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「一生のお願い! 」
そういうと一卵性双生児にして双子の姉であるフーコは僕に頭を下げた。一生のお願い、などという人間に限って一生のお願いは一生に一度のお願いではない。口癖のように使う。フーコもそれは例外ではなかった。今回も100回以上くり返される一生のお願いの一つだ。そのことについて嫌味の一つでも言ってやりたいところだったが問題はそこではなかった。
「それを僕に頼むの? 」
僕は無表情で問い直した。
「だってタカちゃん野球経験あるでしょ? 」
「誰かさんのせいでね」
「うちの高校って部員ギリギリじゃない? だから練習試合もろくにできないし」
「公立の進学校だからね。みんな勉強するために来てるんだよ」
「だから野球の強いところにしようって言ったのに」
「いやいや、なんで僕がフーコに合わせなくちゃいけないのさ。僕が手伝うのは僕の人生を犠牲にしない範囲だって約束したじゃない」
「どうせ声変わりするまでなんだから、声変りしたら転校すればよかったんじゃない? 」
「そんな簡単に転校なんかできるわけないよ。そんなことが可能なら高校受験の意味がなくなっちゃうよ。僕は別にすごい頭がいいわけじゃないんだしさ」
「タカちゃんは勉強ばっかりしてるのに野球ばっかしてる私と成績あんまり変わらないもんね」
「くっ…」
痛いところをついてくる。悲しいことに当たらずしも遠からずだ。僕は勉強ばかりしてるのに中の上くらいの成績、フーコは野球ばかりしているのに中の下くらいの成績だ。確かに差はあるのだが決定的な差ではない。
「私たち一卵性双生児だもんね。所詮才能の前には努力なんて無意味ってことかな」
「おい」
なんて酷いことを言うのだ。確かに才能は重要だがそれが全てではない。確か病院で裕福な家とそうでない家に取り違えられた子供が、それぞれ両親の影響を受けて育ったという話もある。金持ちの子供は有名大学に進学してエリート人生。裕福でない家に引き取られた子供は…皆まで言うまい。遺伝子が全てだったら裕福でない家に引き取られた子供だってエリート人生を送っているはずではないか。親ガチャは遺伝子にも勝るのだ。金持ちの取り違え子が金で全部なんとかした可能性もなくはないけれども。
「そんなわけないだろ。努力している皆々様に謝れよ」
「タカちゃんも本格的に野球やればきっと上手くなるのになぁ。同じ遺伝子なんだから」
フーコは僕の話を聞いているのかいないのかとんでもない事を言い始めた。
まったく冗談じゃない。真面目に野球をやってプロになって活躍する。どれほど狭き門か。そんなことより勉強を頑張って高収入の仕事に就く方が何倍も簡単だ。勉強は壊滅的でスポーツしか取り柄がないのであれば一考の価値はあるかもしれないが、僕は勉強もできるのだ。そこそこに。
「だから丁度いいと思って」
「丁度いいと思って…ね」
僕は感情のない声でその問いを繰り返した。
「そんなことしたらフーコが僕じゃないってバレるだろ」
フーコは野球が好きだった。女にしては才能もあった。男女混合の中学野球でエースになってしまうくらいに。しかし高校野球では女子は甲子園には行けない。そこで目を付けたのが一卵性双生児にして弟の僕だった。一卵性双生児だけあって僕とフーコはとてもよく似ていた。だから同じ高校に入学して、野球部の時だけ入れ替わろうということになった。普段フーコはロングヘアーのかつらをかぶって生活して、野球部に参加するときにはそのかつらを脱いで僕に成り代わるのだ。声変りが始まれば問答無用でばれてしまうが、幸か不幸か僕はまだ声変わりしておらず、声変りが始まる前までという限定での条件で入れ替わりをすることになったのだった。
普通なら無茶な提案だった。というか無茶だと思っていた。バレないわけない。だが、バレたところで僕は何の問題もなかった。1度入学してしまえばもうこっちのものだったからだ。フーコが野球できなくなるのは可哀想だが、僕にとっては何のリスクもない。むしろ妙な隠し事をせずに普通に学校に通えて万々歳だった。ところが、入学して3カ月がたったが、今のところ上手い具合にバレずに済んでいるのだった。おかげでフーコが野球部にいるときは僕がかつらをかぶってセーラー服で女装しなくてはならないはめになっていた。そこまでするとは聞いていなかったが、なりゆきでそうなってしまった。フーコは見ての通り明るく社交的なのでバレないように演じるのは一苦労だ。幸い幼馴染の平田さんがフォローしてくれているからなんとか誤魔化せて入るが。
「さすがに僕とフーコが一緒に野球やってたらばれるだろ? 」
「大丈夫だよ。みんなもう知ってるから」
「は? 」
意図せぬ答えに僕の目が点になった。
「ねぇ、タカちゃん。同じ中学の子も何人かいるんだよ? 私が野球してたのも当然知ってるし、バレないわけないじゃない? 」
やれやれ、みたいな感じでフーコがそう言った。いやいやいや
「でもフーコが野球やってるって知っている友達は野球部とは関係ないじゃないか。フーコの中学の時の野球のチームメイトはみんな野球部が強い高校に行ったはずだし、僕は特別進学クラスだし、僕と同じクラスに野球部はいない。僕は野球部の部員とは会ったことがない。野球部の部員はフーコを僕だと思っている。僕と会ったことがないんだからばれなくても不思議じゃないはずだ」
「私って結構有名人だったからね。チームメイトじゃなくても対戦相手とかで会ったことはあったみたい。だから部活に行ったその日にばれちゃった」
「はああ? 」
じゃあ僕の苦労は一体? 毎日女装までしてるのに。
普通に考えればそりゃあそうだろう。ばれるだろう。でも今まで普通に入れ替わりしていたものだからてっきりうまくいっているものと思い込んでいた。
冷静に考えよう。ということは野球部の連中は入れ替わりを知っていて、知っているのに黙認しているということになる。なぜそんなことになっているのか? いや、そもそも隠す必要なんかなかったのではないか? 確かに甲子園は女子ではいけないが、練習試合なら別に女子が参加しても問題なかったはずだ。ならば隠さなくても別に練習に参加しても問題はない。だからばれても問題なかったという訳だ。だが、それならば僕は別に女装とかする必要なんてなかったのではないかという問題が出てくる…
「あの…立ち聞きする気はなかったのだけれど」
唐突に、そこに現れる平田さん。とても気まずそうに立っていた。
平田さんは僕たちの幼馴染だ。小学生のころお隣に引っ越してきた。幼馴染だから僕たちと仲がいいのだが、男女の僕とは少し温度差があってフーコと特に仲がよかった。親友と言ってもいい。ここまで親しいと入れ替わりに気づかないのは無理だろうということで先に真実を話して入れ替わりを手伝ってもらっている間柄だった。
「平田さん、いいところに。どうやらフーコのやつ入れ替わっているのがばれているみたいなんだ。だからもう僕が女装する必要は…」
「ごめんなさい! 」
平田さんはいきなり土下座した。それは土下座だった。頭を下げるだけではない。地べたに膝をつき頭を地面にこすりつけている。美少女である平田さんにそんなことをされると変な性癖に目覚めそうだったがそこはぐっと堪えた。
「みんな知ってたの。その、タカちゃんがフーコちゃんと入れ替わっているってことに! 女装してるってことに! 」
「えっ…? 」
「でもタカちゃん全く気が付いてないし、真面目にフーコちゃんの真似してるから。みんなで黙ってようねってことになって」
「ちょ…は? 何言って」
「まだわからないの? 」
フーコが可哀そうなものを見るようにこちらを眺めてくる。
「タカちゃんが面白いからみんな黙ってただけだよ」
「ぐはっ!!! 」
俺の頭は真っ白になった。うすうす気づいていたが、最も悪質な答えを…
「なんでだよ! 僕何か悪いことした? 」
「そんな! タカちゃんは何も悪くない。タカちゃんフーコちゃんに似てて可愛いからみんなで黙ってようねって私が」
「平田さんが首謀者!? 」
「ひーちゃん泣かした。いけないんだ」
フーコが冷たい瞳で僕を見つめてくる。て、お前ら泣きたいのはこっちだよ。絶対に許さんぞ…
・・・
灼熱の炎天下の中、球児たちが白球を追いかける。
甲子園を目指すため…ではない、甲子園は既に始まっており日本各地から集まった猛者たちが鎬を削っている。
うちの高校はとっくに予選で負けていた。しかも一回戦敗退。20年連続で。公立の進学校であるため野球はからきし弱かった。
どれくらい弱いかというと5回で28対0で負けるくらい弱かった。通常野球の試合は9回まであるのだけれど5回で10点差以上空くとコールドゲームとなって途中でも勝敗が決してしまう。20連敗中このコールドゲームで負けた試合が16度ありコールドゲームにならなかったら実質勝利といってよかった。ちなみに残りの4度も5回コールド負けじゃなかっただけで普通にコールド負けしている。6回とか7回とかで。
もはや1回戦敗退が義務付けられているといっても過言ではない弱さだった。ならばなぜ彼らは野球をやっているのだろう? コールドゲームにならないことに喜びを見出しているのか。勿論そんな訳はない。誰だってやるからには勝ちたいものだ。彼らが野球を続ける理由、それはやはり好きだからだろう。かつて野球は全ての娯楽の頂点に位置していた。どんなに負けようがどんなに点差がつこうが野球をやることが楽しみであり当然だったのだ。だからみんな必死でやっていたし1回戦くらい突破することぐらいは稀にはあった。その頃は。20連敗中ということは21年前は1回戦突破しているということだ。そのころはみんな野球をやっていたから今よりもレベルが拮抗していた。野球というのはよい投手が一人いれば割と何とかなってしまうスポーツだ。たまたま良い投手がいると1回戦くらいは突破できたということなのだろう。
しかしそれも20年以上前のことだ。現在ではかつてほどの野球人気もなく、野球ができる生徒は野球に力を入れている高校に行ってしまう。そうしてどんどんレベルの差が広がり、20年連増1回戦敗退という現象が起きるようになってしまったのだ。
しかし現時点で人気があろうとなかろうと、やはりかつては詠歌を極めたスポーツ。やってみればそれなりに楽しく、中にははまる人間がいるのは当然のことだった。そしてやるからにはできる限り勝ちたい。上手くなりたい。そうして彼らは今日も白球を追い続けるのだ。
・・・
「ということで、弟の辻内隆文。タカちゃんで~す」
パチパチパチ、とフーコが手をたたく。
俺の目の前には3人の野球部員がいた。ただ野球部員というにはちょっとぱっとしなかったけれど。背が高いがやせっぽっちの永野。逆に身体はがっちりしているが背は低い西。背は普通だが肥満体系の小久保。仮にもスポーツ選手なのでもっとがっちりした体形が好ましいのではないかという気がしなくもない。そういう点では、この中では一番スポーツ部らしい西が前に進み出る。
「おう、よろしく」
その差し出された手は握手を求めているのだろうか。普段生活する中で握手を求められるシチュエーションなどそうそうあるものではなく戸惑ってしまう。これが体育会系のノリというやつか。苦手かもしれない。そう思いつつ手を取ると、強く握り返される。痛い…やっぱり苦手だこの人。
「しかしあれだ。普段辻内のことを隆文…くんだと思っているせいで、こちらが隆文くんだと言われると変な感じだ」
小久保がちょっと神経質そうにつぶやく。
「隆文君をフーコちゃんって紹介してくれた方がしっくりくるよね。だってね、ほら」
永田が言いにくそうに僕を見つめてくる。ああ、言いたいことはわかりますよ。
「ていうか、なんで隆文は女装してるのだ? 」
ずばりと西が聞いてきた。そう、何故か俺は女装したまま練習に参加してなければならないのだった。
「みんなは私のこと本当は隆文じゃないって知ってるけど、先輩と先生は知らないもん」
それに答えるようにフーコは言った。
「えっと、皆さんはすでにフーコと一緒に甲子園の予選大会に出場しているんですよね? ということはそれは違法だと思うんです。先生にバレたらどんなペナルティが下るかわかりません。フーコが本当は僕ではないということはなんとか隠しおおせねばならないということです」
僕だってこの期に及んで女装などしたくはなかったが、フーコの話では同級生のチームメイトは皆フーコのことを知っているが上級生と先生は知らないらしかった。だからとりあえず同級生に協力してもらってフーコが本当は僕でないこと、僕がフーコに成り代わっていることを騙し通さなければならなかった。まぁ、できれば上級生にも協力してもらえることが好ましいが、顧問の先生には絶対に秘密にしなくてはならない。
「なるほど…」
「俺はあまりそういう小賢しいことは好きではないのだが、辻内と甲子園に行くためだ仕方ない」
あっさり納得する永野にしぶしぶ納得する西。
フーコの話では、西が中学時代に野球のライバルだった生徒の一人であり会った当日に正体を見破った当人らしい。そして永野は彼の友人。西がいきなりフーコのことを喋りそうだったのを空気を読んだ永野が止めてくれたらしい。実際会ってみると西ははっきりものをいう体育会系の人間であり、永野はそんな西を止めるようなしっかりした人間には見えなかったが、いい人ではありそうだった。
「いや、でもどうせ隠し通せるわけないじゃん」
納得する二人に対して当然ながら納得できない者もいた。小久保だ。小久保は同じ1年ということで西がフーコを問い詰める場に偶然遭遇してフーコの正体を知ることになったらしい。一応中学時代も野球部に所属していたらしいがずっとベンチだったのだという。いわばずっと成り行きで協力している。最初から秘密の共有は乗り気ではなかったらしい。
「いつかはばれることなんだから。いい機会なんだし諦めよう」
全くもって僕は小久保の意見に同感だった。しかし一応声変わりするまではフーコに協力するといってしまった手前協力しないわけにはいかなかった。
「駄目だ。そしたらフーコは春の大会に出られなくなってしまう。なるべくぎりぎりまで秘密にしてほしい」
「でもどっちみち部員はもう9人割ってるし、春の大会には出られない」
「そ、そうなのか? 」
確かに部員が少ないとは聞いていたが9人を割っているとは聞いていなかった。
それでは春の大会まで待ってもどっちみち参加できないのでは?
フーコを見ると気まずそうに言い訳する。
「それは、これから9人目を探して…」
しかし、そこはルール上大丈夫であるらしい。西がフォローに入る。
「それは大丈夫だ。部員が足りなければほかの部から借りてくることは許可されている」
西はフーコのことをライバル視しているらしい。つっかかることもあるが一緒に試合に出ることに好意的で協力的なようだった。積極的にフォローしてくれる。西の話では部員が足りなくても助っ人がいれば甲子園を目指していいらしい。女はだめだけど。
「俺たちの目的は上手く辻内が男であることがばれないようフォローすることだ」
「…」
「ちょっと待って」
小久保はしぶしぶながら頷く。話がうまくまとまりかけたとき、それに待ったをかけたのは意外にも永野だった。
「部員が足りなくても野球部が存続できるなんて聞いてないよ。それが知ってたら俺野球部に入ってなかったんだけど」
どうやら永野は中学の時野球はやっていなかったらしい。部員が足りないという理由で無理やり野球部に誘われたらしかった。なるほど道理で野球部にしてはやせ細っていると思った。
「部員が足りないっていいってもあんまり足りなすぎると他の学校と合同でチームを作ることになる。永野は必要だぞ」
「そ、そうなの…」
「少年野球チームに入ったから一緒に遊べなくなったが、俺も永野とまた野球したかったしな」
「に、西くん」
永野はあっという間に納得したようだった。ていうかちょっと頬を赤らめるんじゃない。変な誤解をされてしまうよ?
そんなこんなで僕の野球部参加ミッションが始まったのだった。
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