言ってんだよ……。
それでも、最近は彼女と一緒に食事をしたり、2人で出掛けたりだってしてるんだぞ! 仕事絡みだから男同士見たいな付き合い方でそれはそれでどうかとは思ってるけど……」
星は酔っているせいか余計なことまで口走っていた。一瞬頭を抱えた彼だったが今はその事に気づいていない。全てを知るのは片桐ただ1人である。
そんな星を眺めつつ薄く笑う片桐は何事もなかったかのようにもう一杯カクテルを作って星の前に置いた。
「どうぞ、今度はライムを使ったスタンダードなギムレットです」
星はじーっとショートのカクテルグラスを睨んだ。
「……これもマスターの奢り?」
「もちろんです。どうぞ、今日は特別です」
片桐は『片想いが長過ぎてあなたの一部になってしまったその恋。結婚は幸せのゴールではないけれど、重過ぎるその想いが報われるといいですね。今度は誰かに掻っ攫われないようにヘタレ男から頑張って卒業して下さい』と心の中でエールを送った。
「では、遠慮なく」
言葉と同時にグラスを手にした。
フレッシュなライムの香りは星の好きな香りだ。
「やっぱりこっちも美味しいね。でもたまにはレモンもいいかな……」
「その時はお声かけください。特別にお作りいたします」
星は少しの間、キラキラひかるカクテルグラスを穏やかな気分で眺めていた。
カクテルは合わせることでいろんな味が楽しめる。
人の心も関わり方ひとつで如何様にも変わるのだ。
20歳の頃、他人に摘み取られそうになった星貴也の恋はまだ終わっていなかった。
一度摘み取られかけたその恋。でもそれは彼の中で蕾のまま大切に温められていたようだ。
恋することに年齢も賞味期限も、彼には関係なかった。
そんな星貴也は1つだけ、工藤涼介に意図せず大事なことを伝えていた。
自分に素直になること。
『嘘つきばかりの世の中で自分自身にくらいは素直に正直でいないと、生きていくのが辛くなるから』
星はそう言っていた。
それは幾つになっても大切なこと、であるらしい。
彼の恋の芽が出るのはそう遠い日ではない、はずだ。
幸せの形は人それぞれ。
幸せは一人一人の心が決めるものだから。
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