賢人フィリア

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賢人フィリア

   集落の離れにある洞窟を魔法族の人間が人垣を作って出口を塞いだ。洞窟の奥で、世の荒廃を憂う賢人の女フィリアが戦に逃げ遅れた機械族の子どもをかくまっていた。この子どもが先の戦乱で指揮をとった軍人の一人息子であったために、此度の戦で復讐を果たした魔法族たちが、将来の不安の芽を摘み取ろうとしていたのである。恐怖に震える少年の、小刻みに鳴らす奥歯の乾いた音が、闇に包まれた洞窟に明確に響き渡った。フィリアは洞窟の外の魔法族に叫んだ。この子は無実だ、大人たちの心を染める思想にいまだ心を染めていない、魔法族の憎む思想にいまだ染まりきっていないと。  しかし、彼らは言下にこれを否定した。 「そんなことがあってたまるか!! 機械族は生まれながらその堕落した環境に生きる、先天的な悪なのだ!! 我々は世の浄化のために害悪な存在を抹殺するだけだ!! いくら貴様が賢人だろうと、その餓鬼を庇うなら貴様ごと抹殺するぞ!!」  フィリアは眼を強く瞑って少年を抱きしめた。魔法族の掌から発動する火焔魔法の紅い光を瞼の裏で見て、死を覚悟した。  そのとき、空より飛来した天人ソフィアが瞬く間に垂直に地上に着陸し、青い光球の壁によって焔を防いだ。瞼を開けた賢人の眼に天人の無言の守護が神々しく見えた。  魔法族の掌より放たれた大火焔は、ソフィアの発動する青い光球の壁に身をぶつけ、盈満(えいまん)なる膨らみを作ってから、巌に砕かれた大河の激流の後のように光球の後方へ受け流されて、四方八方に火の尾鰭を作っている。右手で力を発動する天人は宛然(えんぜん)、神像の如く佇立し、徐々に魔法族の男に近づいたのち、焔を放つ彼の掌を彼女のそれで握りしめた。男は己が焔のために自身の掌を焼いた。 「この抗争、私が預かる。すぐに戦をやめ、先史の例に倣って天人を仲立ちに据えた講和を始めろ」 「は、離せ、天人め!! また我々の邪魔をするか!! 我々はいつまでも貴様らの子分ではない!! 知識を持ち、理性を持ち、真理を体得した存在だ!! これは人間の進化のための聖戦!! 邪魔するなら、いくら天人だろうと容赦せん!!」  魔法族の男が余った手で追撃魔法を繰り出すより先に、ソフィアの左手の人差し指から放たれた青色の繊細な雷電が男の額を撃ち抜いた。撃ち抜かれた男は忽ち理性を失い、動物のように咆哮をあげて同族の人間たちに襲いかかった。 「罰として、一日だけこの男の知恵を奪う。同じ目に遭いたくなければ、全員この場から去れ」  賢人の女は洞窟内に足を運んだソフィアの前に跪拝した。 「ありがとうございます……! なんとお礼を申し上げたら--」    すると、天人の細い白い指がフィリアの顎に添えられた。見上げると、眼前に琳琅珠玉(りんろうしゅぎょく)の美貌が据えられているのに眼を見開いた。瞬く間に急接近する顔にフィリアの胸の奥が跳ねたそのとき、二人の顔が吸い寄せられ、互いの形貌が失われて、二つの水滴が触れ合うように渾然一体となって合体した。自己と他者との境が決壊し、賢人フィリアの脳内に天人の思考が闖入して、自分が誰で相手が誰なのかわからなくなった。自分でありたいという自性の働きがフィリアを恐怖に陥れた。互いの顔が離れたあと、震えた手で自分の眉や瞼、頬や唇を確かめた。「心配するな」と天人が手鏡でフィリアの顔を見せた。 「あなたの頭の中をみた。あなたは思った通り良い人だ」  脱力してゆっくりと両手を頬から離したフィリアに再びソフィアの額が近づくと、今度は合体することなく、ただ哀しみを含んだ声で呟いた。 「あなたのような人が多ければ、この星の人たちが滅ぶこともないだろうに……」
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