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ディオノマ
《自分の判決、自分の理論、自分の道徳上の理念、自分の信仰を、これほど絶対だと信じた人々は、かつてなかった。──すべての人々が不安におののき、互いに相手が理解できず、一人一人が自分だけが真理を知っていると考えて、他の人々を見ては苦しみ、自分の胸を殴りつけ、手をもみしだきながら泣いた。──人々はつまらないうらみで互いに殺し合った》
引用元:ドストエフスキー『罪と罰』
*
満身創痍のディオノマが、琳琅珠玉の肉体から流れる血の雫を上空に置き去りにして、夕陽を浴びて朱色に映える海へと急速に堕ちてゆく。墜落する彼女に寄り添うように、天人のセーフィが慈愛に富んだ声で説得を始めた。
「……もう抵抗はやめなさい。貴女に勝てる見込みはありません。ソフィア」
頭から海面に向かって堕ちるディオノマの眼が開き、毅然とした面持ちで首を横に振る。
「……何故です? どうしてそこまで地球人を庇うのですか? 貴女が愛した女のためですか?」
「セーフィ。私はもうソフィアじゃない。ましてや彼女の愛した女フィリアでもない。……私はディオノマ。地球人を護るために天人の身を捨てた存在と地球人との融合体。それ以上でもなければそれ以下でもない」
ディオノマに叩きつけられた海面が巨大な水柱を築き上げた。海水に拭われた血が彼女の周囲に広がって、夕陽に照らされる海の光沢を赤黒く穢した。ゆっくりと降りて来るセーフィは、雲間から差し込まれる一条の夕陽を頭部に受けて、その尊貴の矜りに満ちた顔を翳らせている。海面の照り返しに射られた瞳は怜悧な光を宿した。
「ソフィア……いやディオノマ。これまで計り知れぬほどの罪を作り続けてきた人間に、どれほどの価値があるというのですか? このままでは、人間はまた同じ歴史を繰り返すだけでしょう」
ディオノマはセーフィの背後を見た。夕空はセーフィたち天人の描く生命力の象徴たるセフィロトの樹の青い光で覆われている。知らず知らずに知恵の樹の力をいただいた地球人の驕りを嗜めるような生命力の象徴が今まさにこの星を圧している。
「それでも貴女は地球人を護るというのですか?」
ディオノマは不敵に笑った。いままさに始まっている世界の終末に彼女は絶望していなかった。
「人はまだ変わることができる。私はそれを信じている。たとえそれが、何兆年、何百兆年かかろうとも……」
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